長い梅雨のあとは猛暑到来
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今日も暑いです
この暑さは台風の影響とのこと
日本列島の西には台風
東は暑さ
全国的に厳しい天候です
皆さま、くれぐれも用心ください
さて
ここのところ私事に忙しく
俳句をこっちに置いている日々でした
やっと落ち着いた今日
久しぶりに俳句と向き合っております
...しかし出来ん!
一句も出来ない
そんなときにはこれ
もう20年も前に発行された
山崎聰主宰の「季語のある風景」を読んでみます
月毎にその季節の季語と
それにまつわるエッセイが添えられた
響焔誌に連載されたものを纏めたものです
さっそく8月の章を見てみましょう
「炎天」「蟹」「花火」「汗」など
全部で12の季語について書かれています
そのなかで「夾竹桃」の章に
こんな言葉がありました
「花などを俳句で扱うのは実に難しい。絶対にその花でなくてはならないという、動かぬものとして一句の中に存在させるのが難しいのだ。(中略)その花の本質まで踏み込んで、それが今の自分とどう関わるのかを書かなければ、花はただの添え物になってしまう。」
自分の句を振り返ると
添え物の花達、います
その季節に咲いてるから~
と、安易に持ってきていること
ありますよね、きっと
でも確かに
自分の中でその花の
他には変えられない存在感を感じたとか
その花が、句の言いたいことに
ビシーっとハマったと感じたときは
手応えがあります
そういうときは
句会にも堂々と出せますが
添え物感あり、と自覚しているときは
そーっと出す...
それにしても我が主宰
言っていることがぶれないな~
20年前も今も言っていることは同じ
「本質まで踏み込め、本質を見ろ書け」
もうすっかり身に染みています
実践できるかはまた別の話ですが...
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