
この日は、「春日若宮おん祭」というのがあったらしくて、何か、白装束の人たちが歩いていました。よく見ると、御輿みたいなのも見えます。でも、祭のために歩いているんじゃなくて、祭が終わったから帰って行くという感じでした。

日は高かったけど、遠目、笠の内。そして、後ろ姿。文句なしに素敵でしたね。

これは、朱雀門(すざくもん)ですね。その内側に入ったところです。ここから大極殿(だいごくでん)に向かうんですけど・・・。

まあ、ちょっとやそっと遠いのはいいんだけど、その間、何もないというのが凄いよね。京都御苑を凌駕してるんじゃないかな(笑)
なんか、いろいろとあるみたいなんですよ。この道路も「平城遷都1300年祭」のためにつくられたものらしくて、この後、取り壊しちゃうみたいです。

正式には、第一次大極殿。平城京に都があったのは、710年から739年までと745年から783年までと2回あるらしいんですよ。それぞれで、大極殿の場所も違うんだそうです。
薬子の変(平城太上天皇の変)なんてものがなかったら、第三次大極殿なんかができたかもしれないね・・・なんて、知ったかぶりして書いてしまいました。この記事を書きながら調べてみたんだけど、面白いね。平城上皇と嵯峨天皇の権力闘争があって、平城上皇側が勝っていれば、三度目の平城遷都になったみたいですよ。でも、嵯峨天皇の側には、坂上田村麻呂とか、空海とか、優秀なスタッフがそろっていたんだね。

結局、ここに座った人って誰なんだ・・・なんて思って、調べてみました。元明・元正・聖武の3人でしょうか? そのうち2人が女性天皇なのかな? その前にはべったのが、藤原不比等、長屋王、橘諸兄、藤原仲麻呂・・・なのかな。違うのかな。調べてはみたんだけどさ、自信なんてまったくありません。受験生の皆さんは信用しちゃダメだよ。




でも、こんなところに海があるはずがない・・・なんてところが真っ暗だったりして、あれ、雲ですね。
・・・ということで、仙台空港→おもちゃの町→宇治→清水寺→京都彷徨→大阪彷徨→海遊館→USJ→奈良・・・と続いてきた関西シリーズも最終回ということになります。
でも、今後二度と関西の写真は出さない・・・などというわけではないので、まあ、「とりあえず最終回」ということにでもしておきますかね(笑)
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