茶の湯 徒然日記

茶の湯との出会いと軌跡、お稽古のこと

利休百首13 とにかくに

2008-12-16 09:53:13 | 利休百首
13.とにかくに 服の加減を覚ゆるは 濃茶たびたび点てて能く知れ

 濃茶を習うようになると、薄茶以上に服加減が難しいということを感じる。薄茶ももちろんクリーミーな仕上がりにするには鍛錬が必要だが、お稽古や茶会で点てている間にそれなりになっていき、今ではよほどのことがない限り、お客に出してまずい薄茶ということはないだろうと思える位にはなった。
 が、自分でも未だにうまく点てられたと感じる(自分で飲まないので見た目の憶測と客の言葉から)濃茶は1,2回ほどしかない。抹茶の味によっても違うが、掬い出した抹茶の量、湯の量、湯加減、煉り加減、つぎ柄杓した時の湯の具合などによって濃茶は本当に驚くほど味が変わる。

 井口海仙先生の著書には、淡々斎の濃茶の逸話が書かれている。
 知人の茶人が「濃茶一貫目(約4キロ)煉ること」を目標に濃茶点前ばかりしていて、晩年服加減のよい濃茶を煉るようになった。
 淡々斎は、正月1ヶ月の間に初釜や各地の初点てである年約1貫目の濃茶を煉ったが、当の淡々斎曰く「本当にうまく煉れたと思ったのは、2,3度しかない」。それほど練習しなければならないのである、とある。
 それにしても、4キロの濃茶とは何度点前をしたらそんな量になるのだろう。。。

 以前、濃茶を煉るということに関して、その味の違いと社中の尊敬する方の話を書いた。
濃茶の味
http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/795f0dc21b4959ef17959f5bfe896b00
 濃茶の味は煉る人によって驚くほど違う。残念ながらといおうか、それが、お茶の醍醐味といおうか。
 私はまだまだその方のおいしいクリーミーな濃茶には程遠いが、少しずつ、湯量や煉った時の感覚がわかるようになってきたし、茶筅を茶碗から抜いた瞬間にうまく煉れたかどうかの判断がつくようになってきた。これからも何度も煉っておいしい安定した濃茶を点てられるようになりたい。



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濃茶は自服 (たろう)
2008-12-17 12:42:11
はじめまして。
たろうと申します。

>自分で飲まないので見た目の憶測と客の言葉から

の部分を興味深く読み、コメントさせて頂きます。

“亭主が点てた濃茶はお客様が飲む”

というのは当たり前、そういう稽古が一般的だと思いますが。

僕の社中では、濃茶稽古の際、亭主(役=お茶を練ったひと)が相伴(=自服)できます。

亭主が自服を希望すれば、お客様数+自服分の濃茶を練ります。
または、茶を出した後に、先生が「ご亭主もお味見なさる」と訊いて下さり、YESなら、客は茶を少し残して茶碗を亭主に返します。

濃茶の練り加減を学ぶなら、自分で練り、自分で飲むのがなによりでしょう。
一回一回、自分の点前・工夫(プロセス)と美味いか不味いか(結果)とを確かめる、という稽古。

こうした方法は、どうも一般的ではないようだけに、師匠に感謝しています。

遠い将来、僕が弟子を指導するなら、濃茶は自服させたいと思います。

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自服 (m-tamago)
2008-12-18 09:59:11
たろうさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
たろうさんの社中ではご自服がベースなのですね。確かに自分の味が確認できるという意味では有効なやり方ですね。
私のところでは、お点前によって、また、人数が少ない時やおいしい抹茶を誰かが差し入れてくれ皆で頂きたい場合などに自服します。
あとは、お客に忌憚ない意見を聞くことにしています。”お服加減は?””大変結構でございます”と形通りの問答をした後に、本当のところはどうですか?と。お互いお勉強なので、”ダマがある”とか、”もう少し薄い方がよいかも”など遠慮なく言うようにしています。
客によって美味しいと感じる濃さや、飲む順番によってもお茶の濃さが微妙に変わってくるので、本当の美味しさというのは実は難しいものですね。



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