
書こうと思っていながら、でもどう書いたらいいんだろう、と思っていたことが。
でもmiyaさんがブログで書いてらっしゃったこと、私も思っていたことでした。
もう私にはあれ以上には書けることなどないのですが、今こういう状況、こういう場所にいるならではの感じていること。
一度も諦めてないのですよ。人の心の中は他人には100%分からない。
だから追いつめないで。触れないで欲しいこともあるし、辛い選択を強いられることもある。
辛い選択をせざるを得ない場合、誰にも何も言えることなどないのです。
そっと寄り添うのみ。
(とはいえ、私がIFN出来ない状況になってから、誰か嘘でもいいから私にも治る、と言って、、、と心の底で思っていました。 うーん、かなしい叫び。)
もし私が12週内で陰性化して、普通に48週の治療コースなら、
今思っていることは感じなかったのでしょうか。
なかなかウイルスが消えない状況の中、
苦しい選択を選び続けなければならない。それだけで頑張りすぎるほど頑張っているのです。
そんな人たちを追い詰めることを私は許さない。(今回過激です)
今までの自分をよく見てみると、無神経なことや、人のことをよく考えなかった部分が多いと思います。
そんな自分がこんな状況になり、初めてよく考えるようになった。
無神経な人間だったから病気がうまく治らなかった、と言いたいわけじゃないですよ。
治療がうまくいかなかったことの意味づけ。自分なりの意味づけです。
なんでも無駄なことなどありはしない。得たものを数えているんです。
こういうことを考える機会を与えられたこと、それも得たものだと思います。
病気に関しては、miyaさんへのコメントに書いたように諦める人などまずいない、と思います。
諦めないけど、表面の出方は人それぞれ。
強気で挑むわかりやすい人もいれば、一見投げてるように見せる人もいる。
根底は同じです。誰も諦めていない。
自分の性格では、いつも強気で攻め続ける、というのはすぐに息切れがします。
そういうやり方ではかえって短命に終わる。
時に、弱音を吐かせて、ちょっと泣かせて、、と一呼吸しながら。
泣くことも脳内リセットです。そんなときはそっとしておいて欲しい。
山の頂上がまだ見えない。視界がまだ広がらない。
でも希望は捨ててない。IFN出来ない私でも諦めていないのです。
でもそれを周囲に強要されると追い詰められて崖から落ちそうになる。
不安定な綱を渡っている自分。どうか揺らさないで。
ウイルスに関しては、うまく付き合いながら、と言われるのはとても嫌ですね。
好きでウイルスと付き合っているわけではない。消滅して欲しいに決まってる。
けれど、
あまり固執しない方がうまく転ぶのだな、と思ってました。
もういいや~って諦めるとうまくいく。
頭痛もそうでした。もう治らないや、と思っていたら、ひょんなことで回数が激減。2日に1度痛んでいた頭が月に数回。
これはきっと心の底から諦めたわけじゃなくて、投げ出したことによって
いい具合に肩の力が抜けて、いいスイッチが入ったのでしょうね。
なので諦めない、諦めない、と意固地に言い続けるのでなく、
肩の力を抜いていきたいのです。
それも諦めないやり方。
でもmiyaさんがブログで書いてらっしゃったこと、私も思っていたことでした。
もう私にはあれ以上には書けることなどないのですが、今こういう状況、こういう場所にいるならではの感じていること。
一度も諦めてないのですよ。人の心の中は他人には100%分からない。
だから追いつめないで。触れないで欲しいこともあるし、辛い選択を強いられることもある。
辛い選択をせざるを得ない場合、誰にも何も言えることなどないのです。
そっと寄り添うのみ。
(とはいえ、私がIFN出来ない状況になってから、誰か嘘でもいいから私にも治る、と言って、、、と心の底で思っていました。 うーん、かなしい叫び。)
もし私が12週内で陰性化して、普通に48週の治療コースなら、
今思っていることは感じなかったのでしょうか。
なかなかウイルスが消えない状況の中、
苦しい選択を選び続けなければならない。それだけで頑張りすぎるほど頑張っているのです。
そんな人たちを追い詰めることを私は許さない。(今回過激です)
今までの自分をよく見てみると、無神経なことや、人のことをよく考えなかった部分が多いと思います。
そんな自分がこんな状況になり、初めてよく考えるようになった。
無神経な人間だったから病気がうまく治らなかった、と言いたいわけじゃないですよ。
治療がうまくいかなかったことの意味づけ。自分なりの意味づけです。
なんでも無駄なことなどありはしない。得たものを数えているんです。
こういうことを考える機会を与えられたこと、それも得たものだと思います。
病気に関しては、miyaさんへのコメントに書いたように諦める人などまずいない、と思います。
諦めないけど、表面の出方は人それぞれ。
強気で挑むわかりやすい人もいれば、一見投げてるように見せる人もいる。
根底は同じです。誰も諦めていない。
自分の性格では、いつも強気で攻め続ける、というのはすぐに息切れがします。
そういうやり方ではかえって短命に終わる。
時に、弱音を吐かせて、ちょっと泣かせて、、と一呼吸しながら。
泣くことも脳内リセットです。そんなときはそっとしておいて欲しい。
山の頂上がまだ見えない。視界がまだ広がらない。
でも希望は捨ててない。IFN出来ない私でも諦めていないのです。
でもそれを周囲に強要されると追い詰められて崖から落ちそうになる。
不安定な綱を渡っている自分。どうか揺らさないで。
ウイルスに関しては、うまく付き合いながら、と言われるのはとても嫌ですね。
好きでウイルスと付き合っているわけではない。消滅して欲しいに決まってる。
けれど、
あまり固執しない方がうまく転ぶのだな、と思ってました。
もういいや~って諦めるとうまくいく。
頭痛もそうでした。もう治らないや、と思っていたら、ひょんなことで回数が激減。2日に1度痛んでいた頭が月に数回。
これはきっと心の底から諦めたわけじゃなくて、投げ出したことによって
いい具合に肩の力が抜けて、いいスイッチが入ったのでしょうね。
なので諦めない、諦めない、と意固地に言い続けるのでなく、
肩の力を抜いていきたいのです。
それも諦めないやり方。
ほんと、じわじわ追い詰めらるのは苦しいですよね。弱音も涙でも愚痴でも何でも叫んでくださいね。
>肩の力を抜いて自分なりの諦めないやり方で
うんうん、ご自分の体やなのですから、どんなやり方でもじっくり考えて自分なりの諦めないやり方でええんですよね。
治療や人生も大体はその時なりの過程で「あきらめては<いない> <居られない>」し、
できるところまでは「あきらめたくない」んやおへんかな?て思いますわ。
少しずつでも自分にフイットした方法を積み重ね明るい方を見たいと考えてるのに、周囲から突っつかれると又、余計苦しくなるもの。
又、区切りや方向転換の決断をせざるおえない時もその過程で微妙に揺れて辛かったです。
それに、自身が希望を持ちつついても、ふっとしたきっかけでぐらりと揺れ複雑な気持ちになりました。
そんな時には「そっと寄り添うのみ。」 私もそう思いますわ。
今日はここに書かれたことで他の方へのロべりアはんなりの優しいお気持ちや微妙な胸の内もじんと伝わってきましたよ。
「明るい負へ、」「 良くなりますようにお祈りしてます。」「心身の声を聞いてゆっくり考えてね」
等と表現してきました。それが嫌な思いをさせていたらごめんなさいね。
ロべりアはんの「諦めないという意味」も前よりも更によく知る「気付き」にもさせて貰いたいです。m(、、)m
>それだけで頑張りすぎるほど頑張っているのです。
本当に充分、頑張ってきてはると思いますわ。ほんま、頑張りすぎると頭の中もぐるぐるしてしんどくなりますもの。
>初めてよく考えるようになった。
うんうん、素敵なことですよね。寒くて辛い時期を長く経験したからこそ考えられることですわ。
私の場合簡単には先が見えにくい状況の時、各方面からあれこれ構われると圧迫感があります。
自分でよ~く考える時間を経そうならはったんですね。
>なんでも無駄なことなどありはしない。得たものを数えているんです。
ほんと、「得たもの数え」って素敵なことですよね。得たこと数えや自分の得得事探しって書いていると気持ちが整理できたり迷いや嫌な事が癒えていく気がしますし。少しでも気持ちが楽になっていくならこれからも何でも書いてくださいね。(^^)
今日はあったかですから自然の気を貰って来たいと思いますわ(*^_^*)
私はいずれのツールでもOKですから、また、お話しましょうね。
書きたくて、でもどう書こう、、と思い続けて今書きました。
自分だけのことじゃなくて、頑張っている人、それぞれの方に思いを込めて。
自分がどんなことを辛く感じていたか、振り返ってみて。
>自身が希望を持ちつついても、ふっとしたきっかけでぐらりと揺れ複雑な気持ちになりました
私もそうなんです。しっかり気持ちを持っているつもりでもぐらりと揺れることは多々あります。
不安定な綱渡り、、そう表現してきました。
でもなんとか落ちずにきましたね(^_^;)
嫌な思いをしたことなんてありませんよ。いつだって良い心の栄養をいただきました。
ここ以外でのやり取りもほんとに助かった~~^^ 感謝、感謝。
私はいつも楽を選んできた気がします。
なので今回じっくり考えることが出来たのは、そういう成り行きだったのだと思ってます。
そういうことなしに人生が過ぎてしまっては、人を傷つけっぱなしだし、自分自身も実のない人生になったと思います。
病気は辛いけど、必要以上に辛いと考えないで、今できることを精一杯やるのみですね。
そうして必ず治癒にもって行きます。
お互いにそうしましょうね!
最近は更新情報はあまり利用せず(時々は見ていますが・・)、何人かの方々のところを定期的に拝見していることが多いのですが、あとで「あれま! 同じようなことを取り上げていらっしゃる、私がこれを受けて書いているのでは?と誤解されちゃうかな」と思うことも時にあります(大汗;)
普段やり取りしている方とは、アハハ~で通じると思っていますが・・(^^ゞ
自分のサイトはそれぞれの考えを自由に表現する場だと思うので、たとえ重なる要素があっても、やっぱり思いはそれぞれな訳で、ロベリアさんがこうやって書いてくださって嬉しいです。
重なるというのは、そういう思いを抱いている方が他にもいらっしゃるということも予想されますしね。
私のブログは、最近はなるべく他の人がどう感じるかと飾らずに、自分に素直に書くように努めて(?)はいますが、その瞬間はそうなのですが、二・三日たつと後悔することもありますね~(笑)。コメント欄を閉じたりレスコメで急に雰囲気が変わる(?)のもそんな時です。体調のことは、元々記録の意図が強いのと、特に日々変わりますから雰囲気もコロっと変わり・・(^^ゞ
ただ、私が今回記事にしたのは「そんな瞬間の思い」ではなく、このところずっと抱いていた内容なのですが、表現がなかなかうまく行かず・・・難しいです。
その時々の気持ちも、それを表現する言葉も、すべてを適切に表せるものでもなく、よく揺れます。ずっと先の目的は明確でも、そのアプローチ方法や、雨風をやりすごすやり方とかはその時々、・・でも、目的に向かって進みたい。
私はドクターストップで一度IFN治療を中止した身なので、今回の治療は無事続けられていることは有り難いことだとは思います。でもね・・・やっぱり、検査結果上消えているという喜びを味わえない治療、症状に余裕がない状態で長期間いつもこの先どうする?の決断を迫られる治療、というのは正直神経が擦り減ります。やりたくてもドクターからOKが出ないとかもありますし、転院したらむしろ私は今の柔軟な治療法さえも失ってしまうし、クールな中で時々驚くような気遣いもして貰えたりすると単純な私は病院からの帰り道は結構足取りも軽くなってしまうのです(笑)、重くなる日も勿論ありますが・・。違う系列の病院関係にセカンドオピニオンのような形も受けましたけれどね・・(ブログには書いてませんけれど)。
すこし冷静に戻って、放出しっぱなしのエネルギーを蓄える必要もあると思うのだけれど、その間、自分なりに出来ることは何かないかとも思うのですよ。
でも一々は書かないこともあるだろうし「諦めたの?」というように取られたんだ~と思うと、そのこと自体がショックだったりします。もし「諦めた」と書いている場合があるとしても、それは道をちょっと変えたり休憩したりするだけだと思うのです。
私の所は、ペグリバ治療の初期のころ著効された方、長期治療されたけれど再燃してしまった方など今でも覗いてくださったりコメントを時々下さったりしています。
著効された方は、私のような経過の者にはなかなか書きにくいところを大きくお持ちのようで、それはありえる感情だろうなとも思うし、はっきりそう伝えてくださっている人もいらっしゃいます。
著効はしたけれど、その後やっぱり他の部分が全回復していない、気になる部分を多少抱えておいでの方もいらっしゃるようですが、著効したんだから・・と、言うのを我慢している部分も見え隠れしています。そういう意味でも辛い治療だと思います。
私としては、何も私のことを気遣うばかりのことは全然なくて、記事にした話題に反応したくなったら反応してね、話題に関係なくても自分の近況でいいので書いてもいいなと思ったらコメントしてねと、言葉に悩むようならROMだけでも全然OKなのよと、いつも伝えているつもりですし、実際更新日から数日経ったとき他の話題やご自分のことを書いてくださる方もいらっしゃり、私はそれはとても嬉しいと思っています。
・・・で、時々、自分もそうやってしまい・・あちゃ、書きすぎたかなと思うことはしばしばです(^^ゞ
・・・と、このコメントもなんだか長々と自分のことばかり書いてしまいました。ごめんなさいm(_ _)m
>重なるというのは、そういう思いを抱いている方が他にもいらっしゃる
そうですね。重なるというのはたまに見かけますね。
私は私と同じような思いというのはあまりないだろうと思っていましたが、最近はそうでもないかも、、と感じるようになりました。
私もこの記事は瞬間的な思いではなくてずっと抱えていた思いです。
「諦め」なんてあるはずないじゃありませんか。
まして同じ肝炎を患っていた者なら「ありえない」、と感じるものだと思うんですけどね。
自分だったら諦めますか?と聞きたい。
(↑私は時にけっこうキツいです 汗)
>もし「諦めた」と書いている場合があるとしても、それは道をちょっと変えたり休憩したりするだけだと思うのです。
そうですよね。心の底では諦めはありえないのですから。誰が自分の体を投げ出すものですか。
IFNは100%の人の効くわけじゃない。ならば他の薬は??
全然出てきませんね。出たと思ったらIFN併用。
そういうんじゃなくて!
ここのところが最大引っかかるところです。
IFNが効かないのが悪いんじゃない。それしか薬がないのが悪い。
IFN以外で進行を止める、そういう視野を広げ、体をいい方向へ持っていくように、私はそう思ってます。
すみません、これは生意気な意見かもしれません。ただ体をいたわる治療であって欲しいのです。
miyaさんの体に負担がかからず、なお肝炎の進行もストップして欲しい、治ってほしい、心からそう思ってます。
私はこれからもずっと今の方法でやってみますね。肝臓専門医以外の意見を重要視(←思い切って言って見ました)しながら。だって納得いく意見だったりするんです。
まあ、自分の場合、それしか道がない状況に追い込まれた。そのおかげで迷いはないので、かえって腹をくくれる?(いや、迷いはありますけど)
私のこのブログはどこともリンクしてないので(どこにも迷惑かけないように)、自分の自由に書こうと思ってます。それでも多少の制限は感じますが。
肝炎、みんな進行度、治癒への道は違う。
なのでブログ上でもまったく同じ考えというのはありえないですよね。
無理にコメント入れなくて、書きたいことを書きたいときにだけ入れてくれるのがいいですね。
私は見せかけの言葉などいらない、と思ってます。(また過激? 笑)
あれ、とりとめもなく書き続けて、何を書きたいのかわからなくなりました(苦笑)
食事もあなどれない。毎日のことですから。
コーヒーが肝臓ガンにならないのなら私は1日1杯(ほんとは紅茶が好きだから1杯だけ)飲んでますよ(笑)
玄米菜食はほんとにいいですよ。体の内側から、自分の治癒力を高めていきましょう!
私も前に書いたとおり今はネット上ではあまり徘徊してないです。
このブログ、アクセス数だけ見て、でもこれだけ覗いてくれる人がいる、と思い書き続けるだけです。