お家元のビデオメッセージで知った淡々斎宗匠の『風興集』。
「各服点」のことが知りたくて、入手しました。
そして、まずはその部分だけを読みました。
今日の新型コロナウイルスの流行でも危惧されているように、
約100年前にも第一波よりも第二波で多くの人が尊い命を失った
スペイン風邪の流行った厳しい時代があり、
茶道裏千家第13代家元 圓能斎鉄中宗室は、
その時、「各服点」を考案されました。
そして、その長男で第14代の家元となった無限斎石叟宗室( 淡々斎)は、
『風興集』(ふうこうしゅう)の中で
その時代背景と「各服点」についてこのように書いていました。
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濃茶は一碗の茶を各自喫み回すことが規定でありまして、すなわち親しみを増す意味で大切なことでありますが、時勢の進化に伴い、衛生思想が著しく発達してまいりまして、すでに宴会の献酬、すなわち盃の交換をするさえ問題にされる時代であります。そんな際に、幾ら厳粛な基調の下に行われるお茶にしても、連客の中には、老人もあれば病人もある、また常に在ってはならぬことでありますが、保健上から見ても、最も危険性の伴う人と同席した場合、いわず語らず気が臆して、同一碗で喫み回すことなどの、躊躇せられることもあります。これらのことに心をつけて、客に嫌忌の念を起こさしめないように謀らうのも、亭主の真情でありまして、客に敬意を払った真実な所作でありましょう。
ここに、茶道の伝統を破っても、そこに一つの便法を設くることは、やがて茶道に忠実であり、茶道を時代的に維持する方法であると、先代が考案されたのが、この各服点であります。
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“すでに宴会の献酬、すなわち盃の交換をするさえ問題にされる時代”
=まさに今私たちがおかれているのとまったく同じ状況が
100年前にもあったということに驚きを隠せません。
歴史は繰り返す。
この時に考えられたお点前「各服点」が、100年後にまた生かされる。
どんな時代も、新しいことをすると批判されるのが常ですが、
歴代の家元が時代の推移に適応する新しいお点前を考案したり、工夫されることで、
点前の形は変化しても、茶道の基本精神と茶道に関わる人たちは守られ、
茶道自体進化し、長く続いてきたのではないかと思います。
坐忘斎お家元も、いつも工夫をして、ということをおっしゃっています。
家元よりメッセージと「各服点」のお点前の発表があり、
昨日は、主に点前の手順について書き留め、記事にしました。
「各服点」の発表
そして、今日、『風興集』の中の「各服点」をもう一度読み返して感じたこと。
◎ お点前の手順について
お家元が細かい部分を直接説明して下さり、その後、
業躰先生方がデモンストレーションを示して下さったことで、文字で読んでいたことが
よりはっきりとクリアになりました。
◎ 長盆に乗せられた濃茶の茶碗4碗について
デモンストレーションでは同じもの(数茶碗)が使われていました。
『風興集』では、正客の茶碗以上のものはいけないが、見劣りするのも
どうかと思われるから、順応するようなものを選ぶのがよく、
でも、四種とも変わったのも面白いでしょう、
ですが、あくまで濃茶であることは意識して、とありました。
しっかりと点前ができるようになれば、色々と趣向を考える余地もあるように思いました。
ポイントとなる場面、
長盆を準備するタイミングでは亭主・半東共に息を合わせること、
(人数によりますが)4人前の濃茶を一気に点てること、
どちらも初めてのことで、ドキドキワクワクします。
早速練習したいところですが、長盆のタイミングは一人ではできませんね。
4人前の濃茶は点てられたとしても、自服で頂くのは辛いかな?!
でも好きだから大丈夫かな?
夜寝られなくなるかな?
やはり、どなたかお客様をお呼びしなければ?
これはもう家族を巻き込んで飲んでもらうしかない?と思ったり。
発表されたお点前と共に、この時期に今一度濃茶の基本にも取り組み、
お客様をお迎えする際には、臨機応変で機敏な動きができるようにしていきたいと思いました。
『風興集』は、裏千家茶道の教本の古典ともいうべき書物、
「永く後世に伝えて当流の制規」とすべく淡々斎が書き下ろされたものといいます。
当時、得度の師であった大徳寺管長の円山伝衣(でんね)老師より、無限斎(むげんさい)の号名に合わせて『風興集』の題を授かったのだとありました。
ただの点前解説にとどまらず、淡々斎宗匠の茶の湯に対する真摯な情熱や茶道普及の考え方など、家元の想いが詰まっている本のようです。
昭和11年に河原書店から発行された元の本があって、それに戦後加筆されて
今の文章となり、淡交社から昭和35年に初版が発行されました。
私が中古で購入したのは昭和51年第15版でした。
現在、最初から『風興集』を読み進めていますが、
最新の教則本のように写真があるわけでなく、
また文体も少し古くてスイスイとはいきません。
文章を自分の頭で映像化しつつ、反芻しつつ、です。
でも、淡々斎宗匠が熱く直接語りかけて教えて下さるような感じがしています。
時間をかけて、想いを感じとり、お稽古にも生かしていきたいと思います。