Je vis ma vie 〜ありがとうの気持ちがあふれる社会へ〜

マーケティングの本質は「ありがとうの気持ち」の探求だと考えます。こちらで社会にありがとうの種をまく活動や想いを綴ります。

自己肯定感を育む 「待つ」力

2019-05-30 | 哲学対話
おはようございます。ママヴィ桑原です。


以前お受けした
とある公民館のこども哲学講座に参加頂いた
親子のママに
先日、約 半年ぶりにお会いしました。



確か小学1年生の兄と、幼稚園に通う妹の兄妹



当時、お兄ちゃんは
知らない大人が進行役の謎のイベントに
無理やり参加されられる…
と思ってイヤイヤついてきたと記憶していますが

子ども主体の活動が尊重される空間

他の子と話しながら自分の考えを深める体験

自分の考えを言葉にして表現できた経験

それを心から楽しんでくれて
今でも兄妹の話にちょこちょこ登場することを
教えていただきました。



なんとも嬉しいお話でした。




自分の考えがなかなか言葉にできず、
コミュニティボールを握りしめて
うーん うーんと一生懸命考えていたお兄ちゃん

その時、
自分の言葉にできるまで待っていたことが
とても嬉しかったそうで
大きな自信になったとお聞きしました。

それ以降、
物事に対して積極的になったのだそうです。



彼は、考えを言葉にして伝えたかったんですね。



どうやって自分の考えを適切な言動で表現するか

彼を見ていて、
伝えたい気持ちがあることを感じたので
ゆっくり待ったのを覚えています。



でも…忘れてはいけないこと。



発話することだけがすべてではありません。

伝えたくても言葉にできないもどかしさと
発言したくない気持ちの違いを
観察して見極めることはとても大切です。



また、大人の時間感覚と
子どもの時間感覚とは少し違います。

幼児の場合、大人の7〜8倍ゆっくりが
ちょうどよいスピード感とも言われています。

せかせかと追い立てられるようなスピードだと
ときに子どもたちを追い詰めて
自信をなくしてしまうかもしれません。


子どもたちをよく観察して
必要なときにはじっくり待つ



それだけのことですが、実は大人には難しい…


観察する視点を育むことは
待つを知ることなのかもしれません。





ラベリングの魔力

2019-05-14 | 日記
こんにちは。ママヴィ桑原です。

モンテッソーリ教師としての活動
それが生活の大半を占めるようになってきた
今日この頃…



今日は、
少し違った視点の学びについて書いてみます。



実は…

こども哲学をキッカケに参画した
哲学対話の普及を目的としたNPOで、

元サラリーマンという側面を軸に
ビジネス哲学対話の講師としても活動させていただいております。



先日、
某代理店の哲学対話部に参加して参りました。





哲学史を研究し、
その知見をマーケティングに応用して
新しいビジネスを創造ている方をゲストに
帰納的思考でアイデアを創造するプロセスを学び

私たちが取り組んでいる
「哲学対話」との関係性や違いなど…
整理したり、疑問を持ったりしながら
思考を深める時間になりました。




私は元々、メーカーのマーケティング畑の出身

代理店マンにとっては
開発担当としてクライアントの立場となります。



代理店マン…

実は、当時 苦手な人たちでした。

それが今回、時間を経て
漠然と苦手だと感じていた正体が何か
見えたような気がしたのです。



それは、
確実に思考をフリーズさせよう!
と、狙われている怖さでした。

このアイデアは素晴らしい!
と思わせるのは、
思考を停止させることなのかもしれません。



彼らはそのために
ストーリー立ててシンプルな答えを出します。

そして、そこに
緻密に練り上げられたエビデンスを張り巡らし
反論の余地を許しません。



当然、
なんとなく違和感があっても
それだけでは太刀打ちできません。



さらに手強いテクニックが、
物事を分かりやすくシンプルに分類して
名前をつけること(=ラベリング )です。

このラベリングによって言い切ることで
ある種の安心感が得られるのですが、
安心感ゆえに前提を疑うことが難しくなります。



それでも感じる なんとなくの違和感


その些細な違和感を大切に言語化することが
新たな気づきにつながるかもしれません。

それを多角的に探求することは
哲学対話という営みの醍醐味だとも思います。

哲学対話の場において
違和感を言語化する環境をつくるサポートは
ファシリテーターの重要な役割のひとつです。



それにしても、
ラベリングされたものに疑問を持つどころか、
なんとなく違和感を感じることすら
歳を重ねるほどに難しくなっている気がします。



だからこそ、
子どもから学ぶことは本当に多い
と感じるのかもしれません。