
共謀罪法の狙いは、政府や権力者に逆らわない、いや逆らおうというような気持ちさえ持たない従順で善良な国民の育成に他なりません。それは憲法9条を変えて日本を「戦争する国」にしたい安倍政権にとって不可欠な要素です。よろこんで戦争に協力し命を投げ出す覚悟のある国民。少なくとも戦争に反対したり国のやることに異議を申し立てるのではなく、国策によって引き起こされる災厄を「自分の責任」と甘受することのできる国民の育成です。
共謀罪法がはじめて国会に提出されたのは小泉政権下の2004年2月20日第159回国会です。この時の法案は2005年8月に廃案になりました。これ以降も共謀罪法は執拗に国会に提出されましたが、それぞれ2006年6月、2009年7月に廃案となっています。にもかかわらず安倍政権は今回「テロ対策法」と名前を変えて国会提出し成立を目指しています。
政府は、国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(国際組織犯罪防止条約、TOC条約、パレルモ条約)批准にとって、共謀罪法制定が不可欠と宣伝していますが、それは真っ赤なウソです。日本は、この条約本体について2000年12月に署名し、2003年5月国会で承認しました。あとは批准書を国連に提出すれば済む話ですが、10年以上放置しています。国連に提出して拒否されたという事実も一切ありません。
共謀罪法は、戦争に国民を動員する有事法制、米の戦争(アフガニスタン戦争、イラク戦争)への日本の具体的協力・加担、教育の反動と道徳教育化、そして憲法改悪等とセットになって登場しました。もちろんこれは偶然ではありません。
小泉政権は、米国によるアフガニスタン戦争への協力とイラク戦争への協力をそれぞれテロ特措法、イラク特措法で着実に進めながら、日本の有事法制である「武力攻撃事態法」の制定(2003年)と戦時における国民の協力義務を想定する国民保護法(2004年)を制定しました。
これと同時に進行したのが、政府に逆らわない、愛国心をもった「よき国民」を作るための教育改革です。すでに1999年に、のちに日の丸君が代を教育現場に強制することになる国旗国歌法を成立させ、2001年には中央教育審議会が教育基本法改定を文科相に答申しましたた。これを受け、教育目標を人格形成から徳目教育による人材育成にかえる反動的な教育基本法が強行成立するのは2006年です。2002年には「心のノート」が副読本として配布され、道徳教育の教育現場への浸透がはじまります。また2005年には、9条を改定し自衛軍保持と戦争を合憲とする自民党新憲法案が提出されました。
あらためてこれらの動きをまとめると①米の戦争への加担・協力のための法律制定、②政権を支持し国を守る気概を持つ国民の育成、そのための道徳教育の教科化と教育勅語教育、幼少期からの愛国心醸成、③政府に反対する運動や市民団体の取り締まりと弾圧、国民が政府を批判したり反対する思想や考えを持つこと自体を処罰する法律制定、④国民監視・盗聴盗撮の合法化、⑤国家機密の策定と保持(特定秘密保護法)、⑥究極は平和憲法そのものの改悪です。
自衛隊を海外派兵する法律をつくり、道徳教育で多くの「善良な市民」を作り上げたとしても、かならず国の教える道徳に反し政府批判をする市民は出てきます。道徳教育だけで彼らを強制したり、逮捕して牢屋にいれることはできません。それを可能にするのが共謀罪法なのです。
政府批判をしたらどういう目に遭うかわからないという恐怖心を植え付け、「非国民」をあぶり出し排除すること、批判的言論や運動だけではなく、そのような考えを持つこと自体を一掃してしまおうというのが共謀罪法なのです。
政府はテロ等準備罪に名前を変え、取り締まり対象は犯罪組織に限るなどと、あたかも以前の法律案とは違うかのように宣伝しています。ところが当時から「暴力団など犯罪の実行が目的である団体に対象を限る」などの修正案が与党から出されていましたが、夫婦や友人であっても2人以上は「犯罪組織」と見なされ、話し合っただけで共謀罪に問われる危険性などが指摘されていました。この本質は全くかわっていません。
「テロ対策」「2020年の東京五輪のため」などというのは、これ幸いとばかりに政府が持ち出してきた理由に過ぎません。安倍政権は今でもメディアに対して圧力をかけ、政権批判をするキャスターを降板させたり、番組をさしかえたり、政府に都合の悪い情報の一切の封じ込めたりしている状況があります。共謀罪ができれば、単なる政治的圧力から共謀罪での犯罪捜査へと発展する危険性さえ出てきます。
(ハンマー)