帯には、「李忠成、鄭大世、孫正義・・・彼らが日本に生まれ育ったのはなぜ?」。「在日」の人たちの成功物語かと思って読み始めましたが、全く中身は違いました。シリーズ「中学生の質問箱」の一冊で、中学生が手に取り易くするために、誰でも知っている人物が上げられているのだと思います。中学生だけでなく、すべての日本人が読むべき本だと思いました。
日本が行った過去の侵略戦争の歴史を学ぶことは絶対に必要。しかしそれだけではだめ。侵略戦争と現代日本は深く結びついている。それが「在日」の人たちの存在だ。ありとあらゆる形で、日本は「在日」を差別し排除している。社会システムとして、社会構造として、差別性をもっている。しかも大多数の日本人が、自分自身が民族的マジョリティという認識もなく、「在日」を差別し排除しているという自覚もなく暮らしている。
そんなことを思い知らされました。
日本国憲法が発布される前日に外国人登録令が出て、日本の旧植民地出身者でむりやり日本人とされてきた在日朝鮮人・台湾人などから選挙権が剥奪されたこと、その理由が国体(天皇制国家)を護持するためであったこと、健康保険や年金など社会保険も長期にわたって放置されてきたこと、15歳になると犯罪者のように指紋押捺が義務づけられてきたこと、学齢期になると「日本人」には当然のように役所から入学の手続き案内が送られてくるが「在日」の家庭には送られてこないこと、結婚差別、就職差別、居住差別などが根強く残っていること、「チョーセン」が根強い差別語になっていること等々。
日本で在日朝鮮人=特別永住者が存在し、その人権が剥奪され、無権利状態に置かれていること自体が、戦争責任問題そのものだという思いを強くしました。
著者徐京植さんの母親の言葉がとても印象的です。
徐さんがが子どもの頃、「朝鮮人」などといじられて家に帰ると、母親がぎゅっと抱きしめて「朝鮮ちっとも悪くない」と語ってくれたといいます。
徐さんは母親が自信を持ってそういえた理由を、教育をうけていなかったからではないかと言っています。母親は字が読めず小学校にも行っていません。それによって天皇の赤子になるべく皇民化教育を受けていないことが、こういう形での朝鮮人としての誇りを失わせずにいたのではないかと言うのです。
徐さんは大学で講師をしていますが、講義後に学生が次のような感想を書きました。
“高校時代に朝鮮人と思われるクラスメートが、他の日本人の生徒と一緒になって朝鮮人のことを笑いものにしていた。なぜ堂々と朝鮮人と名乗れないのか。在日朝鮮人は、民族的誇りがないのではないか。アイデンティティが欠如しているように思う。”
日本社会が、在日朝鮮人として名乗り出ることが困難な状況を生み出していることの自覚の欠如はさておき、これに対して著者は次のように言います。
「在日朝鮮人はアイデンティティをもったほうがいいと私は思っていますが、それはこの学生が思い込んでいるような『自国や自民族を誇る感情』のことではありません。それは空疎で危険な感情です。自分がなぜここにいるのか、自分が感じている劣等感や生きにくさは何に由来するのかを考え、自分は胸を張って生きていいのだと思える、そういうアイデンティティです。自分たちは弱かったり、少数であるために差別されているけれど、しかし他者から奪ったり、他者を差別したりしてはいない、恥じるべきことは何もない、という意識。つまり『朝鮮ちっとも悪くない』という意識のことです。」
この本は、「在日」はじめ少数者を差別し排除する日本社会のあり方を問うとても厳しい内容です。そのためか、この本を読んで不愉快な気分になる人も少なくないようです。
そんな社会をかえるために何をしたらいいかわからないというのもあるのかもしれません。しかし、まず事実を知っているかどうか、自覚しているかどうか、痛みを感じているかどうか、目をそらすかそらさないかはとても大きな違いになると思います。
本の中で、日本人の中高生が友人から、「私これまで言わんかったけど、実は朝鮮人やねん」と打ち明けられ、「そんなんどうでもいいやん、気にせえへん、ずっと友達や」と答えて、友達関係が崩れたという例がたくさんでてきます。日本が過去朝鮮半島に対してどんなことをしたのか、今どういう社会を生きているのか、知っているかいないかで答え方は大きく違ってくると思います。
(ハンマー)