春でなく夏でもなくて五月晴
やや、これはかなりの問題作。季語が三つ、である。
うむ、だけどこの句の季語は間違いなく「五月晴」だろう。「春」も「夏」も「五月晴」のことを言うための言葉に過ぎない。
梅雨時の晴れ間。もう春の余韻は感じられない。日本特有の蒸し暑さに夏がもうそこまで来ていることを感じる。とは言え、時折吹く風が心地よく、まだ夏の暑さとは違うと思う。まさに春でなく夏でもない五月晴。言われてみればそうなのだけど、誰もこんな風に詠んだ人はいない。作者は季語を三つ使うという離れ業までしても、どうしてもこう言いたかったのだ。普通じゃない。だから面白い。ハッとする。
歳時記の季語ではなく、身体の中から出てきた季語だ。季語は作者の意志、決意なのだ。
今年最初の薔薇が咲きました