奈良の代表といえばなんといっても東大寺の大仏ではないだろうか。やはり奈良に来たら是非お会いしておかなくてはと東大寺に出かけた。今回は新たに確認したいことも。
東大寺は奈良時代、聖武天皇の発願により創建、華厳宗の総本山。平城京の東に位置する大きな官の寺という意味で東大寺と名づけられた。鎮護国家の総寺の本尊、巨大な盧舎那仏は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)とも呼ばれ、釈迦如来の別名で、世界を照らす仏、光り輝く仏の意味。今は金がはげて青銅色をしているが、昔は金ピカの仏様だった。大仏の高さは15メートル、それを覆う大仏殿は世界最大の木造建築物だが、現在の建物は江戸時代に建て直された3回目のもので、横幅が当時の三分の二ほどに縮小されている。大仏の台座となっている蓮華には華厳蔵世界が線刻されていて見事である。(写真ご参照)
大仏殿を入って右側の後ろに大仏の鼻の穴の大きさを象った柱が立っているのをご存知ですか?私は今回友人から初めて教えてもらい、大人もくぐれるかもとの言葉で期待して出かけましたが、すでに鼻の穴の周りは子供達で一杯で恥ずかしくて実現できませんでした。これが今回確認したかったこと。これまで2回訪れているのに全く知りませんでした。鼻の穴でもあんなに大きいんだとびっくりしますね。できることなら私は大仏様の手のひらに乗ってみたいですが。
大仏殿から二月堂、三月堂へ。この界隈は二月堂、三月堂、四月堂とあり、これらは旧暦のその月に大きな法要がある為につけられた別名です。
三月堂は正式には法華堂、天平時代の美しい仏像が所狭しと並んでいる。東大寺というと大仏殿と二月堂、戒壇院などに目が行ってしまうが、こちらは見ておく価値があると思った。本尊は不空羂索観音像、16体のうち12体が国宝、4体が重文指定の空間です。不空羂索観音像、不空とは空ではない100%確実の意味、羂索は鳥や獣を捕まえる縄の罠で、それを使ってからめとるように苦しんでいる人を確実に掬い上げてくれる観音様なのだ。あまり一般的な信仰を受けなかったこと、肩から鹿の衣をまとっていることが春日大社の鹿と結びついて春日大社を信仰する藤原氏の守護仏になったことから一般から遠ざけられ、数えるほどしか存在しない。この仏様、本当に細工が細やかで豪華、美しくて見惚れた。時間があれば堂内で座ってずっと眺めていたい位に。奈良の仏様は京都の仏様よりも更に素朴で、人に近いような感じがします。
二月堂は三月に行われるお水取りで有名ですが、そこから臨む風景は何処までも広く広がっていました。大仏殿から随分上がってきて汗ばんだ身体に風が心地よかったです。こちらで海外観光客がおみくじを引いていました。大きな紙。惹かれて二人で引いてみました。友人は吉、私は半吉。友人はこれから花が咲くとあり持ち帰りましたが、私は半吉の割に内容があまりよくなかったのでそのまま納めてきました。気持ちよい風に吹かれてそのまま坂を下り、奈良国立博物館へ向かいました。
南大門まで戻ったところで、「あ、ご朱印帳、二月堂に忘れてきた!」というわけで、元きた道を私は戻る羽目になりました。。。。いやはや坂のぼり再びきつかったです。汗だくで辿り着くと二月堂の入り口でお坊さんが苦笑しながら「下まで下りちゃいましたか?」、私も苦笑。まあ、もう一度二月堂から見下ろす見事な風景を見れたのだからよしとしましょう。
奈良国立博物館に到着したのはもう夕方。常設展示をさらっと見て後にしたが、さすがに古く味わいのある仏像が多く、またゆっくり見たいと思った。地下には仏像の印相の説明や、仏像作りの工程もあって、他の博物館とはやはり少し違うなと感じました。
歴史ある街並みの続く奈良町、猿沢池界隈へ。そこではとても素敵な出会いが2つ待っていました。
東大寺は奈良時代、聖武天皇の発願により創建、華厳宗の総本山。平城京の東に位置する大きな官の寺という意味で東大寺と名づけられた。鎮護国家の総寺の本尊、巨大な盧舎那仏は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)とも呼ばれ、釈迦如来の別名で、世界を照らす仏、光り輝く仏の意味。今は金がはげて青銅色をしているが、昔は金ピカの仏様だった。大仏の高さは15メートル、それを覆う大仏殿は世界最大の木造建築物だが、現在の建物は江戸時代に建て直された3回目のもので、横幅が当時の三分の二ほどに縮小されている。大仏の台座となっている蓮華には華厳蔵世界が線刻されていて見事である。(写真ご参照)
大仏殿を入って右側の後ろに大仏の鼻の穴の大きさを象った柱が立っているのをご存知ですか?私は今回友人から初めて教えてもらい、大人もくぐれるかもとの言葉で期待して出かけましたが、すでに鼻の穴の周りは子供達で一杯で恥ずかしくて実現できませんでした。これが今回確認したかったこと。これまで2回訪れているのに全く知りませんでした。鼻の穴でもあんなに大きいんだとびっくりしますね。できることなら私は大仏様の手のひらに乗ってみたいですが。
大仏殿から二月堂、三月堂へ。この界隈は二月堂、三月堂、四月堂とあり、これらは旧暦のその月に大きな法要がある為につけられた別名です。
三月堂は正式には法華堂、天平時代の美しい仏像が所狭しと並んでいる。東大寺というと大仏殿と二月堂、戒壇院などに目が行ってしまうが、こちらは見ておく価値があると思った。本尊は不空羂索観音像、16体のうち12体が国宝、4体が重文指定の空間です。不空羂索観音像、不空とは空ではない100%確実の意味、羂索は鳥や獣を捕まえる縄の罠で、それを使ってからめとるように苦しんでいる人を確実に掬い上げてくれる観音様なのだ。あまり一般的な信仰を受けなかったこと、肩から鹿の衣をまとっていることが春日大社の鹿と結びついて春日大社を信仰する藤原氏の守護仏になったことから一般から遠ざけられ、数えるほどしか存在しない。この仏様、本当に細工が細やかで豪華、美しくて見惚れた。時間があれば堂内で座ってずっと眺めていたい位に。奈良の仏様は京都の仏様よりも更に素朴で、人に近いような感じがします。
二月堂は三月に行われるお水取りで有名ですが、そこから臨む風景は何処までも広く広がっていました。大仏殿から随分上がってきて汗ばんだ身体に風が心地よかったです。こちらで海外観光客がおみくじを引いていました。大きな紙。惹かれて二人で引いてみました。友人は吉、私は半吉。友人はこれから花が咲くとあり持ち帰りましたが、私は半吉の割に内容があまりよくなかったのでそのまま納めてきました。気持ちよい風に吹かれてそのまま坂を下り、奈良国立博物館へ向かいました。
南大門まで戻ったところで、「あ、ご朱印帳、二月堂に忘れてきた!」というわけで、元きた道を私は戻る羽目になりました。。。。いやはや坂のぼり再びきつかったです。汗だくで辿り着くと二月堂の入り口でお坊さんが苦笑しながら「下まで下りちゃいましたか?」、私も苦笑。まあ、もう一度二月堂から見下ろす見事な風景を見れたのだからよしとしましょう。
奈良国立博物館に到着したのはもう夕方。常設展示をさらっと見て後にしたが、さすがに古く味わいのある仏像が多く、またゆっくり見たいと思った。地下には仏像の印相の説明や、仏像作りの工程もあって、他の博物館とはやはり少し違うなと感じました。
歴史ある街並みの続く奈良町、猿沢池界隈へ。そこではとても素敵な出会いが2つ待っていました。
二月堂からの景色はすばらしいですね。
ただ、あの階段をみると登る気持ちがうせてしまうのですが(笑)
大仏さんの柱は、私も子供の頃、くぐったことがあります。小2ぐらいかな、肩がつかえてくぐれませんでした。このまま抜けなくなったらどうしよう、とこわかったです。
正倉院展は毎年内容が違うのですが、一度出されると10年位は出ないものも多いらしく、「これにはもうあえんやろな~」としみじみおっしゃってらした、ご老人の言葉に時の残酷さも感じます。
奈良って不思議な空間ですね。
たしか小学生の頃、遠足で行ったときでした。
たまごさんが行ったときも遠足集団がいたのでしょう。大仏さんは、京都からの遠足コースになっているのです。
あの坂を朱印帳をとりに戻られたとのこと・・・本当にご苦労様でした。
大仏さんの柱をくぐりました。
それでもつっかえそうだったのを覚えております。
たまごさんなら、大人でもくぐれそうですね。
大仏の柱はやっぱり子供じゃないとくぐれないかな~。
ゴマたんさんは子供でも肩がつかえたなんて大人の私はムリ、、、、、
そう凄い所蔵品の量だから毎年違うものが見られるんですってね。
>手の上に乗りたい気持ちはよ~くわかります(笑)
やっぱり?
おっしゃる通り、奈良って不思議な空間、とうとうとした時間の流れに身を任せ、なんとも幸せな気分になれるのです。
やっぱり大仏さんの鼻の穴、くぐったことがあるのですね~。
今回は、嫌がる子供を無理やり穴に押し込んで写真をとっている親がいました。楽しんでくぐっている子もいましたが、怖いと感じる子供もいるらしい。ちょっとした写真スポットですね。
>あの坂を朱印帳をとりに戻られたとのこと・・・本当にご苦労様でした。
ハイ。我ながらショックでした。。。。でも置いていくわけにもいかず~。
歌織さんも小学生のころですか。。。。じゃ大人じゃ間違いなく無理ですね。たとえ頭が入ったとしてもおしりでひっかかりそうです。。。。