7/17の「脳死臓器移植法」改悪から1ヶ月余り。すでに5例もの「脳死」判定が行われ、臓器が摘出され全国に散らばる。
意思表示していたという方が1名、あとの4名は意思不明のまま。
家族との関係が良好であったとしても、家族がOKすれば、「脳死判定」され、臓器が摘出される。
新聞やニュースの中には、脳死判定について家族が決断するとき、落ちついて考えたりする環境が整えられているのか~という疑問、移植ネットの公開の仕方について不十分だとして批判している。
確かに何の情報もださず、プライバシーだといって隠し通している。
でも、問題はそれだけではない。
その時の家族は、どんな気持ちなのか。
どの方の家族でも、表明されているという言葉として報道されているのは、「もう助からないなら、だれかの体の中ででも生きてほしい」。
そう、家族は「生きていてほしい」のだ。
それは、脳死判定して「死」を決断するという気持ちではなく、むしろ「生きていてほしい」から、どうしたら生きていてくれるのかという関心からでてきた「結論」なのだ。
そんな状態にある家族の気持ちをも最大限利用して、瀕死の状態にある人を死に追いやってしまう、
このあからさまな臓器狩りの考え方に、どうしても許せないという気持ちが沸いてくる。
──by あゆむ
意思表示していたという方が1名、あとの4名は意思不明のまま。
家族との関係が良好であったとしても、家族がOKすれば、「脳死判定」され、臓器が摘出される。
新聞やニュースの中には、脳死判定について家族が決断するとき、落ちついて考えたりする環境が整えられているのか~という疑問、移植ネットの公開の仕方について不十分だとして批判している。
確かに何の情報もださず、プライバシーだといって隠し通している。
でも、問題はそれだけではない。
その時の家族は、どんな気持ちなのか。
どの方の家族でも、表明されているという言葉として報道されているのは、「もう助からないなら、だれかの体の中ででも生きてほしい」。
そう、家族は「生きていてほしい」のだ。
それは、脳死判定して「死」を決断するという気持ちではなく、むしろ「生きていてほしい」から、どうしたら生きていてくれるのかという関心からでてきた「結論」なのだ。
そんな状態にある家族の気持ちをも最大限利用して、瀕死の状態にある人を死に追いやってしまう、
このあからさまな臓器狩りの考え方に、どうしても許せないという気持ちが沸いてくる。
──by あゆむ
あの子どもは、だれかの身体の中で生きていたいのか。そんなことはない、自分が生きたいに決まっている。
その子の命を救うために本当に必死の救急医療がなされたのか。
脳死判定を受けることになる子どもが目を開いている訳がないと思うのだが、目が開いた人形しか用意できなかったのか。だがその人形の目は明らかに「僕は医師たちに寄ってたかって殺される」と訴えていた。
「3歳児脳死」想定し訓練 臓器移植で兵庫医大(京都新聞)
http://www.kyoto-np.jp/environment/article/20100828000044
私もその内容のニュースをテレビで見ました。目を見開く人形…少し驚きました。
7月末に報道された記事の中で、ひとつこんなものがありました。
ある病院で、かなり重篤な状態の患者が運ばれてきて、今から救命のためにと考えていた医師が、家族から本人がドナーカードを持っているので臓器移植できないのかと言われ、ものすごくためらって言葉をなくしたというものです。救命のための治療と、臓器移植のドナーになる場合では、全く逆の処置が行われる訳で、まさにその分岐点で救命を諦めるということが医療なのかどうかと、その心ある救命医は感じたのでしょう。