Lovely London

1996年から2000年まで過ごしたロンドンでの出来事を記録したものです。
2014年のパリとロンドン旅行も記載中

姪二人とカンタベリー(2000/3/4)

2000-03-04 | レジャー


 3月4日(土)、2週間の予定で姪二人がロンドンに遊びに来るというので、ヒースロー空港まで迎えに行きました。
 あいかわらず多民族国家の象徴であるように、到着ロビーではいろんな人種の出迎えでごった返してしました。
到着から約50分後、二人は疲れた様子もなくやっと出て来ました。
 
 翌5日(日)は晴れ。二人と我が家族の合計7人を乗せたBMWはM25を通って、カンタベリー(Canterbury)を目指しました。
到着してから、まず入ったのは歴史館のようなもの。カンタベリーに巡礼に来る人々が話す物語を一話づつ部屋毎に聞かせる趣向。
内容は面白くなかったけど、臨場感を増すための臭いの効果と、赤外線?を使った案内システムに感銘を受けました。
その後色々なお店を覗いて、イタリアン食堂(でも皆ベイクドポテトを注文)で昼食を取り、その後、カセドラル(大聖堂)へ。
 大聖堂では撮影許可を1.25ポンドで購入し、バシバシ3つのカメラで撮影。中はほんとに広くて1時間ぐらいぶらぶらしていました。

 セブンシスターズのような断崖絶壁がみたいとのリクエストで、RamsgateからDealの方に向いました。St Margaret's beyへ向かう途中、Uターンするためバックしたところ後ろの車にゴツン。あわてて相手の車に駆け寄ったけれど車の異常は見つからなかったのでOKと言われ一安心。海岸で一瞬遊んだ後、Doverに向かう。
 Dover城が見えてきた所で、White Criffの看板を見つけ、左折。ドーバ港を一望できる場所。左には白い岩肌を見せて垂直に切り立っている所があった。高さの怖さに震えながらの散策。でもセブンシスターズに比べれば全然平気。
 5時過ぎにドーバを出て、途中M25の渋滞に遭遇しましたが、6:40には帰宅。ちょっと疲労。

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ANAはTerminal3に到着

あいかわらずスゴイ人

インド系が多いのかな

二人はまだだろうか?

来たきた!

疲れた様子もなく

これはカンタベリーの歴史館にて

加奈子と敦史はこわーいの連続

これも蝋人形です

大聖堂の門の前で

ノルマンステアケース(階段)を探して

クロッカスが綺麗
 
St. Margaret Bay

ドーバ港

右は危ないぞ!

敦史の6才の誕生パーティ(2000/2/27)

2000-02-27 | 日常生活

 2000年2月27日(日)、ファンタジーアイランドで学校の友達をよんで、6才の誕生パーティを開催しました。一昨年の皓介の誕生パーティに続いて2回目です。
 ハーフタームの最後の日とあって、来ると行っていた子が3人ほど欠席でした。一説にはお母さんが欠席を間違えて出席にしていたのかもしれません。1時間半のプレイタイム。残り30分のパーティタイム。パーティタイムでは、ハワイアンの格好をしたお姉さん二人が踊りで皆を誘導していました。最初渋っていた敦史もダンスに参加。馬鹿なコマネチを披露していました。
家に帰ってのプレゼントの公開タイム。敦史はご機嫌。皓介も加奈子も一緒に遊べるのでご機嫌。お母さんは疲れて寝ころんでしまいました。 
 
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St. Albansのワッフル屋さん(2000/2/26)

2000-02-26 | 日常生活

 2000年2月26日(土)、土曜は毎週皓介の補習校があるので、一日使って出歩くことはできない。とは言うものの、月曜から修理に出していたBMWがやっと木曜に戻ってきて、エンジンの調子も良くなったので、どこかに出かけずに居られない。
 14:00に家を出て、StanmoreからM1に乗る。目指すは、Hemel HampstedでACQUSQUTUMのアウトレットショップがあるところ。しかし、M1のJ6を過ぎた辺りで事故渋滞に巻き込まれる。3車線、その先は4車線でも遅々として進まない。結局アウトレットショップに着いたのは15:30。苦労して行ったのに、何も気に入った物はなかった。
いつものように次に立ち寄るのはSt. Albansのワッフル屋。今回が私は2回目。子供達は初めて。行ってびっくり。待ち行列が出来ている。アヒルによるカモのいじめ現場を眺めた後、席が空く。Soup & Waffle, Hot apple & Waffle with Ice Cream と Plane Waffleを注文。待っていると、おやまあ奇遇にも田中一家が隣の席に着くではないか。St. Albansのマーケットを見学してきたとの事。三葉虫の化石を子供達に披露。
夕食も食べきれないくらい満杯になって店を出た。一旦駐車場に入ってSt. Albansを見学を試みたが既に17:00。諦めて家路を急ぐ。

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サンルーフ越しに撮影

めずらしい渋滞

アヒルが茶色のカモをいじめている

待ち行列

なかなか感じの良い店員さん

田中一家のワンショット

ウェンブリースタジアムでのサッカー観戦(England vs Argentina)(2000/2/23)

2000-02-23 | レジャー

2000年2月23日(水)、Wembley Stadiumで行われた、England vs Argentina のサッカーの試合を息子2人を連れて観戦。
ここでのサッカーはアーセナル対フィオレンティーナの試合以来2度目です。
チケットは1月の19日にインターネットで購入しました。http://www.wembleyticket.com
場所はゴールのずっと後ろの方。4列後ろには関君とToppanの山田さんたちが陣取っていました。
両方の国家斉唱の後、6万人の大観衆が(その中でアルゼンチン応援団は300人ほど??)見守るなか8時にキックオフ。

試合の間の応援には胸が躍りますね。皓介も敦史も一緒になって(1回だけ?)、手拍子と共に"England!"と声を上げていました。

試合自体はちょっと盛り上がりに欠け、0対0で終わってしまいました。
でもいいんです。この雰囲気が味わえれば!!

帰り際に、「私のカメラが壊れたからあなたのカメラで写真を取って、それを送って欲しい」と言われ、スタジアムをバックに1枚撮ってあげました。

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父他界、そして葬式(2000/2/3~12)

2000-02-03 | 事件

 2000年2月2日、たまたま自宅に電話したところ、兄から父が危篤であることを知らされた。

 そして、翌3日の17:20ヒースロー発の便に家族5人が乗り込んだ。関西空港に着いたのは翌4日(金)の15:00。福井の実家に急ぐ。
病院に着いて父に会う。12月末に帰った時とは随分容態が悪化している。視点が天井を向いたままだし、ほとんどしゃべれない。肺炎を併発していて息がつらそうえだった。まだまだこちらの言うことは理解できる と母は言っていたが本当にそうだろうか?
 翌5日(土)、11:00に担当医に父の状況を聞く。肺炎を併発しているので危険な状態であるとのこと。でも今日はつらそうではない。看護婦さんの問いかけにも反応する。日曜、月曜と何度か見舞いに行くが、病状は少しよくなったり、悪くなったり。

 ついにその日、2月8日(火)、朝7:00に母から大谷家に父の状態があまり良くない旨の連絡があった。8時前に弟の和彦に病院に行って状況を見て来るように指示。8:30和彦から血圧が計れないくらい悪化しているとの連絡あり。ます義姉に電話して、兄が今日静岡に出張に行かないように連絡。女房と2人で8:50に大谷家を出て病院に向かう。9:15病院に着く。すでに二人部屋のもう一人は別の部屋に移されていた。父の呼吸が荒い。大きくゆっくりつらそうに吸う。目はもう閉じたまま。義姉に連絡して、金沢にいる兄にすぐ戻るように依頼。担当医や看護婦さんがベッドの回りに集まってくる。母、和彦、私、女房の見守る中、呼吸が止まる。しばらくして心電図の波形も真っ直ぐになる。9時30分だった。

8日(火)
 病院の電話から関係各位への連絡。一旦黒川家に戻って座敷の掃除。仏様が寝る布団の準備。遺体は病状を確認するために、解剖に回され、家に着くのが14:00となった。同時に葬儀屋さんが来て父の着替えやドライアイス入れ、祭壇の設定を行い、今後の打ち合わせ。いとこの山下武男さん中心となって段取りする。
 15:00頃にはしぎっさんのおじさん(寺島直次さん)が足が悪いにもかかわらず父の横に語りかけるように座っている。絶やしてはいけないロウソクや線香にも気を配っている。17:00にお寺の住職さんがお経をあげに来る。私は一旦大谷家に戻り、子供たちを連れて再び黒川家へ。近所の人や近い親戚の人がお悔やみに訪れる。
 外は大荒れ、吹雪となっている。夜は隣の部屋に炬燵を持ち込んで寝ずの番。夜中の3時に秋田の叔母さん家族4人が車を飛ばして到着。一杯飲んで4:00に炬燵を囲んで雑魚寝。

9日(水)お通夜
 朝、8時近所の男衆が集まって来て、今夜のお通夜があることを近所に知らせるための方法(蝋燭と沈香と金壱千成を配る)について打ち合わせ。あわせてお仏壇の仏具を磨く作業を実施。お昼に裕美と子供3人が来る。子供達は一旦大谷家に戻る。
 14:00に湯灌の準備、約1時間かけて父はゆっくりとお風呂に入り体を清められる。その後納棺。
 16:00に棺桶は家を出て燈明寺へ移る。このお寺中ががとても寒い。特に入り口が入っていると北風が入り混んでくる。皆が座る床はコンクリートの上に薄いシートが覆われているだけ。靴下だけで歩くと足が凍える。急いで10台ほどあるストーブに灯油を入れ火を付ける。仏様には冷たい方が良いのだろうが。祭壇の真ん中の台上に棺桶が乗せられ回りは菊の花で覆われる。その上に微かに笑っている父の遺影が飾られる。最近は写真は後ろから光が当たるスライド式なのだ。祭壇の右横には果物やお菓子などの供物がずらりと並ぶ。家に帰り喪服に着替えて寺に戻る。
 お通夜は18:30から始まるが、18:00頃からぽつぽつと人が集まり、焼香をする人が増えてくる。親戚を入れて100人以上は集まっただろうか。お通夜のお経が始まり、皆の焼香が始まる。お経が終わるとお通夜も終わりだ。
 引き続き別の間では、父が入っていた寺の檀家寄り合い(私はおこさまと呼んでいた)の飲み会が始まる。本堂では親戚一同がおかずと赤飯(なぜかこんな時に赤飯をと思うが、これがしきたり)を食べ初めている。親戚は母方と死んだ父方に分かれた。母方はどの方も知っているが、父方の親戚は田の谷の山下家の2人のいとこ意外に知らない。ここで初めて、父は5番目の子供で、父と年が25才も違う義姉がおり、その子供(つまり私といとこ同士)が父と同じ年だったということ、その兄弟(私のいとこ)が何人もいて、今回初めて挨拶をした。
 その夜は祭壇のある畳の部分をカーテンで仕切って炬燵を持ち込んでここでも雑魚寝。夜遅くまでなんやかんやと話し込んでいました。

10日(木)葬儀式
 一旦家に戻り食事をし、着替えた後、10時の葬儀に望む。近所の方々はお通夜に来て頂いたので、葬儀式は、近所の組織(老人会、おこさまなど)代表の方と、兄や義姉、私、弟の会社関係、それに加えて親戚一同が主な参列者となる。そのため昨日遅くまでかかって焼香順や電報の紹介順を決めたのだ。
 10:00から灯明寺と太聴寺の2人の住職があげるお経の中、紹介された名前順にお焼香を行う。お焼香は約30分ほどで終わった。次に喪主である兄からの挨拶。私はなぜがこの時だけは涙が溢れ出てきて仕方がなかった。
 11:00に出棺。遺影を持つ母と位牌を持つ雄斗に続いて息子3人に運ばれた父の棺桶は霊柩車に乗った。福井市斎場は西安吾に昨年新しくなった施設で、大型バスを借りて親戚一同は霊柩車の後に続いた。斎場では再度お経があげられ、父の最後の亡骸にひとりひとり合掌と花を添えた。屍の入った棺桶は電動リフトにのせられて焼き場へ。11:50、点火ボタンを喪主が押す。
 約1時間20分で焼けて骨だけになる。遺骨を拾う私と和彦と朋美、尋代、雄斗それにめんどうを見る者が居なくなった皓介、敦史、加奈子が斎場に残った。コーヒと飲みながら待つこと1時間強。子供達は尋代と屋外で雪だるまを作っている間に、骨を拾う。父は骨太だったためか思ったよりも多くの骨が残っていた。これを3つの箱に足の先の骨から順番に入れて行く。入れ終わって車で家に向かう途中、子供達は骨をミターイと連発。この時、母や兄たちと親族一同はお茶屋さんで七日法事を行っていた。皆が再度集まるのも大変なので葬儀式の後に初七日を行ってしまうのだ。2時に家に帰るとちょうど七日法事が終わった所で荷物運びのためお茶屋さんに車で迎えに行く。その後遅い昼食。
 15:00、息を付く暇もなく燈明寺に行って納骨式。納骨といっても黒川家の墓に入れるのではなく、総墓といわれる寺の墓に骨を納める儀式だ。親戚一同が座敷でお茶を頂いたあと、お経をあげてもらい、お焼香する。持ち帰っきた3つのうちの1つの骨箱のなかの骨をまた別の容器に移し換える。子供達はここで初めて骨を見ることができた。その容器を持って、ゆりかご保育園の前の大きな墓に納める。座敷に戻って再度お茶と一服。ご縁さんやごしんさん(奥さん)と世間話をする。人は病気では死ねない、ご縁があって死ねるのだ とおっしゃっていた。
家に帰って今度は、近所(向こう3件両隣り)に対するご苦労さん会の七日法事。家族の者がお酒を持ちながら接待する。良く知っている人もいるし、初めて見る人もいる。これが終わったのが19:00。ここでやっと家族だけでのご苦労さん会になった。しかしハードな2日間だった。

我々家族5人は、11日一日ゆっくりとしてから、12日(土)朝6:22のサンダーバードで関空に向かい、その日の15:00にヒースローに着いた。

 

 
関空からのはるかの中
 
8日、病院から戻ってきた

しぎっさんのおじさんがずっと側に
 
9日の朝、吹雪の割には雪は少なかった

仏具のお磨きもの

うちの子供達が来た
}湯灌の準備
見守る親族
}納棺されてしまった

これからお通夜


おこさま会によるお経

 
10日の朝は晴れ

花輪が追加された

葬儀式を前に

お経が始まる

喪主の挨拶

ほぼ11:00に出棺

斎場にて11:40

最後のお別れ

骨拾いメンバー

子供達は外で雪遊び

七日法事が終わって家に集まる
 16:00総墓に納骨

やっと家族だけの会食
 
12日の朝

ミラノ・ベネチア冬紀行:五日目(2000/1/31)

2000-01-31 | 旅行

サンマルコ広場に近い島にある教会や美術館を巡ることにした。まずは対岸のサンジョルジョ・マジョーレ教会、ここには構図も色も全く異なる最後の晩餐が描かれてあった。
次にジェズアーティ教会、ここは珍しく拝観料が必要。こじんまりとした教会。
アカデミア美術館に立ち寄る。ここで案内用のテープを借りたものだから、時間がかかって大変だった。
サンタ・マリア・ディラ・サルーテ教会に入りたかったけれど、12時を過ぎており入れなかった。
再度、船でリアルト橋まで。裕美はまたおみやげ用のガラス玉を購入。町の小さなレストランで昼食。
サンマルコ寺院の中を駆け足で見学。
14:40の水上タクシーでゆったりと空港まで。17:50までの時間は長かった。
Gatwickから自宅までの£55のミニキャブ代もちょっと合点がイカン。

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ホテルの前で。左にマクドがある。

最大限3日券を活用

ジェズアーティ教会

ここでも立ちのみの人がいる

いやほんとうにサンマルコ広場は鳩が多い。

ミラノ・ベネチア冬紀行:四日目(2000/1/30)

2000-01-30 | 旅行


 3日券を有効に利用するために、船に乗って離れた島に行くことにした。めざすはブラノ(burano)島トルチェッロ島
 10:10サンマルコ広場から出航しているちょっと大きめの船に乗って、リド島へ向かい、そこで別の船に乗り換える。
 結構船は時間がかかる。ブラノ島に着いたのは11時半頃。この島の特産はレース。それと色とりどりに塗られた家の壁。これは霧が多いため自分の家を探しやすくするためだとか。小さなガラス細工を購入。地元に人が沢山入っては、一杯引っかけるレストランでお昼。地元の人が飲んでいる白ワインにカンパリを混ぜたお酒も飲んでみる。ちょっと苦い。ピザとパスタ。特にアサリ入りのパスタが味が濃厚で、麺もほどほど硬く美味しかった。島の中を散策。
 13:30の艀で対岸のトルチェッロ島に渡る。この島は、5~10世紀の間はベネチアの中心都市として栄え2万人ほどの人口がいたが現在は60人しか住んでいないという島だ。この島の内陸に過去の栄光を思い出させる大きな教会がありその中を見学。
 1時間後の船でベネチア中心に戻る。船を乗り間違え、またムラーノ島に戻りそうだったので、次の島で降りた。この島は3m程の高い塀で囲まれておりちょっと見学をと思い、ガイドブックを見てみると、島全体がお墓になっているサン・ミケーネ島だった。
 あわてて船で本島にもどる。チレスティアというところからサンマルコ広場まで、歩いて戻ろうとしたところ、道に迷う。加奈子は寝ているし、とても疲労した。
一旦ホテルに戻り休憩していたが、ここに来てゴンドラに乗らない手はないだろうということで、急遽ホテルを出る。約40分間の船あそび。それにしても寒かった。夕食のためのレストランの探して船でリアルト橋まで行く。有名なレストランは休み。結局昨日と同じ店Buranoに行く。

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嘆き橋の近く。ゴンドラが行き交う

リド島に向かう船

ブラノ島に渡って。

暖色系の色が多い家

たぶん皆教会の帰り。一杯引っかけて行く。

トルチェッロ島は人間は少ないが猫が多い。

なかなか歩こうとしない加奈子

お墓の島に上陸してしまった。

我々のゴンドラを操るおじさん

ベネチアの夕暮れ

ほんとはとても寒いのです。

ミラノ・ベネチア冬紀行:三日目(2000/1/29)

2000-01-29 | 旅行


朝7時に朝食、7時半にチェックアウトしてホテルヒルトンへ。8時発のJALバスに乗って、ベネチアへ。
途中、ベローナにて1時間の散策、ロミオとジュリエットの愛を語り合ったと言われるベランダを見学。
12時丁度にベネチアのローマ広場、ここでも船の3枚の3日券を購入。
サンマルコ広場まで40分位、1時20分ゴロにホテルCONCORDIA。ホテルのランチ(サラダとパスタ)を食べる。
一息して、ムラーノ島ベネチアングラスの工房まで無料で行けるツアーに参加。
工場では4人がチームを組んでシャンデリアを作成している行程を見学。
途中で加奈子が寝てしまう。ガラス工芸品の展示場もあったが、どれにも値段が書いていない。商品番号だけで、店員がその番号から
値段を教えてくれる。プラハで見たボヘミアングラスと同じ皿が売っていた。値段は5倍ぐらい高い。
島から戻ったのが5時くらい。
夕飯、子供はマック、大人と加奈子は添乗員さんお薦めのTrattoria Da Bruno
海の幸スープ、手長エビのグリル、イカ墨スパケッティはどれも絶品。
隣のテーブルで日本人の添乗員も美味しそうに食べていた。

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ミラノ・ベネチア冬紀行:二日目(2000/1/28)

2000-01-28 | 旅行

地下鉄3号線のTurati駅、北に登ってセントラル駅で乗り換えてサンタプロージョ駅。ここでレオナルド・ダ・ヴィンチの国立科学博物館をめざすが、方向を誤ってサンタプロージョ教会この教会はミラノで一番古い。司祭様?ミイラが横たわっていた。
その後国立科学博物館遠足の子供達で一杯。加奈子歩かなくてごねる。
最後の晩餐のサンタマリアデッレグラチィエ教会まで歩かない加奈子を肩車で連れて行く。
サンバビラ駅ペーパムーンというビザ屋、我々が来た直後からどんどん混んできた。味がちょっと濃いけれど美味しい。そこから買い物通りまで足を運ぶ。私はフェラガモのマフラーとFendiのネクタイ2本。
一旦ホテルに戻り、私だけアポを取っていた鯖江市役所ミラノ事務所の幸道氏を訪ねる。なかなか滞在ビザが降りなくて困っているとのこと。子供を残して2人でミラノ駅のスーパで買い物。
夕飯はセルフサービスの店、ブレーク。味はいまいち。あのフィレンツェの美味しいレストランが忘れられない。 
 
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ミラノの地下鉄

意外と人は親切。席を譲ってもらった

サンタプロージョ駅の前


教会の中


古くて威厳がある建物

科学博物館の前。物売りの人が沢山いる。

ダビンチの発明を1つ1つ説明している。

結構中は広い。

サンタマリアデッレグラチィエ教会

その場で予約して15分待つ

これが最後の晩餐だ

ビザ屋、ペーパームーン

シーフードビザ

加奈子はもうおなか一杯
 
店はすごく混んできた

鯖江市役所の幸道さん

鯖江特産のめがねと漆器が展示

これが鯖江市役所のロゴ

ブレークでの食事

ここはホテルのレストランの入り口

ミラノ・ベネチア冬紀行:一日目(2000/1/27)

2000-01-27 | 旅行

8:50発Heathrow―ミラノ リナーテ空港、タクシーは元三菱商事の人。
ホテルMANINマニン着13:30、一息ついて町に繰り出す。
天井が異常に高いアーケード(ガッレリア、の中の喫茶店でパスタとビザ(パスタはとてもまずい)。
ドゥオモの中に入り、次にエレベータに乗り天井の上を歩くまで、ドゥオモの横のデパート:ラ・リナシャンテパエリア鍋を探す。
子供達が一斉にアイスクリームコール、となりのファーストフードショップでジェラート3つたのむ。
加奈子が眠る、重い。地下鉄の24時間券を3枚買って、一旦ホテルに戻る。古い日本のアニメが。タイガーマスク、ベルサイユのバラ、一休さん黄金バットJSTVも入るので子供は退屈しない。
夕飯はどこも7時位からなので、待って7時にホテルを出る。めざすは炭火焼きのステーキが美味しいと言われるラ・ブルスケッタ。行ってみると中は1/3位の人。ところが全席予約済とのこと。じゃ明日の昼食の予約を取りたいといったらこれも満席とのこと。どうも子連れを嫌っているのか?路頭に迷ったが隣りの店アル・コンテ・ゴリーノに入る。お通しと言われて5皿も来た。有名人も一緒
ほろ酔い機嫌で、デパートへ。パエリヤ鍋用としてフライパンとエスプレッソのパーコレータを購入。ホテルMANINに戻る。

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スカラ座

ガッレリア

天井が高い!

パスタがまずくて、許せない!

3人は鳩と戯れる

ドゥオモの前

無料で中に入れる

外のエレベータから屋上に登れる

所々工事中だけど、屋根の上を歩くのは面白い

この尖塔がゴシック調

子供達はジェラートで満足

夕飯で注文した品々、どれも美味しい
右端の人が有名人?
ミックスグリルミート、レバーがなかなか

ちょっと高かったけどね。

ミラノ・ベネチア冬紀行(2000/1/27~31)

2000-01-27 | 旅行

2000年1月27日~31日の4泊5日、家族5人でミラノとベネチアを旅行しました。

27日(木) 8:50Heathrow―ミラノLinate空港、ホテル、ガッレリアで軽い昼食、ドゥオモ(エレベータで屋上)、ドゥオモの横のデパート:ラ・リナシャンテ、ホテルに戻り再度アル・コンテ・ゴリーノでディナー、再びデパート

ホテル
MANIN

28日(金) サンタプロージョ教会、レオナルド・ダ・ヴィンチの国立科学博物館サンタマリアデッレグラチィエ教会最後の晩餐、サンバビラ駅のピザ屋:ペーパムーン、買い物、鯖江市役所ミラノ事務所(幸道氏)、ミラノ駅、セルフサービスの店:ブレーク

ホテル
MANIN

29日(土) 8:00ホテルヒルトン前からJALバスでベネチアまで。途中13世紀の遺跡が多いベローナへ。12:00ベネチアのローマ広場、船でサンマルコまで、ホテルで昼食。2:30 無料タクシー船でガラスの島:ムラーノへ。Trattoria Da Brunoで夕食

ホテル
CONCORDIA

30日(日)
船に乗ってブラノ(burano)島とトルチェッロ島を散策、サン・ミケーネ島に間違って上陸。迷路の道をサンマルコまで。夕方、ゴンドラに乗る。夕飯は今日もDa Bruno

ホテルCONCORDIA

31日(月) サンジョルジョ・マジョーレ教会、ジェズアーティ教会アカデミア美術館サンタ・マリア・ディラ・サルーテ教会は12:00過ぎで入れず、リアルト橋名もないレストランで昼食、サンマルコ寺院14:50の水上タクシーで空港へ。17:55発、19:05Gatwick  

ウーバン・サファリ(2000/1/23)

2000-01-23 | レジャー

 1月23日(日)、今日も天気がよいので、M1を北に向かいウーバンへ。11時の開園にちょっと早すぎた。
動物達は寒いのか、2匹に減ってしまった虎や、ライオン達の動作が鈍い唯一元気なのが猿だ。出産の時期なのか小猿がいっぱいいる。
 車のボンネットや屋根やトランクの上に乗っていたずらをする。これを見越して、うちの車の車幅ポールはトランクの中。30分、もっと停まっていたかな、十分に猿と遊んだ。でもボンネットには猿のウンチがいっぱいついていた。
 その後はおきまりコース。子供達の屋内遊技場。3階の高さがある滑り台を何度も何度も滑っていた。私はここで10mくらいの直滑降滑り台に高所恐怖症にもかかわらず挑戦。1回目は怖かったが2回目以降は楽しさ倍増。

サファリを出た後もおきまりの鹿公園とABBY。軽い昼食を取ったあと、アンティークショップへ。入場料はタダになっていた。
今日はカップ&ソーサに良い物が多かった。£85のドレスデンの物と他2つを購入。裕美、満足!

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水鳥とHenlyとイタリアンレストラン(2000/1/9)

2000-01-09 | レジャー

 1月9日(日)、良い天気なので、車でM40を走る。今日の目的は、水鳥に餌をやること
 Marlowを過ぎてしばらく行くとThems川が左に見え隠れするが、ここが以前歩いていったLockかなと思った所で左折。とんでもない見当はずれ。でも水鳥たちが群れる池を発見。持ってきた食パンの耳を千切って鳥に与える。うじゃうじゃと集まってくる動物ぎらいの敦史は離れて見ている。加奈子も鳥を怖がり、鳥が近づいてくると泣いてしまう。皓介はひとしきり餌を与えつづける。
その先のFootpathを歩いて進もうとしたが、道がぬかるんでいたのでUターン。Henlyに向かう。

 裕美は初めて来たと言ったが、私は過去2回連れて来ているHenlyはテムス川添いの綺麗な街だ。いつもの公園の横の駐車場に車をおいて子供たちは遊び場で滑り台やブランコ、スライダーレール?(ひもにぶら下がって滑るやつ)、大きなタイヤブランコに夢中。

 そろそろおなかも空いたのでテムス川をちょっと歩いて見つけたイタリアンレストラン3コースで£15のランチのメニューが看板に掛かっていた。迷わず入る。前菜のパスタ、メイン(エビとチキンとラム)、それにデザートはどれも合格。ワインも入れてしめて£70でした。満腹満足。

街の家具屋でちょっと冷やかした後、家路を急いだ。

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餌に鴨が寄ってくる

いい天気

散歩を始めたら泥で靴が重くなってきた

2人はブランコに夢中

加奈子もいい顔

これは前菜のシーフードサラダ

皓介はスープ

チキンのチーズ添え

ラムステーキ

ちょっとピリカラのエビは美味しかった

店内は落ち着いた雰囲気
 

ぶらりとオックスフォード(2000/1/1)

2000-01-01 | レジャー

 2000年1月1日、女房がしきりにドライブに行こうと誘うので、重い腰(おなか?)を上げて家族5人で車に乗り込みました。好きなマーロでもと思い、M40を走っていると、女房がオックスフォードが良いと言いだし、結局そこに行くことになりました。いつもここは混んでいて車を停められないことが多かったけれど、さすがに今日は空いていました。教会や建物も旅行者のために幾つかは開いていました。

まず、塔の上まで登れる教会に入りましたが、ここの展望台?の狭いこと、階段の狭いこと。2人のすれ違いもままならないのに、後から後から人は登ってくるし、私は加奈子を抱き、必死の思いで階段を下りました。次に行ったのが、チャーチでここのホールがとても立派で、リンボウ先生に出てくる厳かな大学の夕食風景を思い出させるところです。さらに皓介が驚いたのが、学校の宿題レポートで今、彼が調べているヘンリー8世の肖像画が真ん中に掲げられていたことです。私も女房もこの3日間、ヘンリー8世の本を読まされていたので、今まで全く興味のなかった、イギリス王朝の経歴図やイギリス国教会など、
SHOPに行くと沢山目に飛び込んできます。皓介のおかげで少しイギリスを理解することができてうれしい気持ちです。
と喜んでいるのもつかの間、車に戻ると、しっかりと駐車違反のマークがワイパーの下に挟まれていました。元旦からツイていないですね。

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展望台の上、狭い!

大きな絵がヘンリー8世

ここで先生と生徒が夕食を食べるのでしょう。

出発の朝(1999/12/28)

1999-12-28 | 旅行

12月28日、関空発、11:20のロンドン行きの飛行機に乗るために、朝6:23福井発のサンダーバードに乗らなければならない。子供を5時半に起こして着替えし、5:50に大谷家を出た。福井駅で名物の駅そばを食べてホームに向かったが、珍しく8分ほど電車が遅れているとのこと。新大阪駅でちょっと冷や冷やしながら(実は列車を間違えそうになった)はるかに乗り、関空駅に向かった。


加奈子はまだまだ眠たい

お父さんとお母さんが見送りに。

早くもだらけている皓介

敦史は名残ゆく日本の風景を眺める

10数時間後、ロンドンの自宅に着く