茶の湯 徒然日記

茶の湯との出会いと軌跡、お稽古のこと

日日是好日

2020-04-04 23:48:21 | 茶の湯エッセイ
 ずっと見たいと思っていた映画を見ました。

 樹木希林さんが茶道の先生の役をされた『日日是好日』

 ストーリーは、
 真面目で、理屈っぽくて、おっちょこちょいの典子(黒木華)が、いとこの美智子(多部未華子)とともに「タダモノじ ゃない」と噂の武田先生(樹木希林)のもとで“お茶”を習い始める。細い路地の先にある一軒家での稽古、意味も理由もわからない所作にただ戸惑うふたり。先生は言う。「お茶はまず『形』から。先に『形』を作っ ておいて、後から『心』が入るものなの。」
 裏切りの恋、就職の挫折、そして大切な父との別れ。何をしたいのか、自分の居場所が見つからない典子だったが、毎週お茶に通い続け、時を重ねる中で何かが変わっていく。最後に24年経って、劇的に変わった世の中と自分を振り返り、気づく。世の中にはすぐわかるものとすぐわからないものがある。すぐわからないものは長い時間をかけて少しずつわかってくる。それでいい。

 映画の根底に流れているのは、季節の移ろいと静かな茶室の雰囲気。茶道はやっぱりいい。
 武田先生を演じる樹木希林さんの存在感、所作や語り口はすばらしく、しっとりとして、以前の師匠を思い出しました。

 一方、個人的に疑問を感じる部分もありました。
 点前が終わった後、足が痺れて建水を持ったまま転んでしまう場面がありました。ん~、あんなに派手に?とちょっと疑問。大事なお道具をもって転ぶなんて怖くて。足が痺れることは今もあるけれど、必ずちょっと失礼しますと言って足を直してから立ち上がります。
 三渓園(横浜市中区)で行われた茶会風景が出てきます。見慣れた風景に懐かしくなりました。
 けれど、開門と同時に着物姿の茶人が走りこむ風景が美しくない。大寄せ茶会では早く席に向かわないと入れないこともあるし、急がれる方がいるのも事実だけれど、お茶の心が台無しになるなあと思いました。
 また正客を譲り合う場面も、確かにお互い遠慮しあうけれど、あそこまでなのはそれほどないのでは?

 流派の違いはあっても、不器用な典子と私自身を重ねながら見ました。

 典子は、習うこと見ること全てに戸惑いつつも真剣に取り組み、後輩が入ってきて正しく教えなければならないプレッシャーを感じ、うまくいかないことが続く中でただお茶を飲みにだけ稽古場にきてもいいんだという安心感を感じ、最後は、「ここからが本当の始まりなのかも」という思いに至ります。

 私は大学で日本文化を学びたいと茶道の門を叩き、学生として友人たちと茶道を楽しみました。
 社会人になってすぐ、せっかく始めた茶道を続けたいと師匠のところに通い始めました。
 20代の頃は、新しいことを人生の先輩方と一緒に学ぶのが楽しい、季節を感じるのが好き、きれいな和菓子を食べるのが嬉しいと単純なもの。茶道以外にも楽しいことはいっぱいあって、先輩方に準備片づけはお願いして、自分はお点前だけして失礼することもしばしばでした。反省。
 30代になって、一人暮らしを始め、土曜の度に先生のお宅に通い、その帰りに実家に泊まった生活。忙しいOL生活の中で茶道は支えでもあり、息抜きでもありました。朝早くから終了まで、稽古場にいる時間が増えました。そして、準備から片付けまで、「形」を覚えた先に「心」がこもり始め、茶道を深めたいと自分なりに勉強するようになりました。縁あってブログも始めました。
 30代後半で結婚して、出産、母の闘病。茶道が好きで時々触れつつも、40代は母の死と子育てで過ぎていきました。
 映画と同じで、茶道に対する気持ちも取り組み方も、年齢と経験を重ねることで変わっていきました。

 そして今、私は、茶道を楽しみつつも、「茶道を、日本文化のよいところを、子供たちに伝えていきたい」という気持ちが益々強くなっています。

 日々是好日の最後に、樹木希林さんがこう言います。
「毎年こうしておなじことができるってことがしあわせなんだなあって思うんです。」
「あなたたちも教えてごらんなさい。教えることで教わることがいっぱいあります。」


 人に教えた先にまた違う風景が見えるのだろう。
 あとは、どう行動するか。私に足りないのはここなのだ。

 この映画を見て私には色々な気づきがありました。


 最後に、『日日是好日』とはどういう意味か。
 毎日けっこうな日である。けれど、そんなにいいことばかり続くわけがなく、雨の日もあれば、風の日も雪の日もある、苦しいこともあれば悲しいこともある。そんな中でも、ありがたい、もったいないという感謝の念をもって受け入れられるなら一日一日をよき日として送ることができる、ということ。


 コロナの影響でそれぞれが大変な時ではありますが、できることを考えながら、一日一日がよき日と思えるように過ごしたいものです。前を向いて。


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4 コメント

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日々=にちにち (春旦)
2020-04-05 07:19:10
朝礼で今日の一言があるのは前回書かせていただきましたが、今の会社に再就職して第一回目がこの「日々是好日」でした
「日々」を普通「ひび」と読みがちですが禅では「にちにち」と読みます
「ひび」は「毎日」で「にちにち」は「一日一日」で一日の深さ大切さが違う・・・etc
映画はまぁ~誇張してあっても自分と指導の仕方が違うなぁ~とか、例えば「一畳を六歩」をわたしは「半畳を三歩」とかなぜ三歩なのかの説明がしやすい
私は自分のお弟子さんは一生持たない主義ですからボランティアなら引き受ける
大学の茶道部などは思わぬ質問が飛んでくるから面白い
国立の大学生に工業高校卒が教えてる光景は笑えるでしょう~!
茶道はその内に分かるの風潮があって、茶室内での質問はタブー(他に意味がありそうですが・・・)
わたしは所作には意味がある・説明できるので、言葉でもその場で必ず説明します・・・わからない・調べて見るはなかった
「不立文字」・・・説明尽くせない先をお点前を続けてそのうち理解して答えを出してくれればいい
「りこうになく・ぬるくなく・ただとりまわしはきれいなるよう」武野紹鴎が利休にいった言葉・・・心は一緒についてくる
この話し説明をよく稽古中に言っています!
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乙女椿の写真を見て (そうこう)
2020-04-07 07:02:12
亡き先生を思い出します。先生はご主人さまから「君は乙女椿のようだね」と言われたというエピソード。
返信する
にちにちこれこうにち (m-tamago)
2020-04-07 14:54:12
日々是好日、私が禅語を学んだり調べたりする際に拠り所としている「茶席の禅語」には、”にちにちこれこうにち”とルビが振られています。
”にちにち”と”ひび”では本当に違ってきますね。

春旦さんもいい先生をなさっているようですね。
どんな世界でも先生によって教え方、育て方が違って、それがまたいいように思います。
形を追求した後で、合点がいき、また違う景色が見えてきて、茶道は本当に深くて楽しい。

私は社会人になって出会えた茶道の先生に本当に感謝しています。
時に厳しく、時に優しく、その時に必要な、私を育てる言葉をかけて下さったと思います。
茶道も生き方も大切なことを教わりました。

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乙女椿 (m-tamago)
2020-04-07 15:01:01
そうこう先生の先生は乙女椿のような方でいらっしゃいましたか。ご主人様がそうおっしゃるなんて素敵。

この写真は近所のものですが、晴れた日にとても可憐に生き生きと咲いていて、お気に入りの一枚です。
素敵なエピソードを添えて下さって嬉しいです。
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