1月11日、阿倍野区民センターで、ドキュメンタリー映画『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』を見に行ってきました。
差別が生んだ冤罪、狭山事件がこれまでにない視点から描かれており、たいへん興味深く見ることができました。
石川一雄さんは、1963年5月1日に埼玉県狭山市でおきた女子高校生の誘拐殺害事件の犯人として一審は死刑判決、二審では無期懲役判決が宣告されました。石川さんは再審を求める中、1994年12月仮出獄し、その翌年、裁判の支援者の一人であった早智子さんと結婚しました、
映画ではその夫婦の日常生活が丁寧にとらえられていました。70歳を超えた男性である石川さんが皿洗いなどの家事を当たり前のようにやっているところに、二人が築き上げてきた新しい関係の一端を見ることができました。
ほのぼのした日常だけでなく、裁判所の前で再審を訴え続ける二人の姿、そして石川さんの両親の墓には早智子さんだけがお参りをする姿に、「殺人犯」の汚名を着せられ続けた厳しい現実が感じられます。石川さんが獄中にある間にご両親とも亡くなり、石川さんは「いい知らせを届けたい」と、無罪判決を勝ち取るまでは墓参りを自らに禁じているということでした。
石川さんを支える様々な人たちが映画には登場します。布川事件や足利事件で再審無罪を勝ち取った人たちは、奇しくも石川さんと同じ時期に同じ刑務所で過ごした「獄友(ごくとも)」でした。布川事件で再審無罪が勝ち取られた時に、石川さんはそのことを喜びつつも、どうして自分の再審は…という苦しい気持ちが握りしめた拳に表れていました。
石川さんのお兄さん夫婦の話は初めて聞くことだったので、本当にびっくりさせられました。二人が結婚したのは事件の翌年、石川さんがまだ無実のための闘いを始めてもいない頃でした。「“殺人犯”の兄との結婚などとんでもない」という周囲の反対を押し切って二人は結婚したのでした。「どうしてなのか、今でもわからない」と笑いあう二人に、恋愛というものの強さと不思議さを感じました。それは、石川さん夫婦についても言えることです。
上映後、監督の金聖雄(キムソンウン)監督が挨拶をされました。監督は大阪の鶴橋の出身で、その点にも親しみを感じました。この映画の上映によって石川さんのことを一人でも多くの人に知ってもらいたいと語る監督は、この場に来た観客に“ノルマ”を押しつけました。それは、最低でも10人にこの映画のことを語ってほしいというものでした。したがって、この記事を10人以上の方が読んでくだされば私のノルマは達成されたということになります。(笑)
1月13日(月)には、兵庫県神戸市兵庫県民会館けんみんホールにて、石川さんご夫妻と金聖雄監督が来られての上映があります。
(1回目 開場14:00 上映14:40~ 2回目 開場17:30 上映18:10~)
その他の上映は、公式ホームページをご覧ください。
http://sayama-movie.com/
1月~2月には大阪でもたくさん上映会がおこなわれます。ぜひ見に行ってみてください。(鈴)