中学生の時、「風と共に去りぬ」の映画熱が冷めやらぬうちに、原作本を読もうとして、一ページ目の一行目で挫折した。頭が悪いのは仕方ない。けど、この度、翻訳本が数々出ているのを知り、部分的にではあるが、よみくらべてみると、翻訳の仕方にも問題があったのでは?と自分を少し慰めることにした。
問題の冒頭がこれである。
「スカーレット・オハラは美人というのではなかったが、双子のタールトン兄弟がそうだったようにーー」
え? 何ですって?そうだったようにって?どういうこと?今、物語始まったばかりですけど。何がそうだったようなんですか?そうだったことを最初に教えてくださいよ。こんなの意味不明。この文章、変でしょ?!
賢い人は、スルーして読み進めたんでしょうね。しかし頭の硬い私はここで大きく躓いた。さらにそれ以後はスカーレットのファミリーヒストリーが難しい単語のオンパレードで克明に綴られていく。まったく興味が湧かず、もはや退屈極まりない。映画のドキドキハラハラはどこ行った?ここには見当たらない!と早々に中学生の私は本を放っぽりだしてしまった。
ところで、今回、新訳をされた鴻巣さん、荒このみさん、林真理子さんを所々読み比べてみたけど、冒頭に「双子のタールトンがそうだったように」の一文がでてごないのは、林真理子さんの「私はスカーレット」だけだった。(林真理子さんのは、タイトルがもう風と共に去りぬじゃないから、訳の自由度高いからかもしれないけど。)タールトン兄弟がでてくるのは、2ページ目で、その後にスカーレットのファミリーヒストリーが語られることもない。なので、もし、中学生の私が読めばもう少し先まで読めたかもしれないな。
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