地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

靖国[死者への祈り]

2011-08-15 23:29:59 | Weblog
もし彼が、
戦死者の復活することを
期待していなかったなら、

死者のために祈るということは、

余計なことであり、
愚かしい行為であったろう。



だが彼は、
敬虔な心を抱いて
眠りについた人々のために

備えられている
すばらしい恵みに目を留めていた。

その思いはまことに宗教的、
かつ敬虔なものであった。


そういうわけで、
彼は死者が罪から解かれるよう


彼らのために贖いの
いけにえを献げたのである。



『マカバイ記二』 / 12章 45節
旧約聖書続編 新共同訳


………………

いかなる国家も、その国家のために
死んだ戦士に対して、
敬意を払う権利と義務があると言える。

それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、
平等の真理でなければならない。


靖国神社が国家神道の中枢で、
誤った国家主義の
根源であるというなら、

排すべきは国家神道という制度であり、
靖国神社ではない。

我々は、
信仰の自由が完全に認められ、

神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、

いかなる宗教を信仰するものであろうと、

国家のために死んだものは、
すべて靖国神社に
その霊を

まつられるようにすることを、
進言するものである。



(ブルーノ・ビッター[Bruno Bitter]神父)


1945年当時、
GHQ(連合国軍総司令部)は、

靖国神社の存廃について、

ローマ教皇庁[バチカン]公使代理(1945~1952)であり
上智大学総長(上智学院院長)であった
ブルーノ・ビッター神父に意見を求めた。

この発言により、
靖国神社は、焼却され、
「ドッグレース場」にされることから免れたのである。

………………

【大井町(東京都品川区)】

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