Nature d'eau

日々の思いをつづる

逆説的な考え

2008-05-27 08:48:25 | 肝炎
今朝新聞を読んでいたら、採血針の使いまわしのことに対する投書が載っていました。
投稿した方も注射針により肝炎となり、昨年治療を終えたばかりだと。

これほど肝炎の問題が取り上げられている中、あきれるばかりだと書いてあり、まったく同感でした。
こういうことはあってはいけないことで、危機感がないんだな、とまさに肝炎など他人事とととらえてる世間を見たようでした。


それなのに実は、、

「治療を終えたばかり」の一言にズキッと心が痛む。

これが厄介な私の傷。

この1年、他の人にとって(健康な人も他の肝炎の人も含めて)何も傷つかないようなことで一人傷つきまくってました。
治療を中断となって、再治療の道はない、この事実は自分だけでかかえてるしかない。
ネット上でも同じケースは見つからなかった。


もちろん投稿した方に対する変な感情はありませんよ。自分の厄介な傷について書いてるんです。

新聞に投書すること自体が勇気あることだし(実名でした)内容はまったく同感。

治療を終えたという一言に傷つくこと自体馬鹿げている。

いや、もう自分を責めるのもよそう。

こうなってしまったことで心に傷を負わないほうがおかしい。
傷つくことも当たり前。これを抱えて生きるのも私の人生。。

傷つきたくないなら、新聞もTVもネットも見ないで世捨て人のように生きるか(笑)


どうにも落ち込んでいく中、ふと思い出した。

ホリスティック医学協会会長の帯津良一先生の文章である。

これ本の文章の抜粋で、こういうのブログに書いていいのかな?
いちおう「Katarotto」という隔月刊誌 2007 vol.1に書いてありました。

旅情と言うタイトルで。

「私の病院では患者さんやご家族と面談を行い、病状をお伝えしたり、今後の病気に対する戦略会議をしたりします。経過がいい患者さんはニコニコしながらお話をすることができますが、腫瘍マーカーが上がっていたり、腫瘍が大きくなっていると、どうしても場が重くなってしまいます。
それまで一生懸命に明るく前向きに生きてきた方も、私が「ちょっと大きくなっていますね」というと、その瞬間に前向きも明るさもどこかへ吹っ飛んでしまいます。暗く後ろ向きになってしまいます。
瞬時の出来事です。それだけ『明るさ』『前向き』はもろいものなのです。
そんなことから私は人間と言うものは本来、『悲しくて寂しい』ものだと決めることにしました。

・・・・・悲しみをベースにした生き方は、どんなことがあっても揺るがない強さがあります。私は明るく前向きに生きることをよしとする人には人間としての深さを感じません。
・・・出来れば悲しみをたたえた深い人生をしっかりと噛みしめながら歩んでいる人とお付き合いしたいと願ってます」

長い抜粋をしてしまいました。
この文章は悲しくていいんですよ、と言われているようで救われる思いでした。

落ち込むと「明るくあれ」、という風なことをよく言われますが、悲しみの中にいるときに無理して明るく振舞うことは大変なストレスです。

無論、笑うと免疫力が上がる、とは知ってますが、泣くことだって脳内リセットとなるのですよ。


まったく明るいだけの人生はありえない。
悲しみや落ち込みを否定し続けるのもそれも違う。。そう思う。





Rie Fu  「Life Is Like A Boat」