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オッペンハイマー(映画)

2024年05月02日 | 映画
映画「オッペンハイマー」

好きな監督を聞かれれば、真っ先に挙げるうちの一人ががクリストファー・ノーラン監督だが、アカデミー賞(2023年)を撮った時点で日本は未公開だったこと、日本の過去の歴史に関わる内容であることもあり、めちゃ混みや席がとれないことが予想されたため、日本公開からしばらくたってから観に行くことにした。

いくつかのストーリーが走っており、どこの立場から観るかで何度も見直すことができる。
人類の存亡にかかわる話、発明と戦争、男女関係や男の嫉妬といやがらせなどの個人的な観点まで。
そして、主人公のオッペンハイマーに対し、出番は少ないが重要な役として、アインシュタイン博士が出てくる。
なぜアインシュタインは偉人として誰もが知っているのか、浮かび上がってくるような演出だった。

もう一人、主人公の人生を狂わそうとする議員(ロバート・ダウニーJr)が、出てくるが、まさに社内のパワハラと同じ。
自分が悪口あるいは無視されたと誤認して思い込んで、主人公を貶めていくのだ。
のちに、公聴会で科学者たちの抗弁によって疑いがはらされるのだが、その年月は戻ってこない。
疑いが晴れたきっかけの一つとして、「若手のケネディという議員が反対票を投じた」という一言が。その時代感が分かるし、いまだに欧米の人々にとって自由や希望といった名前なのだなと分かる。映画の中では一瞬の短い言葉だが。
最後に、監督は時間をさかのぼって起点となる場面に戻る。主人公らはそんな小さいことではなく、大きなことについて話していたのだということが分かる。

史実としては、目的がなくなったのに、ひどすぎると痛切に感じた。
あっさりと描きすぎだという意見もあったようだが、黒焦げの人やただれた人を主人公の幻影として見せ、ただれていく女性を監督の娘さんが演じているというから、観た人にわが事に感じてほしい、こういう目に家族を遭わせてはいけないという思いからではと思いたい。

そのほか、
キリアン・マーフィ―も好きな俳優の一人だが、実在する人物に近づけようとしたのか加齢か、ずいぶん老け込んだ感じがした。
ただ、彼の持つ危うさや人間としての弱さを見せる演技は、合っていたと思う。

ノーラン監督については、
時制が行き来するのはいつも通り。
女性に対する忸怩感も共通している。今回の愛人役が裸のシーンが多いのだが、特に聴聞室での奥さんの前での演技・演出は、女性というより蛇のように見えた。奥さんも不倫からだから、主人公の女性関係のだらしなさも分かるが、後味の悪いシーンだ。
テーマとしていつも物理学が根底にあるが、今回はそのものの話だった。同僚が「戦争のために物理学を使いたくない」と、袂を分かつシーンなどもあり、今回は理念の問題まで踏み込んでいる。
監督並みに逆行すれば、「テネット」「ダークナイトライジング」などにもその脅威が描かれていたと思う。





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