ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

代償

2022年08月23日 11時23分40秒 | owarai

 

 

 

 

思いは出口を求めている
失った人のかわりに、
また別の
人(モノ)を求める行為は、
「代償」と 呼ばれます

浮気・不倫だって、夫に
ないものを
別の人に求める行為も代償の
ひとつです
子どものいない夫婦がペットを
かわいがるのも
同様の心理行為です。

要するに、
人って、愛したくって
しょうがない動物なんです。


大人の恋

2022年08月23日 11時22分03秒 | owarai
今日誘われたら、脱げますか?
 大人のLOVEは突然です
イイ女は7DAYS,恋ができる
  ランジェリーを身につけています

下ゴコロのない男と
  下着ゴコロの忘れた女性は
  モテません

ラ・ペルラやトレフル・
ワコールディアなど
贅沢ランジェリーは芸術品。
身につけないまでも
 意識すれば
   いやがうえでも

   恋愛温度が2.5度あがります

 男にガーターベルトは、
   飛び道具(笑)もうイチコロ
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親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト

2022年08月23日 09時21分00秒 | owarai

両親の離婚は―――
ちっとも悲しくなかった、と
言えば、それは嘘になる。

けれど、悲しくて悲しくて
毎日泣き暮らしていたのか
というと、そうでもなかった。

ただ、一度だけ、全身がばら
ばらになるほど激しく、泣いて
しまったことがある。
母が家を出ていってから、二、
三ヶ月が過ぎていた、ある日
曜の朝だった。

騒々しい物音で目が覚めて、
部屋のカーテンをあけたわた
しの目に飛び込んできた風景。

狭い裏庭いっぱいに積み上げ
られていた、鏡台、本棚、書
物用の机と椅子、洋服、バック、
靴、オルゴール、時計・・・

それらはすべて、母の持ち物
だった。

母は家を出ていく時、ほんの
僅かな荷物しか持って出なか
った。

だから、母がいなくなったあ
とも、家の中には母の所有物
が多く残されていた。きっと
そのせいで、わたしはまだ
「母がここにいる」と、感じる
ことができていたのだろう。そ
して、喪失感や寂しさから、救
われていたに違いない。

ねえ、お母さん。いつか、ここ
に戻ってくるよね?わたし、待
ってるよ。

ところがその朝、そんな期待は
木っ端微塵に打ち砕かれた。
母が愛し、慈しみ、使い込んで
きたもの。育ててきたもの。

何もかもがごっちゃにされて、
見るも無残な瓦礫の山と化し
ていた。翌朝、ごみとして
捨てられてしまうために。

それはまるで生きている者
たちのように、悲鳴をあげて
いた。わたしに向かって、
叫んでいた。

「助けて」
「捨てないで」
「連れていって」
「お願い」
その光景を目にした時、全身
から、悲しみが吹き出してきた。

心と同じように物も、痛みを
感じているのだと思った。

捨てられた痛み。愛する人と
離れ離れになった痛み。おそ
らく、わたしはその時初めて、
別れというものを、形あるも
のとして、見ていたのではな
いかと思う。

わたしは泣きながら、パジャマ
姿のまま庭に飛び出して、母
の持ち物の前まで駆け寄って
いった。

何かひとつ、たったひとつ
だけでもいから、救い上げたい。
でも、いったいどれを救えば
いい?

どうやって選べばいい?

これもあれも、母に大切に
していたものばかりなのに。
迷いながらも、手をのばして、
拾い上げて、抱きしめた。

茶色の熊のぬいぐるみ。
胸に赤いボタンがついて
いる――――

それは、幼かったわたしが、
眠る時も、ごはんを食べてい
る時も、テレビを見ている時
も、片時も離さなかった。
まるで友だちのような熊だった。

やがて成長したわたしが手放
したあとも、母は大切にしま
っておいたのだ。自分の宝物
として。
そのぬいぐるみを、わたしは
今も持っている。両腕で、か
ばい続けている。母とわたし
の傷痕の象徴として、

とどどき取り出して、赤いボ
タンに触れてみる。
「また会えたね」

と、呟きながら。

 


わたくしにいかなる隙のありてかく激しき胸に抱かれて

2022年08月23日 09時13分16秒 | owarai

 

 

 

人生はたくさんの「さよなら」
で成り立っている。

けれどもその一言がスマートに
言えたためしはなく、惨めにす
くみあがっている。

「さよならに乾杯」と、さりげ
なく言えたら、どんなにいいだ
ろう。別れをそんなふうに茶化
すことができたら・・・。

いさぎよくできないのならいっ
そのこと、なりふりかまわず
泣き喚き、別れたくないのだ、

さよならなんていやだとすが
りつけば、まだしも可愛らし
いものを、

そんなふうに姿勢を崩して
しまうくらいなら死んだほ
うがましだと、笑えもしな
いお粗末なユーモアを
一席披露して、結局泣きたく
なるのがセキのヤマ。

あぁ私の人生はなんともまあ
よく、ウッディ・アレンの映
画の世界と似ていることか。

ドジで、哀しくて、滑稽で。