昔、通学路の途中などに駄菓子屋さんがあった。家のすぐ近くのパン屋さんは何故か「駄菓子屋さん」と言われ、小奇麗なパン屋の店奥に雑多な駄菓子を隠すようにして置いてあった。今思えば…である。別に子どもにとって、そんな事はどうでもよく、さっさと店の奥に行って目当ての菓子を選んだ。四角い顔の優しいおじさんと、笑うと目のなくなる丸い顔のおばさんがいた。
少し遠いがお気に入りだったのが、通称「リンゴ屋」。つるんと禿げて小柄だけど、目つきの鋭いお爺さんがいた。お爺さんが恐いんだけど、やっぱり行く。
こちらは年代ものの建物で、木枠で出来たガラス格子の扉をガタガタッと開けると店内は狭く、ちょうど子ども2人が並べる程の土間があった。目の前に置かれた低い台には、それはそれはカラフルなビー玉やおはじきやめんこ、銀玉鉄砲に、マルカワの丸玉風船ガム、ポリ風船などなど。上を見上げれば流行の野球カードや紙のプロペラの模型飛行機が所狭しとぶる下がるから、どれを買いたいのか分からなくなった。そこでお爺さんはジロっと見る。
一通り眺めると、最終目的はやはり駄菓子屋さん特有のあの四角いガラス瓶の中。エンジ色のふ菓子や、割り箸2本でこねる水飴、大きなりんご飴、長いタコ糸につけてあるイチゴやバナナの5円のくじ飴。何でも5円~10円で買えたような気がする。
店内は色とりどりで、皆が大好きで…。お爺さんの顔、恐いよねーと言いながら、やっぱり通うのだ。私が生まれ育った東京杉並の話である。
すごいでしょ?放ったらかしのユキヤナギ、庭の花。空き家の犬小屋を覆いつくしてものすごい勢力です!写真とは全く関係ないけど、犬小屋見てたら何故か思いついた駄菓子屋さんのお話でした。題して「駄菓子屋世代のストーリー」私の原点。長くなりそうだから、次回から単発シリーズにして書いてみようかと思います。
あなたの駄菓子屋さんはどんなでした?
ご実家が造り酒屋さんで、店先で駄菓子を売っておられたという「マロニエのこみち…。」さんが、古い貴重なお写真をアップしてくださいました。木枠のガラス格子の扉は・・・そうそう!こんな感じの扉でしたよ。よろしかったら、 懐かしの扉 を開けて、しばし、あなたのご幼少の思い出など浸ってみませんか。かわゆい「マロニエのこみち…。」さんも必見です!!
私がいつも通る団地のはポツポツの方で、これが良い。
ワーッと白いの、雪やなぎとはよく言ったと思いますね。
▼犬小屋から、駄菓子屋、、Lilacさんは、想像力が豊かなんだ。
”たけくらべ”の世界ですね。ちょっと古すぎるかな。
駄菓子屋はないド田舎で育ちました。
勢力が凄いから、後から後から芽を出して、、、高さ5cmほどでもすぐ花を付けています。
きれいな花でも、私にとっては憎っくき雑草感覚ありです。
昔は誰にでも…は言い過ぎでしたね。少し手直ししました。
以前マロニエのこみち…。さんの所でも話題に上がっていた駄菓子屋さんですから、
想像力だけじゃないけど、犬小屋ならぴったり来ませんか?
次回の写真がまた困りそうな話題で。。。
いいな~放ったらかしのユキヤナギ・・チョンチョン切るより、それくらいの方が絶対綺麗だよ~(T^T)
犬小屋でしたか・・一瞬ブルーシートに見えた・・(^^;)
駄菓子屋の記憶はあまりないのよね・・振興住宅団地だったから、ちっちゃなスーパーがあって、そこで買ってたし。。
何を買ってたんだろう?記憶ない・・ヤバっ・・(汗)
あ!ガム買ってた。四角い箱に入った丸いガム。。。
ポリ風船ってのは、ストローの先にガムみたいなをつけて膨らませるやつ?それは好きだったわ(^^;)
切らなくて正解。場所があるから伸ばし放題。もうすぐ大吹雪?
雑草感、同感です。結構、引き抜きにくいのよね、特に木の間から生えてるのは・・とあまり草抜きしない私が申しております。
私も昔、毎日10円もらって通いました。100gいくらと書いてあるお菓子を10円分計ってもらって買うのが楽しみでした。
Lilacさんのように、記憶がよくないので、お店の人がどんな髪型や顔をしていたのかどうしても思い出せない。
全くの世間知らずですね、というのも、母が箱入りのものを買ってきて、それをわたし達に分けていたからです。
駄菓子屋でモノを買った経験が無い、考えてみれば寂しい子供時代ですね。
我が家はこんなのでした!
酒屋なのに、生活雑貨や、子供のおもちゃや、駄菓子もあって・・万屋さん(笑
割り箸2本でこねる水飴、これ、懐かしいなあ・・・
味まで思い出しますよ
ジュースも、粉末のオレンジジュースとかありましたね^^
小学校の誕生会のときなどに、学校から頼まれて
小さな茶紙の袋に、予算分のお菓子を、子供たちの人数分
詰めたりしていたのです
よくお手伝いさせられました
>こちらは年代ものの建物で、木枠で出来たガラス格子の扉をガタガタッと開けると店内は狭く、ちょうど子ども2人が並べる程の土間があった。
あはは・・我が家だわ(笑
長閑な時代でしたね♪
続編楽しみにお待ちしています!
『駄菓子屋』という名詞を知ったのはいつの頃だったでしょうか。幼い頃からそのときまで、その種の店(と言っても1軒しかなかったのですが)は『すみや』と呼んでいました。なぜ『すみや』なのか、それを知ったのも後年のことでした。答えは簡単、その店が木炭、練炭を商う『炭屋』だったからです。本当は『○○商店』という名があったのかもしれませんが、近隣でも『すみや』で通っていました。店の一画が「駄菓子コーナー」だったわけですが、子供の頃に炭などに目が行く訳もなく、視界に入るのは魅惑の「駄菓子」だったので、駄菓子以外のものは思い出してみますが、闇の中にあります。
『すみや』で思い出すのは、ストローにゼリーの入ったもの。1本1円だったので、遠足のおやつは50円以内というときには不可欠のお菓子でした。
もう一つは、「ねぶりクジ(「ねぶる」とは「なめる」)」です。『スカ』というはずれクジには泣かされましたよ。10円玉を握りしめて、はるばる小学校の校区外にまで出かけたのに…。
今日の記事にUPしました(笑
そこから今日のおやつと言って母が分けてくれてました。
それと母の実家がお寺でしたので、供物のお下がりが運ばれてちょっと線香臭いお菓子とか(笑)
バラメルと言ってキャラメルがバラで一個1円で売ってました。10円貰ったら大喜びでしたね!
妹たちの頃になると、駄菓子やさんが子どもたちの溜まり場みたいに大流行だったと思います。
大概年寄りの家の玄関先が多かったです、
まだスーパーというのがありませんでしたもの・・
夕方には紙芝居屋さんが自転車でやって来ました、型抜きのガム(?)を買って見るんです、上手に型抜きが出来ると翌日はタダで見れたと思います。
だんだん想いだしてきますね~
コメントもシリーズにしなければ(笑)
また今度にします!
「まちだ」「いしかわ」と、苗字で呼んたところは、屋号がなかったんでしょう。
変わってたのは「ばばみせ」「じじばば」これはどちらもそのとおり、お年寄りがやってたってことです。
子供達の間でも、ちゃんと縄張りがあり、たまに違うお店に行こうものなら、そのあたりの子供達ににらまれたものでした。
売ってるものが微妙に違うので、にらまれるのも覚悟でたまに行ったものです。
10円持っていくと5円おつりをもらった時代です。