こんにちわ~^0^
台風が近づいてるねー明日から雨だって事で、
今日はいっぱいお洗濯物を干して来たんだけど、
曇ってるから、乾かないか~;;
台風の間、ずっと干してるかも~~(((((((≧∇≦))))))
さぁて^^ 今日もぷち旅記録の続きニャン(=^エ^=
弥勒石(みろくいし)から御廟橋(みみょうのばし)を渡ると側に
(先にちょこっとご紹介したけれど)水向地蔵さんが、ダーっとたくさん並んでます。
さっきは、オジジの団体にジャマされたので、今だ~♪とお参りしまぁす♪
と、今度はオジジmixオババおばぁちゃま軍団(観光者)がぞろぞろとやって来ました。
ゲ>< また負ける(血圧 ケツ圧で跳ね飛ばされる~~~)早くしちゃお
とりあえず、左から・・ え~っと、(周りを見る) ひしゃくを持って、
お水を満たして、お地蔵さんに出来るだけ上から水をぶっかけるのね(他の人のやり方を見てる)、よぉし♪
お水を満たして、えぃっ!! 背の高いお地蔵さん、当然上の方までは水はかからない。しかも、お地蔵さんにかかった水が自分にも跳ね返って来る。
こりゃ たまらん><
ほどほどにしとかにゃぁ~びしょ濡れになる^^; (でも、周りの人はガンガン水をできるだけ上の方へぶっかけている)
次のお地蔵さんには止めとこうっと。。
・・・と思った瞬間、ホイミの後ろから声がした。
『このお地蔵さまはね、水掛け地蔵さんじゃございませんのょ、水はお地蔵さまの足元にそっとかけるのですょ。』
振り向くと、オジジmixオババ おばあちゃま軍団の中のお一人であろうか、年配の女性がワタシに話しかけていた。(ちょっと怒り口調ではあるが、物腰の柔らかそうな声色だ。)
もしかして、水が掛かったのかもしれないな。(それは申し訳ないm(_ _)m)
ワタシも何となくムリがあると思ってたんだが、知らないうちは、
とりあえずは”右へならえ”してみるもんだろう? と、思ったのだが、無知なワタシにこの女性は、親切に教えて下さっているのだ、感謝しなければいけない。
無知なワタシがイケナイのだ。
『ご親切に、有り難うございます。』と、深々とお辞儀をし、そっとお地蔵さんにお水をかけた。
そっとそっと。。やってんのに、横から割り込んできたオジジ&オババ軍団が
バッシャバッシャと水をぶっかけ、側のワタシはビショコになっちまった><
さっきのお説教オババおばぁちゃま~コッチの人達にも一発ピシャリとお願いしまぁす!!
お説教オババおばぁちゃまは同年代の所行を見て、プィっと立ち去ってしまいました。
。。。。。。 オィオィ((┗┓( ̄∀ ̄)┏┛))
お年寄りに若僧がお説教するワケにも行かないので、
大変恐縮ですが、お年寄りの気が済むまでぶっかけさしたってくださいませ。・・・(^人^;)と、目の前のお地蔵さまに許しを請うていたホイミでありました。
さて、奥の院から猛ダッシュで次の目的地へ行かねば!!!(かなり時間を食ってしまった) 気持ちの悪い参道も急ぎ足でやり過ごし、駐車場で待っていた愛車君をピック。
奥の院を出ると助さんが、もうエエワと、わたしの防具を返してくれた。。
急いで次の奈良へ向かわなければ・・
と、思いつつ、 おっと!コイツ↓を忘れていたさ;;
高野山の入り口にある大門。 来る時に素通りしてしまったから、、
寄っておこう。。
この大門は高野山の総門である。
両脇に金剛力士像が門番をしている。
上部の装飾は、雲や水の流れを表現する波模様(孫悟空のキント雲みたいなの^^)があり、極楽浄土を表現している。
気温が16.5℃ 少し肌寒い。
つい2、3日前までは猛暑であった。。
高野山を離れると、ホイミの指は、何もなかったようにすっかり治っていた。。
さぁ、平城遷都1300年祭の奈良へ向かいます。
しかし、平城遷都1300年祭のおかげで、市内は大渋滞でしょうから、
ホイミ達一行は、奈良県明日香村へ。
随分前にもココは来てるんだけどね。
明日香村は、古代の魅力的な古墳満載のお土地柄♪
一目散に目指したのは、【石舞台(いしぶたい)古墳】
昔は17時を過ぎても敷地内に入れてもらえたが、どうだろう。。。
駐車場に到着したのは17時をちょっぴり過ぎていた。
石舞台古墳へトコトコ向かいかけた時、目に飛び込んだのは↓↓
((((((≧∇≦)))))) お腹空いた~~~!!
って、コトでっ!
(=^エ^=)w
今日のソフト~!
古代米ソフトにゃ~♪
古代米のお味は、よく知らなかったが、
お米の甘みがほんのりと、さっぱりとしてた^^ 紫色っぽい色でしょ^^
終了間際の店のおじさんが、忙しそうに片付けている所へ駆け込んだホイミに、
ニコニコと対応して下さって、しかも300円のところ200円におまけしてくれたちゃったょ♪ ラッキー!(=^エ^=)v
ソフトを食べながら到着した石舞台古墳。。。
やっぱ、観覧は終了してた><
仕方ない。。。奥の手をば・・・(((((((o≧▽≦)o
古墳の裏側へ・・
実は裏側へ回ると、垣根に穴が開いている(笑)
そこからパチリ。
周囲は段々畑なので、畑のあぜ道へ。
うわっ!!
なんか石舞台が不思議な光を放ちだしました~!!
な~んちゃって^^ 太陽の光線が照らしているんですが、
不思議な画像が撮れちゃった(笑)
石舞台は石室です。(ぶっちゃげ、お墓^^;)
被葬者は蘇我馬子であったとする説が有力で、『日本書紀』の推古天皇34年(626年)五月の条に「大臣薨せぬ。仍りて桃原墓に葬る」とあり、大臣は、蘇我馬子を指していると言う説があります。
ただし、異説があり、奈良大学の水野正好によると、石の種類、築造年代などから蘇我稲目説を唱えているそう。
横穴式石室で、西南方向に開口しており、発見した時には、既にほとんどの埋葬品が盗掘に遭った後で、石棺の欠片等が発見されただけだったそう。
中に入れるんですょ。以前来た時は、怖くてちょろっと見ただけでしたけれどね。
この石舞台は、元々は一般的な古墳の様に、こんもりとした山だったと思われ、雨などで、上に盛られた土が流され、石室が露出したと考えられています。
辺りはだんだんと日暮れてきました。
まだまだ 行きたい所があるんですっ!!!
急ぎましょう~! εε=ε=εε=ε=εε=ε=ε=┏( >_<)┛ 暗くなっちゃう!!!
続きはまた次回に^^
台風が近づいてるねー明日から雨だって事で、
今日はいっぱいお洗濯物を干して来たんだけど、
曇ってるから、乾かないか~;;
台風の間、ずっと干してるかも~~(((((((≧∇≦))))))
さぁて^^ 今日もぷち旅記録の続きニャン(=^エ^=
弥勒石(みろくいし)から御廟橋(みみょうのばし)を渡ると側に
(先にちょこっとご紹介したけれど)水向地蔵さんが、ダーっとたくさん並んでます。
さっきは、オジジの団体にジャマされたので、今だ~♪とお参りしまぁす♪
と、今度はオジジmixオババおばぁちゃま軍団(観光者)がぞろぞろとやって来ました。
ゲ>< また負ける(血圧 ケツ圧で跳ね飛ばされる~~~)早くしちゃお
とりあえず、左から・・ え~っと、(周りを見る) ひしゃくを持って、
お水を満たして、お地蔵さんに出来るだけ上から水をぶっかけるのね(他の人のやり方を見てる)、よぉし♪
お水を満たして、えぃっ!! 背の高いお地蔵さん、当然上の方までは水はかからない。しかも、お地蔵さんにかかった水が自分にも跳ね返って来る。
こりゃ たまらん><
ほどほどにしとかにゃぁ~びしょ濡れになる^^; (でも、周りの人はガンガン水をできるだけ上の方へぶっかけている)
次のお地蔵さんには止めとこうっと。。
・・・と思った瞬間、ホイミの後ろから声がした。
『このお地蔵さまはね、水掛け地蔵さんじゃございませんのょ、水はお地蔵さまの足元にそっとかけるのですょ。』
振り向くと、オジジmixオババ おばあちゃま軍団の中のお一人であろうか、年配の女性がワタシに話しかけていた。(ちょっと怒り口調ではあるが、物腰の柔らかそうな声色だ。)
もしかして、水が掛かったのかもしれないな。(それは申し訳ないm(_ _)m)
ワタシも何となくムリがあると思ってたんだが、知らないうちは、
とりあえずは”右へならえ”してみるもんだろう? と、思ったのだが、無知なワタシにこの女性は、親切に教えて下さっているのだ、感謝しなければいけない。
無知なワタシがイケナイのだ。
『ご親切に、有り難うございます。』と、深々とお辞儀をし、そっとお地蔵さんにお水をかけた。
そっとそっと。。やってんのに、横から割り込んできたオジジ&オババ軍団が
バッシャバッシャと水をぶっかけ、側のワタシはビショコになっちまった><
さっきのお説教オババおばぁちゃま~コッチの人達にも一発ピシャリとお願いしまぁす!!
お説教オババおばぁちゃまは同年代の所行を見て、プィっと立ち去ってしまいました。
。。。。。。 オィオィ((┗┓( ̄∀ ̄)┏┛))
お年寄りに若僧がお説教するワケにも行かないので、
大変恐縮ですが、お年寄りの気が済むまでぶっかけさしたってくださいませ。・・・(^人^;)と、目の前のお地蔵さまに許しを請うていたホイミでありました。
さて、奥の院から猛ダッシュで次の目的地へ行かねば!!!(かなり時間を食ってしまった) 気持ちの悪い参道も急ぎ足でやり過ごし、駐車場で待っていた愛車君をピック。
奥の院を出ると助さんが、もうエエワと、わたしの防具を返してくれた。。
急いで次の奈良へ向かわなければ・・
と、思いつつ、 おっと!コイツ↓を忘れていたさ;;
高野山の入り口にある大門。 来る時に素通りしてしまったから、、
寄っておこう。。
この大門は高野山の総門である。
両脇に金剛力士像が門番をしている。
上部の装飾は、雲や水の流れを表現する波模様(孫悟空のキント雲みたいなの^^)があり、極楽浄土を表現している。
気温が16.5℃ 少し肌寒い。
つい2、3日前までは猛暑であった。。
高野山を離れると、ホイミの指は、何もなかったようにすっかり治っていた。。
さぁ、平城遷都1300年祭の奈良へ向かいます。
しかし、平城遷都1300年祭のおかげで、市内は大渋滞でしょうから、
ホイミ達一行は、奈良県明日香村へ。
随分前にもココは来てるんだけどね。
明日香村は、古代の魅力的な古墳満載のお土地柄♪
一目散に目指したのは、【石舞台(いしぶたい)古墳】
昔は17時を過ぎても敷地内に入れてもらえたが、どうだろう。。。
駐車場に到着したのは17時をちょっぴり過ぎていた。
石舞台古墳へトコトコ向かいかけた時、目に飛び込んだのは↓↓
((((((≧∇≦)))))) お腹空いた~~~!!
って、コトでっ!
(=^エ^=)w
今日のソフト~!
古代米ソフトにゃ~♪
古代米のお味は、よく知らなかったが、
お米の甘みがほんのりと、さっぱりとしてた^^ 紫色っぽい色でしょ^^
終了間際の店のおじさんが、忙しそうに片付けている所へ駆け込んだホイミに、
ニコニコと対応して下さって、しかも300円のところ200円におまけしてくれたちゃったょ♪ ラッキー!(=^エ^=)v
ソフトを食べながら到着した石舞台古墳。。。
やっぱ、観覧は終了してた><
仕方ない。。。奥の手をば・・・(((((((o≧▽≦)o
古墳の裏側へ・・
実は裏側へ回ると、垣根に穴が開いている(笑)
そこからパチリ。
周囲は段々畑なので、畑のあぜ道へ。
うわっ!!
なんか石舞台が不思議な光を放ちだしました~!!
な~んちゃって^^ 太陽の光線が照らしているんですが、
不思議な画像が撮れちゃった(笑)
石舞台は石室です。(ぶっちゃげ、お墓^^;)
被葬者は蘇我馬子であったとする説が有力で、『日本書紀』の推古天皇34年(626年)五月の条に「大臣薨せぬ。仍りて桃原墓に葬る」とあり、大臣は、蘇我馬子を指していると言う説があります。
ただし、異説があり、奈良大学の水野正好によると、石の種類、築造年代などから蘇我稲目説を唱えているそう。
横穴式石室で、西南方向に開口しており、発見した時には、既にほとんどの埋葬品が盗掘に遭った後で、石棺の欠片等が発見されただけだったそう。
中に入れるんですょ。以前来た時は、怖くてちょろっと見ただけでしたけれどね。
この石舞台は、元々は一般的な古墳の様に、こんもりとした山だったと思われ、雨などで、上に盛られた土が流され、石室が露出したと考えられています。
辺りはだんだんと日暮れてきました。
まだまだ 行きたい所があるんですっ!!!
急ぎましょう~! εε=ε=εε=ε=εε=ε=ε=┏( >_<)┛ 暗くなっちゃう!!!
続きはまた次回に^^