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新書『家康の誤算』

2024年03月18日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

歴史学者・磯田道史の本。

歌い文句に、次のようにある。

265年の平和──その体制を徳川家康がつくり上げることができたのは、
波瀾万丈の人生と、
天下人織田信長・豊臣秀吉の「失敗」より得た
学びがあったからだった……。
しかし盤石と思われたその体制は、
彼の後継者たちによって徐々に崩され、
幕末、ついに崩壊する。
なぜ、徳川政権は消えてしまったのか? 
薩長による明治維新は最後のトドメにすぎない。
家康の想定を超えて「誤算」が生じ、
徳川政権が滅んでしまったウラ事情をわかりやすく解説! 
そして、家康が「日本のつくり」に与えた影響とは──

目次は、
第一章 家康はなぜ、幕藩体制を創ることができたのか
第二章 江戸時代、誰が「神君の仕組み」を崩したのか
第三章 幕末、「神君の仕組み」はかくして崩壊した
第四章 「神君の仕組み」を破壊した人々が創った近代日本とは
第五章 家康から考える「日本人というもの」                   
と、興味津々だが、
やや羊頭狗肉の感がある。
戦国時代を終わらせ、
戦さのない平和な時代を作ったのは、
まさに、家康の功績で、
その後、徐々に変化を遂げて、
大政奉還、開国、明治維新、近代国家の建設へと進んだのは、
まさに歴史の要請であったので、
家康の「仕組み」が間違っていたわけではない。

家康が天下を平定して後、
下克上、上昇志向をやめさせ、
「今と同じで地位でいい」という安定志向に変わる。
代々「大名は大名に」「家老は家老に」「大庄屋は大庄屋に」と
安定や永続思考。
江戸時代における「永続する家」の形が現代にも続いている典型が、
古典芸能における襲名制。
歌舞伎の市川團十郎が死んでも、
二代目、三代目の市川團十郎が現れる。
落語も同じ。
政治家に世襲が多いのも、
この徳川時代の観念が
日本人の中にこびりついているからかもしれない。

徳川社会では、
生き方のパターンが世襲制で決まり、
生まれた時から役割と序列が決まっていた。
徳川時代の安定の背景には、
庶民までが家・家族を持てたことがあり、
上から身分という役割と序列が与えられ、
その「身」の「分」を守っている限り、
人並みの生活も、老後の安定も与えられていた。
この思考を支えたのが朱子学で、
人には生まれついた身分(分際)があって、
それを踏み越えてしまうことがあってはならない。

朱子学に対して、信じてほしくない思想として、
キリスト教があげられる。
「神の下の平等」は、こうした身分制度に反するからだ。
キリスト教は徳川幕府の体制と相いれず、だから、禁止した。

こうした制度的疲労が重なって、
徳川時代は末期を迎えていたが、
徳川政権にとどめをさしたのは、
「天皇」を旗印にした政権だった、
というのも、やはり、奥深いところで、
日本人の中には天皇が存在する。
戦国時代でさえ、
氏素性や官位など、
天皇との繋がりで支配の正当性を主張する意識が存在する。
太郎や次郎は官職名ではないが、
太兵衛は官職名。「兵衛府」の一員を思わせる。
次右衛門も官職名。「衛門府」のメンバーと匂わせる。
「百姓」も、百の姓(かばね)。
帝に対する「万民」の意味。
「日本書記」では、
百姓は「おおみたから」と訓(よ)み、
天皇の大事な宝物、所有物という意味。
家系に箔をつける装置として、
天皇に繋がる貴種が求められ、
その家系が「長く豊かに続きたい」という願いに化す。
仏教とつながり、「先祖供養」という先祖信仰になる。
日本人の中に「自分の家系はすごい」
「家を絶やしてはいけない」という「家意識」が生まれる。

私は日本の歴史において、
明治維新敗戦は二つの不連続線だと思っているが、
この変化を見事に乗り切った日本人はすごいと思う。
特に、廃藩置県で、
何もせずに禄をはんでいた武士階級が
全員失職するという荒技をよくもなせたものだ。
年貢が米という現物で納めていたものを
近代国家らしく金納にするという税制改革もすごい。
全国に学校を作った学制の制定も
明治に入ってわずか5年で成し遂げている。
土地の権利を幕府や藩から取り上げる地租改革も特筆される。
憲法制定と議会の開設。
着々と「国のかたち」が整っていく。

信長、秀吉は「一代限り」の体質で、
朝鮮、中国、インドまで進出したがったのに対し、
家康は「家は長久」という思想で、
「家を続かせること」を重視した。
江戸時代は、
武士から商人、庶民まで、
「家の永続」が至上命令だった時代だ。
しかし、家格によって、仕事が決まる社会では、
有能な人材が能力を発揮することができない。
幕末と明治の改革が
主に下級武士によって担われたことを見ても、
徳川地の時代の体制が
制度疲労を起こしていたことが分かる。

最後のあたりで、次の記述が胸を打つ。

本当に偉い人は、
世の人々の幸せに貢献した人です。
人からモノや地位をたくさん奪い取った人ではなくて、
人にモノや満足をたくさん分け与えた人です。
私がこう考えるようになったのは、
学生時代に、
物理学者のアルベルト・アインシュタインの随筆を読んだせいです。
そこに、こう書いてありました。
「人の価値とは、その人が得たものではなく、
その人が与えたもので測られる」
織田信長や豊臣秀吉は、
人からさんざんモノや地位を奪って独り占めにした人です。

そして、こうも書く。

戦国武将は、
ほとんど人を殺して地位を保っているの人です。
だから基本的に戦国武将は嫌いです。

そういう意味で、内戦をなくし、
平和な時代を作った家康は、
本当の偉い人なのだろう。

最後に、こう書く。

「正直」や「勤勉」は、
家康がつくった徳川時代が高めていった日本人の美徳です。
家康が現代日本に遺した最大の遺産は
「正直」なのかもしれません。
「百術は一誠にしかず」
といいます。
日本が貧しくなったとか、
それを不安がる論調が多いのですが、
経済的なものは結果にすぎません。
正直さや勤勉さ、礼儀正しさ、好奇心の強さ、
学びへの熱意、遊ぶ才能など、
江戸人が持っていた美徳を失わないことのほうが、
日本の将来にとって大事な気がします。
日本と日本人が、
家康のつくった長い平和の
良いほうの遺産を、
未来の人類の幸せに活かしていければ、
よいのではないでしょうか。



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