先月末に母が亡くなりました
葬儀も終わり
今は亡くなった後の
手続きや片付けなどをしています
今はまだ忙しさもありますが
俳句に向かう気持ちになれなく
今月はすべての句会を休んでいます
そのようなわけで
記事にすることがありません
ですので私が所属する「響焔」誌の今月号より
主宰の言葉をご紹介します
葬儀も終わり
今は亡くなった後の
手続きや片付けなどをしています
今はまだ忙しさもありますが
俳句に向かう気持ちになれなく
今月はすべての句会を休んでいます
そのようなわけで
記事にすることがありません
ですので私が所属する「響焔」誌の今月号より
主宰の言葉をご紹介します
編集後記の山崎聰主宰の言葉より
「『下手上手は気にするな。上手でも死んでいる画がある。下手でも生きている画がある』と云ったのは、画家の中川一政だったか。
世阿弥も『上手は下手の手本なり。下手は上手の手本なり』と云っている。通底するものは同じだろう。
俳句も同じことが云えるのではないか。うまいなあと思うが感動しない俳句。決してうまくないのだが、何か心に訴えてくる俳句。つまり俳句も、かたちではなく、こころだということか。」
また巻頭ではこうも言っています
「俳句という形があってそれに合わせて何かを云ったのでは俳句以上のものはできない。自分勝手に思うことを云ってそれが俳句になっている、というのがいちばんいいのだ。季語などあとから考えればよいこと。」
俳句の形ばかりにとらわれない
歳時記にあるような、いかにもな季語を使わない
いつも句会で言われます
しかし初心の頃はこれが実は難しい
俳句をやっているのだから
俳句の形にしたいわけです
でも句会で私がいただくのは
そうでない句ばかり
何故か?
読んでいて心に何かが残るから
読後にワクワクするから
感性を刺激されるから
「かたち」より「こころ」
何事にもね
「『下手上手は気にするな。上手でも死んでいる画がある。下手でも生きている画がある』と云ったのは、画家の中川一政だったか。
世阿弥も『上手は下手の手本なり。下手は上手の手本なり』と云っている。通底するものは同じだろう。
俳句も同じことが云えるのではないか。うまいなあと思うが感動しない俳句。決してうまくないのだが、何か心に訴えてくる俳句。つまり俳句も、かたちではなく、こころだということか。」
また巻頭ではこうも言っています
「俳句という形があってそれに合わせて何かを云ったのでは俳句以上のものはできない。自分勝手に思うことを云ってそれが俳句になっている、というのがいちばんいいのだ。季語などあとから考えればよいこと。」
俳句の形ばかりにとらわれない
歳時記にあるような、いかにもな季語を使わない
いつも句会で言われます
しかし初心の頃はこれが実は難しい
俳句をやっているのだから
俳句の形にしたいわけです
でも句会で私がいただくのは
そうでない句ばかり
何故か?
読んでいて心に何かが残るから
読後にワクワクするから
感性を刺激されるから
「かたち」より「こころ」
何事にもね
形より心・・・良く分かります。
ただ、私の場合、的確な心の伝え方が良くわからない。
私の思いは、こんなんじゃない。
どんな言葉を使えば、この思いを的確に伝えることができるのだろう。そんなモヤモヤした思いからなかなか抜け出せなくて(TT)
やはり、俳句は、楽しいけど辛い・・・
モニカさんも、お辛いことと思いますが、忙しさが気持ちを紛らわせてくれる面もあるかと思います。
復帰をお待ちしています。
親が亡くなると、悲しんでいる暇がないくらいしなくてはいけないことが沢山ありますね。四十九日が済むまでは何かと落ち着かない毎日です。
こころを伝えるのって、本当に難しいですね。伝えたいことがあって色々やっているうちに、最初の思いと違うところに着地していることがあります。
俳句としてはそちらの方が良さそうなので、最初の思いを捨ててしまう...と言うより、またの機会に考えましょう、と割り切ってしれっとしています(笑)
思いが強すぎてもそこに拘ってしまってかえっていいものが出来ないこともあるし...
楽しくて難しくて辛いですね。
お元気にされていますか?
俳句、ブログで拝見しています。
亡くなった後の手続きや片付けなどは、残された人が悲しむ暇がないように、その様な気になるほどありますね!
残された人が、前向きに活動されるのが、故人への供養だと思っています。俳句に関する投稿をお待ちしています。
本当にその通りですね。
母が亡くなったその日から、次から次とやることが押し寄せて、悲しみに浸ることも出来ないくらいです。
今月からは句会に出るつもりです。またご報告記事が書きますね。