をとなの映画桟敷席         ~ほぼ毎日が映画館

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映画「存在の耐えられない軽さ」

2006年02月26日 | 映画
リアルタイムに生きてた方は、新聞の夕刊テレビ欄下の大きな映画広告で、鏡の上をまたぐ黒の下着姿のレナ・オリンとそれを見つめるダニエル・デイ・ルイスの姿に、「うわっ」と思った方も多いのではと思います。

観始めると案の定、奔放な女流芸術家とウブでダサ目の妻の間で揺れ動く浮気男の話で、ナンだかセックスシーンのある「おはん」(宇野千代の小説)みたいだなー、ダルイ。と、思いつつ観ておりました。
奔放がオリンで、ダサ妻テレーザがジュリエット・ビノシュ。ビノシュがこんな子ども子どもしていたとは驚きです。しかもわき毛が生えっぱなし! しかもピンクのブルマーか毛糸みたいなパンツをはいている。うーん。特にうーんなのが、ダニエル演ずる医者トマシュが浮気をしていることを気に病み、女性が全裸に見えてしまうプールのシーン。体操をしているおばちゃんたちが一糸まとわぬ姿で並んで体操してるシーンは、まるで湯治場のよう。

レナ・オリンはカッコイイですよ。いつもミュージカル「キャバレー」でライザ・ミネリがかぶるような黒い帽子をかぶって、ビノシュとお互いにヌードの被写体になるシーンの体の線がキレイ! この後、ゲイリー・オールドマン共演の「蜘蛛女」で女暗殺者を演じたのですねー。そして「ショコラ」でビノシュと再度共演したんだなー。

で、こんなんが3時間続くんじゃツライナーと思った頃、「プラハの春」=ロシアの侵攻のシーンが灰色の画面でこれでもかと入ることで、男の軽薄さじゃなく、命の軽く扱われる様を描いている映画だというところにやっとたどり着きました。
女流画家サビーナはアメリカへ亡命し、テレザとトマシュはスイスへ逃げるのだけど、再度プラハに戻ってきてしまうのです。

で、有能な脳外科医のトマシュは病院に復帰するも、当局から服従の書類を書くように言われ拒否して失職。窓拭きに転職するも浮気が続き、テレーザが当てつけに他の男と寝るというおこちゃま行為に走るのだが、元ウィーン大使から当局の罠だといわれ、「どっかいってしまいたい」とトマシュに言うんだわな。

で、ここからが意外と良かった。田舎へ2人で行き、農作業に明け暮れる生活になり、トマシュも灰汁が抜けたよう。しかし、遠くのレストランに泊まった次の日、トラックで帰る途中、ブレーキが利かず2人は亡くなった…この手紙が、アメリカのサビーナの元に届くのですな。「えぇ、2人は無二の親友でした」というサビーナ。このシーンにたどり着くために今までがあったのか、と思うのです。

はたして事故? それとも事故に見せかけて殺された? 真相はわかりません。
「ソフィーの選択」とオーバーラップなどもして…。
トマシュは性的なつながりで「生」の重さを感じていたんじゃないかなと思います。この映画で言う「軽さ」とは何かを考えた時、この映画の「重さ」がじんわり効いてくるように思いました。

存在の耐えられない軽さ
監督 フィリップ・カウフマン
出演ダニエル・デイ・ルイス、ジュリエット・ビノシュ、レナ・オリン
コメント
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