夏まつり仙台すずめ踊り、5回目です。
今回は、「杜の都・阿波踊り」が終わった後の「舞台踊り」と、 その後の「流し踊り」です。
時間としては16:00~17:50というあたり、1000枚くらい撮ったうちの20枚ということになります。
最後の「舞台踊り」は、まだ阿波踊りの余韻が残っている中で始まりました。
でも、仙台で、すずめ踊りが阿波踊りに負けるわけにはいきません。
舞台踊りにも、阿波踊りのみなさんが登場しました。ただ登場しただけではなく、出番待ちをしている祭連を引っ張り出しての総踊りです。
昨日の記事で紹介した「んだず連」さんですけど、阿波踊りの全国的なコンクールで優勝している連なんだそうですよ。その母体である「四方山会」は、6年連続で、山形・花笠踊りのパレードのトリをつとめているとのことです。なんか、とんでもない人たちが仙台に来てくれたんですね。感謝、感謝です。
でも、仙台で、すずめ踊りが他の踊りに負けるわけにはいきません。
仙台のすずめ踊りはアタシが守る・・・って感じでしょうか。大丈夫ですね。負けません(笑)
すずめ踊りの起源は、1603年、仙台城(青葉城)落成のときに遡ります。「酒席で、伊達政宗の前で、堺の石工4人が踊った」ということらしいです。歴史的な事実はともかくとして、そういうことになっています。
境の石工さんたちは、軍事機密を守るため・・・ということになるんでしょうか、堺に帰ることは許されず、仙台に住むことになったんだそうです。その子孫が、この踊りを伝承し、大崎八幡宮の祭礼に奉納してきたんだそうです。
この踊りが「すずめ踊り」と呼ばれるようになったのは、踊る姿がスズメに似ているという説もあり、伊達家の家紋である「竹に雀」からとったという説もあるみたいです。
こうした「正調すずめ踊り」の伝承者は戦後の混乱期に減少してしまったそうですが、1961年に仙台市立第一中学校で「仙台すずめ踊り」として復元されたんだそうです。
1985年には、第1回の「仙台・青葉まつり」が開催され、「仙台すずめ踊り」も参加しました。仙台一中の単独での参加だったみたいです。
1987年の第3回「仙台・青葉まつり」では、伝統芸能の枠を取り払って現代風にアレンジされた「新・仙台すずめ踊り」が披露され、これが現在の「すずめ踊り」の原型になったみたいです。
1988年の第4回「仙台・青葉まつり」では、「仙台すずめ踊りコンテスト」が始まりました。
このときの参加者は17組・約300人だったそうですけど、このあたりから、じわじわじわじわと愛好者が増えていったということになるんでしょうか。
2003年、第1回の「夏まつり仙台すずめ踊り」が開催されます。
このときの会場は西公園だったそうですが、翌2004年に宮城野通りが完成したことに伴い、宮城野通りが会場になったのだそうです。
今年の「夏まつり仙台すずめ踊り」、第9回ということになると思うんだけど、53の祭連が参加したそうです。参加人数としては、2000人くらいになると思います。
なんか、凄いですね。昔々の来歴はともかくとして、この四半世紀の間、着実に発展してきているということになります。
しかも、今がプライムタイムなどという感じはありません。これから、もっともっと発展していくんじゃないかな。
10年後、20年後ということを考えれば、阿波踊りを超え、よさこい踊りを超え、日本一の踊りとして知られているなんてことも十分にあるんじゃないかな。
さて、この写真のあたりは、17:40というところでしょうか。
この時間帯になると、観客も少しずつ減ってきました。最前列の椅子席がひょっこりと空いたので、座らせてもらうことにしました。1カエサルが会場に着いてから、すでに6時間以近くが経過しているわけです。その間、ずっと立ち続けだったわけで、さすがに、疲れていたのですね。
椅子に座ってみると、疲れがドッと出てきました。
疲れが出てきたというよりも、疲れているということを自覚できるようになったということでしょうか。正直なところ、もう写真なんか撮らなくてもいいや・・・なんて思ったりもしました。
でも、すずめ踊りは続いているのですね。
やっぱり、撮りたくなってしまうのですよ。
それに、立っているときと座っているときとでは、カメラアングルが違うことになります。ローアングルでの撮影なんてほとんどしたことがないので、うまく撮れないのだけど、それが面白いのですね。ただ座っているだけではなく、前屈みになって、さらにローアングルでの撮影にチャレンジしてみたりしました。
疲れていた・・・はずなんですけどね(笑)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます