愛は寛容なもの、
慈悲深いものは愛。
愛は、ねたまず、高ぶらず、誇らない。
見苦しいふるまいをせず、
自分の利益を求めず、怒らず
人の悪事を数え立てない。
不正を喜ばないが、
人とともに真理を喜ぶ。
すべてをこらえ、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてを堪え忍ぶ。
愛は、けっして滅び去ることはない。
預言の賜物ならば、廃れもしよう。
不思議な言葉ならば、やみもしよう。
知識ならば、無用となりもしよう。
われわれが知るのは一部分、
また、預言するのも一部分であるゆえに。
完全なものが到来するときは、
部分的なものは廃れ去る。
わたしは、幼い子どもであったとき、
幼い子どものように語り、
幼い子どものように考え、
幼い子どものように思い巡らした。
だが、一人前の者になったとき、
幼い子どものことはやめにした。
われわれが今、見ているのは、
ぼんやりと鏡に映ってのもの。
「その時」にみるのは、
顔と顔を合わせてのもの。
わたしが今、知っているのは一部分。
「その時」には、自分がすでに
完全に知られているように、
わたしは完全に知るようになる。
だから、引き続き残るのは、
信仰、希望、愛、この三つ。
このうち最も優れているのは、愛。
『コリントの信徒への手紙一』13章4節
フランシスコ会訳注 新約聖書
親が子をいとしむ愛は真の愛です。
人類が始まって以来
親子の愛は変わることがありませんでした。
それは数千年経っても変わらないことでしょう。
そのように
愛には発展もなく終息もありません。
革命を必要としない純粋なもの
それが愛なのです。