床が見えるということは、そこに散らばっているゴミ、積もっているチリ、こびりついたりしている汚れが見えてくるということで、いわゆるひとつの「汚い」という状態になります。それでも、何年も見たことのなかった床が見えるというのはちょっとした感動があります。
そうやって「見えている床」が広がってくると、ほうきをかけられるようにもなるし、掃除機をかけられるようにもなります。雑巾がけをしちゃおうかという気分にもなってきます。
これは、ライターですね。面白いくらい出てきました。
こういうのは、水につけておいてから家庭ゴミとして捨てるのだそうです。
水の中にライターを放り込むと、着火口の方を下にして、逆立ちするみたいな形で沈みます。ちょっと面白いです。
お金です。1円玉じゃないんですよ。100円と500円です。かなりの額になりました。
これは、床に落ちていたわけじゃなくて机の上にあったのだけど、どうして100円と500円だけなのか、いくら考えてもわかりません。
何かのときに置いておいて、そのままにしてしまったということだと思うんですけど、実は、そうじゃなくて、机からお金が湧いてきたということだったら楽しいんですけどね。
ただ、引っ越すときではなく、車の免許をとったときで、車を買うための金を引き出しから引っ張り出したということです。
「発見」というのも正確ではなくて、あるのはわかっていたのです。ただ、いくらあるかがわからなかったのですね。
考えてみると、カエサルの人生の中で、ある頃が一番金持ちだったと言う気がします。10億だろうが、100億だろうが、いくらあるかわかっているうちは、貧乏人と五十歩百歩。本当の金持ちというのはいくらあるかわからないという状況を指すのではないかいな。