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ドキュメンタリー『クインシーのすべて』

2024年02月26日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

ジャズ・ミュージシャン、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家の
クインシー・ジョーンズを扱った
2018年のドキュメンタリー。
監督・脚本はアラン・ヒックス
ジョーンズの娘のラシダ・ジョーンズ
2018年9月21日にNetflix で配信された。

「ポップスが最高に輝いた夜」を観た流れで鑑賞。

精力的に後進の指導と
黒人の地位向上事業に励む老齢のクインシーと
若い時からの軌跡を、
大量の貴重な映像を集めて
交互に描く。

とにかく、クインシーの
仕事人間ぶりがすごい。
脳の動脈瘤から生還してからも、
仕事をやめない。
「立ち止まるのは死ぬことだ」
とまで言っている。
そのため、家庭を省みず、
妻の孤独感を招き、
4回結婚離婚を繰り返す。
最後のインタビューで、
「試して成功しなかったことは?」と訊かれて、
「ハハッ、結婚かな」
と笑っている。

その人間性の暖かさから、
各界有名人との人脈が豊か。

軌跡を辿ってみると、

「11歳まで白人を見たことがなかった」
という、シカゴの黒人社会で育つ。
少年時代にトランペットを学ぶ。
10歳の頃にワシントン州に転居。
そこで盲目の少年レイ・チャールズと知り合い、
ともにバンド活動を始める。1951年、バークリー音楽大学を卒業後、
トランペット・プレーヤーとして
ライオネル・ハンプトン楽団に参加。
そこでアレンジャーとしての才能を見出され、
カウント・ベイシー、デューク・エリントン、サラ・ヴォーンら
ジャズ界のスターのアレンジを手がけるようになった。

1960年代からはプロデューサーとして活躍し始め、
1963年にレスリー・ゴーアの
「涙のバースデイ・パーティ」をビルボード1位にしたのをはじめ、
マイルス・デイヴィス、フランク・シナトラらのプロデュースを手がけた。


映画音楽にも進出し、
「夜の大捜査線」や「ゲッタウェイ」のサウンドトラックも評判となった。

1978年、映画「ウィズ」の現場でマイケル・ジャクソンと出会う。
そこでマイケルが
「誰か僕に合うプロデューサーはいないかな」
と言ったところ
「僕じゃ駄目かな?」
とクインシーが返答したという話も出て来る。


そして翌年のアルバム「オフ・ザ・ウォール」から
マイケルとタッグを組むことになる。
1982年のアルバム「スリラー」
史上最も売れたアルバムとしてギネスに認定された。
300曲作り、うち12曲を選んでアルバムに。
1987年のマイケル・ジャクソンのアルバム「BAD」も
同一アルバムからのシングルカットが
5つのナンバーワン・ヒットを記録。
このアルバムを最後にマイケルとのタッグを解消する。

アメリカのスーパースターが一堂に会して録音した
チャリティー曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」のプロデュースも手がけた。

2001年、ケネディセンターの表彰式で
レイ・チャールズがクインシーへの愛を歌った時、
客席で涙をこらえるクインシーの表情が印象的。
アフリカ米国人博物館のオープニングショーも
クインシーならでは集められた
豪華メンバー。

オバマ元大統領はこう言っている。
「クインシーのキャリアが興味深いのは、
 いつも最初なこと。
 誰よりも先にドアをくぐって、
 後から通る人に
 自信を与えてなくれる。
 それも上品に」

なるほど。

2900曲、300アルバムを録音。
51の映画、テレビ音楽を制作。
グラミー賞79ノミネート、27回受賞。
エミー、グラミー、オスカー、トニー各賞
全てを受賞した18人の1人。
子供7人、孫6人、曾孫1人。
現在90歳

 



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