地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

【彼女がくれた愛】NHK2015年度後期朝ドラ 「あさが来た」、主人公は広岡浅子

2015-01-20 21:56:22 | 今日の御言葉
▼吾妻山公園(神奈川県二宮町)2015.1.16 Sankei



わたしには、
あなたがたに言うべきことが
まだ多くあるが、
あなたがたは今はそれに堪えられない。

けれども真理の御霊が来る時には、
あなたがたをあらゆる真理に
導いてくれるであろう。

それは自分から語るのではなく、
その聞くところを語り、
きたるべき事を
あなたがたに知らせるであろう。


「ヨハネによる福音書」 16章12–13節
(新約聖書 口語訳)




私は愛情のすべてを注ぎ、
できる限りの世話をしました。

そしてベッドに寝かせてあげた時、
彼女は私の手を取り、
美しく微笑んだのです。

こんなに美しい笑顔を、
私はそれまでに見たことが
ありませんでした。


「ありがとうございました」


彼女はそうひとこと言って、
静かに息を引き取ったのです。

そんな彼女の死を目の当たりにして、
私は自分に問いかけてみました。


「私が彼女だったら、どうだろう?」


私は正直に答えを出してみました。


「人の気をひこうとして、

『痛い』とか『お腹が空いた』とか
『死にそうだ』とか

言ってしまうかもしれない、、、」


彼女は私に愛をくれました。

彼女は、私が彼女にしてあげた
何倍ものものを、与えてくれたのです。

私たちのところにいるのは、
こういう人々なのです。

この貧しくも美しい人々は、
何も私の所にだけいるのでは
ありません。

誰の側にも必ずいるはずです。

孤独な人はどこにでもいます。
あなたはそのことに
気づいているでしょうか?


マザーテレサ
(『「愛」という仕事』より)





★NHK2015年度後期朝ドラ
「あさが来た」、主人公は広岡浅子
クリスチャンの女実業家 :

★クリスチャントゥデイ 2015年1月19日



NHKは14日、93作目となる2015年度後期の朝の連続テレビ小説が「あさが来た」に決まったと発表した。舞台は大阪で、"朝ドラ"初となる江戸時代、幕末からスタートする。主人公のモデルは、明治の女傑と呼ばれる「広岡浅子」。原作は、古川智映子の『小説 土佐堀川―女性実業家・広岡浅子の生涯』だ。

「八重の桜」の新島八重、「花子とアン」の村岡花子、「軍師官兵衛」の黒田官兵衛、「マッサン」のエリー(竹鶴リタ)と、ここ数年のNHK大河ドラマ、朝の連続テレビ小説の主人公がクリスチャンであることは、さまざまな場面で話題になっているが、広岡浅子もクリスチャンだ。

広岡浅子は、明治・大正を代表する女性実業家で、1850年、京都に生まれる。富豪・三井高益の三女として、女性らしく、和歌や書道、茶華道などを学ばせられた。だが、生まれつき勝気だった浅子は、「女子も人間です。人間は学問をしなければなりません。女子にも学ぶ機会さえ与えられれば、必ず修得する頭脳はあります」と、事あるごとに両親に反抗して育ったという。

当時は上流階級の子女でも、女性の学問は軽んじられ、学校教育を受けられなかった。この幼少期の経験が、浅子の人生に大きな影響を与えたようだ。

17歳で、大阪の富豪・加島屋の当主、浅岡久五郎に嫁ぐ。夫は花柳界に入り浸りだったが、浅子は泣き寝入りなどせず、「もしあなたが世間並みの道楽をしたら、広岡家を出て行ってもらいます」と言い渡し、坊ちゃん育ちの夫に代わって実業界に身を投じていくことになる。

幸い夫は非常に優しく、温厚な人格者で包容力があり、浅子の好きなようにさせてくれた。むしろ夫の支えがあったからこそ、浅子の才能が存分に発揮されたとも言われており、今回のドラマ化にあたっても、「激動の時代を生きた夫婦の愛の物語」として大胆に再構成されているところが見どころだ。

浅子は、簿記、算術、法律、経済など実業に必要な幅広い知識を独学で修得し、鉱山と銀行の経営にあたった。数字に強く、先を読む力のあった浅子は、大同生命の創業にも携わっている。

学識だけでなく、教養も身に付け、男に負けない度胸を持っていた浅子には、数多くのカリスマ的伝説が残されている。明治維新により、幕藩体制が崩壊し、大阪の富豪たちが資金問題で次々と没落していく中、若干20歳の浅子は、夫を奮い立たせ、諸藩の屋敷を訪ね回って直接貸金を回収。担当していた鉱山にも現場監督のため実際に足を運び、護身用の2丁のピストルを携えて、暗い坑道に入って行ったという。

40代後半に、大阪で最初に女子教育に乗り出した、成瀬仁蔵という人物と出会う。米国の教育事情に影響を受けた成瀬は、梅花女学校を運営しつつ、理想の女子大学設立を目指していた。女子高等教育の必要を主張する成瀬に共鳴した浅子は、資金援助を含めた最高の後援者となる。そして、1901年、東京の文京区に誕生したのが、日本女子大学校、現在の日本女子大学である。

夫の死後、娘婿に事業を譲り、浅子は女性の人権・地位向上に尽力する。特に、売春問題に苦しむ女性の救出に力を注ぎ、大阪愛国婦人会の指導者として国策にも協力した。

また、成瀬の影響もあって、1911年、大阪YMCAの先駆者である宮川経輝牧師から洗礼を受けて、熱心なクリスチャンとなった。日本キリスト教女子青年会(YWCA)中央委員や、大阪YWCA創立準備委員長を務め、『婦人新報』などに評論を掲載するなどして、1919年の晩年まで宗教活動に従事した。

連続テレビ小説「あさが来た」は、2015年9月28日(月)~2016年4月2日(土)まで、全156回で放送予定。

(NHK2015年度後期朝ドラ「あさが来た」、主人公は広岡浅子 クリスチャンの女実業家 : 文化 : クリスチャントゥデイ)
http://www.christiantoday.co.jp/articles/15079/20150119/nhk-asagakita-hirooka-asako.htm

▼2015.1.16 Sankei


★“佳子さまICU志望”で考えた 皇室とキリスト教はどんな関係?
〈週刊朝日〉|dot.ドット 朝日新聞出版

◆dot.ドット 朝日新聞出版 2014年10月30日



秋篠宮家の次女、佳子さま(19)が学習院大学を辞め、AO入試に挑んだことで話題の国際基督教大学(ICU)。結果はまだ公表されていないが、迎えるためにはやはり大学側も、入念に準備するのだろう。

ところでなぜ、佳子さまと眞子さまの姉妹は、キリスト教精神に基づく大学を選んだのか。天皇は天照大神の子孫とされ、一切の神儀祭事は神道にのっとって実施されている。だが、皇室とキリスト教の関係を調べると、公開されたばかりの「昭和天皇実録」に興味深い記述がいくつか見受けられる。

まずクリスマスにプレゼントを贈る習慣は、1904年の日露戦争のころにすでに皇室にあった。戦後、A級戦犯が処刑された1948年ごろには、昭和天皇は多くのキリスト教徒と接し、定期的に聖書の講義も受けていたと記されている。

また、実録ではこんなエピソードを伝えている。皇太子(いまの天皇陛下)が結婚する際、皇太子妃(美智子さま)がミッション系の聖心女子大出身だったことから、「ある皇族の一人がキリスト教に興味を持ったのは皇太子妃の影響」と聞いた昭和天皇が美智子さまに「皇室においてキリスト教の話はしないように」と叱責したというのだ。実はこれらは当時の雑誌が書き立てた噂話で、昭和天皇は「事実でないし、心に思ったことさえなかった」と伝えるよう側近に命じたと実録は記している。

京都産業大学の所功名誉教授(日本法制文化史)が解説する。

「皇室とキリスト教の関係を、狭い宗教の観点から考えると事実を読み違えるでしょう。明治以降、欧米からさまざまなことを学びながら近代化してきた中で、キリスト教もひとつの西洋文化として、柔軟に受け入れてきたのです」

その流れは現代まで脈々と続き、眞子さまと佳子さまがICUを目指すことになったのは、何の不思議もないことなのだ。そんな歴史と伝統を受け継ぎながら、学習院という皇室の「殻」を破った佳子さまの新たな青春のスタートが待たれる。

※週刊朝日 2014年11月7日号より抜粋


“佳子さまICU志望”で考えた 皇室とキリスト教はどんな関係?
〈週刊朝日〉|dot.ドット 朝日新聞出版
http://dot.asahi.com/wa/2014102900074.html



※最下段 2015.10.18 産経新聞 記事より


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