“文学少女”シリーズにハマっている。
外伝の“見習い”シリーズと完結編を読み終え、今は「挿話集」へ。
小林多喜二の「蟹工船」まで出てくるのに、一瞬面食らいつつ、野村美月さんこそは本物の“文学少女”だと思う。
私は同志多喜二の作品の熱心な読者ではないが、自分以外に「カムサッカ体操」がどんなものか気になった人がいたのは、心強い。何より、こんな風に語ってもらえて、多喜二も本望だろう。
「そう、『蟹工船』は、まるで魚のあらや、ぶつ切りのごぼうやこんにゃくや野菜を、大きなお鍋で煮た粕汁のようね! どろどろした白い汁に浮かぶ鮭や鯛の頭に引いてしまいそうになるけれど、思い切って口に入れてしまえば、荒々しい旨みが舌を震わせ、酒粕の原始的な香りに酔わされ、おなかも心も熱くなるの!」
(「“文学少女”と革命する労働者〈プロレタリア〉」)
あくまでも、『蟹工船』も『“文学少女”』も文学作品だ。それ以上でも、それ以下でもない。しかし、「文学の力を侮らないで」という、遠子先輩の根拠のまったくない、わけのわからない迫力には、私も圧倒されっ放しで、最後はホロリと来た。長生きしすぎたようだ。
「けど! 彼らはその失敗によって、目覚めるのよ! 革命を成功させるためには、全員が団結して、立ち上がらなければならないんだって! そのときにこそ、自分たちは勝利をつかみ、社会は真の意味で変革されるんだって!
そう、まさにその瞬間、酒粕を飲みこんで、おなかと頭がカァァァァッと熱くなるような感動が、読み手であるわたしたちに、押し寄せるのよ!」
ぜひご一読を。
(しかし琴吹さん、かわいすぎ。舞花おそろしい子。反町・森のバカップルぶりも、いい感じだ。ハイネ、わが友よ)
外伝の“見習い”シリーズと完結編を読み終え、今は「挿話集」へ。
小林多喜二の「蟹工船」まで出てくるのに、一瞬面食らいつつ、野村美月さんこそは本物の“文学少女”だと思う。
私は同志多喜二の作品の熱心な読者ではないが、自分以外に「カムサッカ体操」がどんなものか気になった人がいたのは、心強い。何より、こんな風に語ってもらえて、多喜二も本望だろう。
「そう、『蟹工船』は、まるで魚のあらや、ぶつ切りのごぼうやこんにゃくや野菜を、大きなお鍋で煮た粕汁のようね! どろどろした白い汁に浮かぶ鮭や鯛の頭に引いてしまいそうになるけれど、思い切って口に入れてしまえば、荒々しい旨みが舌を震わせ、酒粕の原始的な香りに酔わされ、おなかも心も熱くなるの!」
(「“文学少女”と革命する労働者〈プロレタリア〉」)
あくまでも、『蟹工船』も『“文学少女”』も文学作品だ。それ以上でも、それ以下でもない。しかし、「文学の力を侮らないで」という、遠子先輩の根拠のまったくない、わけのわからない迫力には、私も圧倒されっ放しで、最後はホロリと来た。長生きしすぎたようだ。
「けど! 彼らはその失敗によって、目覚めるのよ! 革命を成功させるためには、全員が団結して、立ち上がらなければならないんだって! そのときにこそ、自分たちは勝利をつかみ、社会は真の意味で変革されるんだって!
そう、まさにその瞬間、酒粕を飲みこんで、おなかと頭がカァァァァッと熱くなるような感動が、読み手であるわたしたちに、押し寄せるのよ!」
ぜひご一読を。
(しかし琴吹さん、かわいすぎ。舞花おそろしい子。反町・森のバカップルぶりも、いい感じだ。ハイネ、わが友よ)