外国に暮らしているとインターネットで情報を得る事が多い。
インターネットで調べものしていると、学生の頃に書いた論文の事を思い出す。
正確には思い出すのは論文そのものでは無くて、それを書く過程の事。
あたしみたいな大して勤勉でも賢くもない場合、自分の言葉で結論までもっていくにしても、内容いろんな本や論文からの切り貼り。
データを自分で分析、みたいなこともした記憶無いし。
最初に自分の書きたいようなテーマの本をいくつか読んで、それらの参考文献なんかも見ていくうちに結論を考えて、後は、その結論に向けて肉付けをしていく。
自分の中で結論はもう出来ているから、そこへ導ける内容を本や新聞や論文から探してくる。パズルみたいに。(あ、ちなみにあたしは国際政治学を勉強していましたよ。ぶっ。)
そういうことを思い出す。
インターネットで調べものをすると、ある事象に対して、自分が見たいと思うものを選ぶ。自分がこうであってほしいな、と思っている事が書いてあるウェブサイトを選ぶ。そういう人の意見を聞く。
それだけを選ぶことが出来る。逆に言うと、ほかの人の意見は聞かない、無い、事になる。
この人の意見は自分の意見と違うな、と思うと、その人を批判している記事を探す(事も出来る)。
そしてそれをリアルな世界だと信じてしまう。事が出来る。
それってだいぶ、いびつ。
紙の辞書と電子辞書との違いとか、本屋さんで本を買うのとネット販売で、欲しい本を検索して買うのとの違いとか、そういう事とも似ているけど。
欲しい情報それだけしか見ない見えない。周りにはもっといろんなものがあるけど、それを手に取る時間も興味も無いし。という状況。
想像力も減っていく。というか想像する手間を省くというか。
関係あるかないかわからないけど。
日本にいると、お化けこわいなー。って思ったけど、外国にいると、お化けの想像が出来ないから怖くない。みたいな。
外国のお化けってどんなのかわからないし、どんな時に出てくるのかもわからないし。想像できない。とういか現実味を帯びるまで想像する、という手間を省くというか。