Nature d'eau

日々の思いをつづる

どうして諦めを言うの

2009-03-14 22:18:11 | 肝炎
2年前、病院以外でも肝炎についていろんなところに相談しました。

下手な医者よりもずうっと肝炎に詳しい機関もあり、話を聞いたのですが、

ただ、、

話の流れの中で、
「ウイルスと共存できて一生終わればそれで大勝利なのです」と言われたことに反発を覚えました。

「それは勝利ではなくて引き分けです。ウイルスが消えて勝利ですよ」と言い返し、
それにも同調はしてくれましたが。

その人が言いたかったことは、ウイルスを消すことだけに固執しないで、と言うことだったのでしょうが、肩の力を抜いて、、と言うことだったのでしょうが。

ただ、ウイルスと共存でいい、ということは本人以外が言うべきでないのです。

本人がそれでいい、というのであればそういう一生でもいいのでしょう。
(それを、諦めるな、と他人が言うこともただの押しつけです)

キャリアのまま無事な人もいるのだから。

本人がウイルスの消滅を望んでいる限り、共存でいいでしょう、という諦めを押し付けないで欲しい、と心から思いました。

難しい病気の場合、本人以外の人間が諦めの範疇に入るようなことを言うことはダメですよ。

せっかくのやる気をそいでしまう。


ウイルスのことだけを考えないで、ほかの事で人生を楽しんで、そういいたいのは分かります。

でも言われなくてもそうしてるし。

病気の治癒もめざし、やりたいこともする。

それでいいのではないでしょうか。  どっちも諦めずに。

両立、という欲張りでもいいでしょう。











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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
遅くにm(_ _)m (miya)
2009-03-15 02:53:45
仰る通りだと思います。それにウイルスとの共存と本人が言ったとしても、どこかで無理やりそう折り合いをつけているんだと思います。だから本人がそう書いていてもそれを反復して言って欲しくはない。微妙な心理なのです(^_^;)
私はステージが進んでいるけど、他人からは進んでいるとは言われたくはない(汗)、血液も弱いけど医者以外からそう言われたくはない(汗)。それこそ気持ちが萎えます。

トドメのように「この治療はたとえ消えなくても無駄では無かった」とは諭されたくはない。誰も無駄になると思って始めない。経過や副作用や進行度でどうとらえるかも人それぞれ。そんなに簡単に判断されたくない。無駄とか無駄じゃないなんて失礼だと思います。

アハハ、だいぶいじけてますね、私。

夕方爆睡したらお目々パッチリ。
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追伸 (miya)
2009-03-15 10:49:32
ロベリアさん、おはようございます。

こちらにコメントで書いてしまいましたが、いずれ自分のところで書こうと思っていた事でしたm(_ _)m

実生活でかなりの年上さん達(この病気についてある程度詳しいです)から、当然のように、私がかなり先に逝くように言われることも多く、ちょっと頭に来る事が多い私です。人に言われたく無いですよぉ。
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miyaさん (ロベリア)
2009-03-15 11:36:29
実は私も前日爆睡しすぎて眠れず、夜中の3時にブログを覗いたらmiyaさんのコメントを発見。

全くいじけていません。まさにおっしゃるとおりだと思いますm(__)m
私の文に足らないものを補ってもらいました。
ありがとうございます。
これは私個人の独り言で、どなたかにコメントをいただけるとかそういうことは考えずに率直に書きました。
ウイルスを持っている人間の気持ち、それは国の被害者という立場からも「うまく付き合っていく」、と言う範囲のものではないと思います。

>ウイルスとの共存と本人が言ったとしても、どこかで無理やりそう折り合いをつけているんだと思います。だから本人がそう書いていてもそれを反復して言って欲しくはない。

私の浅い書き方をちょっと深く書いていただきました。
そうですよね。これからも生きていくのだからそうやって今の現状に折り合いをつけていくしかないのであって、でもだからといってずっと共存でいい、とは言ってないのです。
反復して言って欲しくない、というのもわかります。
言霊ですから、、諦めの言葉をかけないで、諦めの念を押さないで、と思いますよ。
進行度についても、他人から確認のように言われたくないですよね。
言ったことで意味のないこと、いや余計なことだとさえ思います(←まったくの私の意見ですよ)
進行度の低さ=治癒率の高さ、とは言い切れない、と、どの病気をみても感じております。
進行度、そういうことや数値、それらを気にしすぎる傾向がある、と書いてある肝臓専門医の本がありました。
肝炎の人は特に数値にこだわる、というのは当たってると思います。
数値に振り回されなければ、他人に不快も与えなくなると思います。

>トドメのように「この治療はたとえ消えなくても無駄では無かった」とは諭されたくはない。誰も無駄になると思って始めない。

誰もがそうですよね。無駄だと思いながらあんなに辛い治療をしません。他人に諭される、それはなんというか私の場合はこう思う「わかったような慰めを言うな」(やなヤツです)
miyaさんは上から目線という言葉が好きじゃないんでしたっけ。
でも私は諭す、というのは上から目線だと思います。
表面に出してなくても、根底にあるもの、それは誰もが「ウイルスの消滅」。それを忘れないて欲しい。
このブログは言葉掛けより、読みたいと思う人が読んでその人なりに感じてくれればいいんです。
(言ってしまえば、見当違いな言葉は欲しくない。。そうとう生意気ですね。。)

自分を偽ってブログを続けるより、地を出して書き続けるブログです。

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miyaさん (ロベリア)
2009-03-15 11:51:45
今、お返事を書いて公開しようと思ったら、miyaさんの2度目のコメを見つけました。

私の読んでいる免疫学者さんの本に
お医者様が(主にガンなどの)余命宣告をすることについて、書いてあります。
余命を宣告されることでショックを受けて免疫が落ち、それでさらにその余命の日数を気にするあまりそのとおりに亡くなる、というようなことが書いてあったような。
余命は他人が決めることではありません。
まして肝炎について詳しいとは言え、先に逝くとか言うのはとんだ勘違いしたした人ではないでしょうか。
自分が行ったことはいずれ自分にかえってきますから、その時に後悔するでしょうよ(怒)
先のコメントで書いたとおり、病の進行が進んでいた=余命が短い、というのではありません。
正しい体の仕組みについて、世間は知らなさ過ぎます。
痛みや不快症状、それらは体が治るサインでもあるのに、それをあらゆる薬でストップさせて治癒を妨げる、それが現代の医療です。
間違った意見に振り回されずに行きたいですね!
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補足 (ロベリア)
2009-03-15 22:15:15
最初のコメントのほう、ちょっと言葉が過ぎた部分?が、、いや、本音と言えばそうなんですが…
私の場合、医師が治療のことを「いいことが一つもなかったな…」と言ったことがショックでした。なので、ウイルスが消えなくても無駄ではない、なんていう諭しは空回りに聞こえるのです。。
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