空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

浦安ウインドアンサンブル

2023年06月24日 23時00分00秒 | わが町浦安

数日前のこと。再度、ここ↓へ。

浦安市文化会館

今回の行事は、これ↓。

浦安市内の音楽サークル「浦安ウインドアンサンブル」の演奏会。
弦楽器がありませんから、
吹奏楽団というか、ブラスバンドというか。

音楽をやりたい人って、多いんですね。

毎年1回定期演奏会で、
今回で21回というから、なかなかのものです。

他に市内のイベントへの出演や、
クリスマスコンサートも行います。

実は、この行事、無料
市から補助が出ているのでしょうか。

今回のテーマは「映画音楽って最高!」

第1部は、

「指輪物語」
トールキンの「指輪物語」を題材に、
オランダの作曲家ヨハン・デ・メイの
5楽章構成の吹奏楽交響曲。
今回は、その第1楽章「ガンダルフ」を演奏。
(これ、映画音楽じゃないんじゃ?」
伊福部昭「ゴジラのテーマ」「怪獣大戦争マーチ」
ジョン・ウィリアムズ「E.T.」より「地上の冒険」

休憩の後、
映画館の盗撮防止の寸劇があって、
「本会は、写真撮影、ビデオ録画、録音、全部OKです」
と。
その途端、みんな撮り始めましたから、
禁止だと思ってたんですね。

私も撮影開始。

第2部は、本格的な映画音楽オンパレードで、

ロッキーのテーマ
バック・トゥ・ザ・フューチャー
ニュー・シネマ・パラダイス
スーパーマリオブラザーズ メドレー
サッチモに捧ぐ
美女と野獣メドレー

と来て、アンコールは、
インディ・ジョーンズのテーマ

どうやら、団長の早川さんという方が映画好きらしく、
曲目解説のたびに、
「今夜、これをDVDで観よう」と言っていました。

無料のせいか、
ファミリーで来場しているお客さんも多く、
浦安に文化の風が吹きました。

この日、文化会館へ行く途中で、
マスクを忘れたことに気づき、
ヒヤヒヤしながら入りましたが、
ノーマスクの人も多かったようです。
夏に向かって、マスクを外す人も増えるでしょう。

 


小説『街とその不確かな壁』

2023年06月22日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

村上春樹の新作。
といっても、ごく初期に「文学界」に発表した中編、
「街と、その不確かな壁」(1980年)の書き改めだという。
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」(1985年)
を経て、この作品に至るその経緯は、
「あとがき」に書いてある。
その中編は、書籍化されていないので、
今となっては比較することはできないが、
なにしろ、この新刊本、655ページもある大長編なので、
前と比較することなく、
単独の新作と受け止めて読んでいいのではないか。

本書は三部構成

第1部は、「ぼく」という17歳の高校生と
1歳年下の女子高校生との恋愛物語。
それと交互に、「壁」に閉ざされた架空の「街」での
「私」の生活が描かれる。
その街の住人には影がなく、
人の出入りもない。
屈強な門衛が出入りを管理しており、
どこからか現れた主人公
(どうやら、17歳の高校生が四十代になった男らしい)
は街に迎えを入れられ、
その代わり、視力が弱くされ、影と分離される。
男のその街での役割は、
図書館で夢を読む仕事。
そこには本は一冊もなく、
棚に並んだ夢を取り出しては、読むのだ。
図書館は少女に管理されており、
(どうやら、その少女は、あの16歳の少女のようなのだが、
男はそうは認識していない)
男は「夢読み」をした後、
少女を宿舎に送り届けるをのを日課にしている。
街の人々の生活は平穏だが、好奇心を持たない人たちだ。
一角獣の群れが住み着いており、
毎日移動し、
季節の変わり目に交尾し、冬には凍死もする。

次第に分かって来るのは、
その架空の街は、17歳と16歳の高校生が
共同で作り上げた想像上の街で、
そこの住人は、現実の人間の「影」のような存在だという。
その逆かもしれない。

「わたしの実体は──本物のわたしは──ずっと遠くの街で、
まったく別の生活を送っている」

二つの話が交互に展開し、
現実の話の方では、
少年の前から少女は消え失せ、
街の話の方では、
主人公は自分の影と共に脱出しようとするが、
影だけを脱出させて、自分はこの街に残ることを決断する。

二つの交互の話の意図が分からないので、
時々眠くなった。

第2部は、
意に反して、いつのまにか街から帰還していた主人公(40代)の男の話。
長年勤めていた会社を退社し、
福島県の山間部にある図書館の館長募集に応募して、
移住してきた主人公の日常を描く。
図書館は元町営だったが、
廃止される憂き目に遭った時、
造り酒屋の経営者の手によって引き継がれ、
事実上の個人図書館として成り立っている。
主人公は、元の館長である子易(こやす)辰也という人物と面接し、
就任後も、子易の助言を受けている。
館員は、司書の添田という中年女性の他、パートの女性たち。
さほど忙しくも難しくもない仕事だが、
主人公は満足し、その町での生活に落ち着いていく。

という第2部の話だが、
これは面白く、全く眠くならなかった。
ページを繰る手が止まらない。

やがて、子易の家庭での事情が明らかになり、
子易の存在そのものの抱えている、ある秘密も明らかになる。
初めて主人公が図書館に面接に訪れた時の
添田の不思議な対応の理由も明らかになる。 
その後、図書館に通って来る特殊能力を持った男の子、
イエロー・サブマリンのパーカーを着た少年との関わり、
コーヒーショップを営むバツ1女性との関わりなど。
そして、ある事件が起こり、
第1部の「街」とつながってくる。

第3部は、再び「街」に戻り、
主人公と男の子の関係が描かれ、
「夢読み」が継承され、
ラストにつながる。

いつもながらの村上ワールド
第2部の展開には酔った。
読んでいて芳醇な気持ちになるのはなぜかな、
と思ったら、
主人公と子易との交流、
主人公と添田との交流、
主人公と男の子との交流、
主人公のバツ1女性との交流が
あまりに彩り良く、香り高いことが上げられる。
こうした関係性を描けるところが村上文学の真骨頂で、
結果として、豊かな読書体験を味わうことになる。

また、様々な小説や音楽がちりばめられているのも、
感性を豊かにさせてくれる。

「今ではない今、此処(ここ)ではない此処」
という私好みの題材にも惹かれる。

イエロー・サブマリンの少年の頭脳の中に蓄積される
読書体験が「究極の個人図書館」と呼ばれるのは面白い。

主人公が16歳の女子高校生を失った後、
さしたる恋愛体験もなく過ごしたことについて、
子易はこう言う。

「あなたは人生のもっとも初期の段階において、
あなたにとって最良の相手と巡り会われたのです。
巡り会ってしまった、
と申すべきなのでしょうか」

なるほど、そいうこともあるかもしれない。

分類すれば、ファンタジーに属する作品で、
よく考えてみれば、不明な点ばかりだが、
読書人の目と頭を楽しませてくれるに十分な内容の作品だった。

 


ナショナル・シアター・ライブ『ライフ・オブ・パイ』

2023年06月21日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

最近、英国ナショナル・シアター舞台の映像化作品が
相次いで公開されているが、
この「ライフ・オブ・パイ」もその一つ。

と題名を聞いて、驚く方もいるだろう。
原作は小説(作:ヤン・マーテル)だが、


2010年にアン・リー監督の手によって、
「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」(2012)
として映画化されたもので、


太平洋上で遭難沈没した船から逃れた少年が、
救命ボートでベンガル虎と一緒に漂流する話だからだ。
映画化の際も、CGによる虎の造形と、
海の表現が卓越しており、
その年のアカデミー賞では、
監督賞・作曲賞・撮影賞・視覚効果賞の最多4部門を受賞。

それを舞台でやる?
ボートはどうする、
海はどうする、
なによりも虎を始めとする動物達の表現はどうする?

という、注目の一篇。

227日の漂流の果て、
メキシコに流れ着いて救出された主人公16歳の少年・パイ
(元々の名前はピシンというが、
 おしっこと同じ発音で、
 からかわれたため、
 円周率πから来る名前を自分で付けた)
が、病室で日本の保険会社から派遣された調査員(オカモト)の
質問を受ける形式でドラマは進行する。
(救出直後の設定。
 映画では、20年程の時を経てから、
 小説家に話す形式)
パイの口からインドでの生い立ちや
父の経営する動物園などの話が出ると、
一瞬の間に舞台に動物園が出現し、
様々な動物たちが登場する。


動物の動きは、パペットで、
複数の人間がそれを操作する。


やがて一家は政治的な理由からカナダへの移住を決め、
貨物船に動物たちを乗せて出航する。


途中嵐に遇い、船は沈没、
救命ボートに乗ったパイは助かるが、
檻から出たシマウマやハイエナ、オランウータンなどが
ボートに乗り込み、
ついには、ベンガル虎まで乗って来る。

舞台の床からボートがせり上がり、
その周辺の嵐の海がプロジェクション・マッピングによって投影される。
すさまじい迫力。


他の動物たちを食べた虎と共に、
パイは知恵を使って、生き延びていく。
ところどころで、舞台は一瞬の間に病室に変わり、
再び一瞬の間に、大海原に戻る。
その場面転換の素晴らしさ。
演劇がこんなことまで表現できるのだという
可能性への挑戦。
その素晴らしさに、酔った。

なんといってもこの舞台の見どころは動物たちで、
単数または複数の人間によって操られる動物たちの造形と動きは圧巻。

「人食い島」の話は舞台では表現されず、
口で語られるのみ。
最後には、もう一つの真実が語られる。

イギリス演劇界最高峰のローレンス・オリヴィエ賞で
新作作品賞
主演男優賞(ハイラム・アベセカラ)、
舞台装置デザイン賞、
照明デザイン賞、
助演男優賞の5部門を受賞。
助演男優賞は、
動物たちを演じた7名のパペティア(操演家)に与えられた。

アメリカでも上演され、
トニー賞では、
装置デザイン賞・照明デザイン賞・音響デザイン賞の3部門を受賞。
演出賞・衣裳デザイン賞でもノミネートされた。

第1部と第2部の間で、
脚色のロリータ・チャクラバーティ
演出のマックス・ウェブスター
パペットデザイナーへの
インタビューがある。

シネ・リーブル池袋で上映中。
特別興行料金で一般3000円。


携帯電話を落としました

2023年06月20日 23時00分00秒 | 身辺雑記

先日、スマホ(スマートフォン)を落とし、
近所のスーパーに届いていたのを
回収した話を書きましたが、
再び携帯電話を落としました
私ではなく、今度はカミさんです。

土曜日の午後、
「携帯が見当たらないから、電話をかけてくれる?」
とのカミさんの申し出に、
私のスマホから電話してみましたが、
家の中では、どこからも呼出し音が鳴りません。
どこかで落としたらしい、ということになりましたが、
心当たりは、前日の夕方、買い物に出かけ、
その時、自転車で転んでしまい、
荷物の中から飛び出してしまったのではないか、
ということで、
捜索開始。
現場の道路に行って、道端の生け垣の中などを見てもみつかりません。
試しに、電話をかけてみましたが、
呼出し音はどこからも聞こえて来ません。
念のため、行き先だったスーパーに行って訊いてみましたが、
携帯の落とし物は届いていないとのこと。
きょろきょろ道を見ながら帰宅し、
近所の交番に電話で問い合わせてみると、
本署のデータベースにアクセスしてくれて、
どうやらそれらしい物が届いているといいます。
ただ、本署は土日は休みなので、
月曜日に問い合わせてくれとのこと。
問い合わせ先は、
浦安警察の「会計課」だといいます。
会計課? なぜ? 聞き間違いか?
試みに携帯に電話をかけてみると、
呼び出しています。
警察の倉庫の中で空しく鳴っているのでしょうか。

月曜日、朝一番で「会計課」に電話をしてみると、
携帯電話の形状や待ち受け画面、
電話番号を訊かれ、
その後、しばらく待たされました。
そして、回答。
該当の番号の携帯電話が届いています
とのこと。
拾得物が届いた際、
操作して番号確認だけはしているようです。

続いて、こちらの住所氏名を聞かれ、
取り扱い番号をいただき、
夫婦二人分の住所の分かる書類持参の指示のもと、
自転車で10分ほどの警察本署へ。

入ってすぐのところに
「会計課」とあり、
その下に「遺失物」なんとかと書いてあります。
やはり、「会計課」は聞き間違いではなかったようです。
取り扱い番号を言うと、
現物が出てきました。
まさしく、カミさんの赤いガラケーです。
必要書類に記入して、受け取り、
無事、ご帰還。

実は、今度紛失したのは、スマホに変える良い機会ではないかと、
スマホ取り扱い会社に、問い合わせをしていたところです。
幸い戻って来たので、
スマホへの変更は、
とりあえず延期となりましたが、
どのみち、カミさんの携帯電話は、
G3が終わる来年にも買い換えなければなりません。

ガラケーとは「ガラパゴスケータイ」の略で、
ガラパゴス諸島が孤島ゆえに
独特な生態系が維持されたように、
海外と比べて日本独自の機能を持つ携帯電話のこと。
正式には、フィーチャーフォンといいます。
ガラケー3G回線は間もなくサービスが終了します。
SoftBankは2024年の1月下旬、
NTTドコモは2026年3月末に
3G回線をサービス終了(停波)する予定。
各端末メーカーは
3G回線のガラケー新機種を
既に生産・発売していません。

今は携帯電話は、
スマホが主流ですが、
そんな中でもガラケーを使っている人は多く、
理由としては、以下のようなことが挙げられます。

・使い慣れているのを変えるのが面倒
・通話(電話)とメールだけが出来ればよい
・ガラケーで使える機能の使い勝手が気に入っている
・スマホは機能が多すぎて使いこなすのが大変
・物理的なボタンを操作することに安心感がある・使いやすい
・2つ折りタイプが使いやすい
・ガラケーのサイズ・重さがちょうどよい
・ガラケーは本体代、月々の利用料金ともに安い

中にはスマホを使い始めたけれど、
ガラケーを手放すことができず2台持ちにしているという人もおり、
ガラケーにはまだまだ根強いファンが存在するようです。
既にスマホが無いと受けられないサービスも多く、
スマホは既に携帯電話の標準
やがて、ガラケーが化石となる時代も来るでしょう。


小説『侠』(きゃん)

2023年06月18日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

これは、拾い物の時代小説。

銀平が南本所の橋のたもとに蕎麦屋の店を出して三十年。
客が5、6人も入れば満席になる小さな店で、
蕎麦を作るのは日に二十杯と決めている。
他の蕎麦屋が一杯十六文取るところを十文。
儲けるつもりはなく、
自分一人が食べていければよいからだ。

かつて銀平は、本所一帯の普請場に人足を手配する
忠兵衛という男のもとで働く人足の一人だった。
博変も強く、その才は注目されていた。
忠兵衛が病で倒れると、
跡目を継いだ息子の丑吉は、頭の度量はなく、
それを機会に、忠兵衛の勧めで、銀平は堅気になった。
その置土産として、
忠兵衛に乞われて「八州博変」(広範囲の博打打ちが集まる大規模なご開帳)で一稼ぎして、
一家の危機を救った。

目立たない場所で、故郷伝来の独特の田舎蕎麦を出すので、
安値に惹かれた常連客しか来ない。
一人は勘次という下っ引き
もう歳で、同心から引退を勧告されている。
一人で来るおケイという夜鷹
過去に何かがあるのを匂わせる。
10文さえ出せない乞食の親子
一杯の蕎麦を二つに分けて食べさせる。
銀平はそうした彼らにも暖かく接していた。

その銀平も六十になり、
最近、腹の奥の痛みがひどくなり、
吐血もした。
父親が死んだ時と同じ症状で、
死期が近いことを悟る。
これで楽になれると思うと同時に、
己の命を何かに役立てようと思い始める。
外道だった人生だったが、
最期に何か納得のできる終わり方をしたいと考えるようになる。
父は、「自分は屁だ」と言って死んだ。
そんな死に方しかないのか。

代わり映えのしない毎日だが、
最近、清太という若者と暮らすようになった。
清太は、博変にのめり込み、
賭場の金を持ち逃げして追われている。
銀平は、このままでは殺されるからと、
昔なじみの親分と渡り合い、
清太の命を救って、
一緒に蕎麦屋をするようになる。
銀平は、清太の中に、
若い頃の自分の姿を重ねる。

また、40年前に男を作って出奔した妻・おようが久しぶりに顔を出した。
金の無心をされ、今の境遇を心配する。
銀平はおようとやり直せるかと考える。

こうして、人生の最後に、
昔の妻と若者との交流の中で、
銀平の心が揺れる。

一旦は清太に裏切られた銀平だが、
遊女を身請けして、まともな暮らしをしたいという
清太の願いをかなえる資金を稼ぐために、
丑吉の代理で、八州博変に行くことになる。
かつての博徒の血が騒ぐ中、
八州博変の場に行った銀平は、
自分の過去の罪に関わるある人物に出会ってしまう・・・

これに、飢饉の国から逃れ、
飢えをしのぎながらの
父と子の流浪の旅路、
その時に犯した罪に責められる心、
一年に一度だけやって来る乞食坊主との交流、
夜鷹のおケイの罪などの話がからむ。

江戸の片隅に生きる初老の男の
人生を描いて切ない。
老いと孤独、
人生の辛さ、切なさ、絶望感が銀平の心を揺さぶる。
どこかで読んだ話のような気もするが、
案外、どこにもなかった話のような気もする、
独特な時代小説だ。
時代は変わっても、
人間の悩み、幸福を求める心は同じなのだな、と思わせる。
生きることは、どう死ぬかということ。
江戸時代の人は、最後の時、
どうやって自分の人生に落とし前をつけたのだろうか。

作者の松下隆一は、元脚本家で、「雲霧仁左衛門」などを書いた人。
しかし、映画やテレビの時代ものの需要が減り、
見切りをつけて、小説家に転身。
記述にいかにも脚本家が小説を書いたような臭みがまだ残っているが、
今後、期待できそうだ。
レビューに、
「池波、山本、藤沢の系譜を感じさせる時代小説の担い手がここに」
とあったが、
そう化けるか、そうではならないのか。

「侠」を「きゃん」と呼ぶ。
「勇み肌でいきなさま。またそのような人」
と表紙裏に書かれている。
説明を受ければ、そうかと思うが、
もう少し良い題名はなかったものか。