空青く天高しとはよく言ったもの。秋の涼しい風の中、まだ残る夏の日差しの強さを感じながらよく歩いた一日でした。
朝一番で入った薬師寺、道の両脇の紫式部が出迎えてくれました。咲き乱れる萩と見間違うほど。
薬師寺は天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願って藤原京で創建、持統天皇によって本尊開眼が行われ、更に文武天皇の時代に堂宇が完成、710年の平城遷都に伴い現在の西ノ京に移されました。華麗な寺であったが1528年の兵火で東塔以外の堂宇が焼き尽くされた。東院伽藍である東院堂は鎌倉時代に建て直されたが、それ以外の堂宇は昭和42年になって当時の管主高田好胤氏が白鳳伽藍の復興を発願、写経勧進によって平成15年に全堂宇が復興された。
白鳳時代から風雪に耐え今に伝わるモノクロームの東塔と新たに再建された朱・緑・金で彩られた鮮やかな西塔の対比が美しく、歴史の深さを感じさせます。東塔の相輪の頂上には24人の飛天が舞っており、塔の均整の取れた美しさからアメリカ人美術研究家のフェノロサが東塔を“凍れる音楽”と称したことはあまりに有名です。
東院堂には国宝の聖観音菩薩像、囲むように東に持国天、北に多聞天、南に増長天、西に廣目天。四天王はそれぞれの方向の守り神の青龍、玄武、朱雀、白虎を示す青、黒、朱、白の顔色をしているのが印象的でした。
金堂では僧都がお話をしていました。話の途中だったので私たちは静かに薬師三尊像にお参り。どうやら写経や般若心経についてのお話をなさっているようで、ギャーテギャーテハラギャーテーという部分は行こう行こうさあ行こうなんですよ、というところだけ聞こえてきた。なるほど~。
新たに創建された玄奘三蔵院伽藍、大唐西域壁画殿。伽藍中央に法相宗の始祖玄奘三蔵法師の舎利を納め、須弥壇に像。壁画殿には平山郁夫氏が30年の歳月をかけて完成した玄奘三蔵の精神を描いた壁画が納められている。この壁画は全て自然顔料を使い、ガラスで覆われている為色あせることがないそうだ。ラピスラズリで塗られた天井の青さは本当に自然のものなのかと驚くほど鮮やかだった。この創建は、高田管主と平山氏の昔からの約束で実現したもので、平山氏は完成するまで誰にも絵を見せないことを約していた為、高田管主自身もこの絵を見ることなくこの世を去ったという。詳細はNHK特集番組でも取り上げられたようだ。春季・秋季にしか公開されないので貴重なものを拝見できた。
その後平城京跡へ。修学旅行で訪れた時は2月で殺伐とした荒野だった覚えしかない。今は朱雀門が再建され、平成22年の平城京遷都1300年を目指して更に大極殿の復元が進められている。この地が今もいい保存状態で残っていたのは平安遷都の後すぐに田畑となり土の中に遺構がすっぽり取り残されたことだとか。全ての発掘調査を終えるにはまだ百年はかかる。ボランティアの方が朱雀門のところで色々説明して下さった。
奈良の都は平城京跡はもちろん今尚様々なところで発掘が続いており、友人の親戚宅も建て替えの際に調査が入ったのだとか。奈良ではそれが義務で、万が一遺構が見つかった場合、その土地は役所のものとされ、建築ストップとなるので皆何か発掘されないように願うという。青丹よし、奈良の都は今も生き続けていると感じた話だった。
朝一番で入った薬師寺、道の両脇の紫式部が出迎えてくれました。咲き乱れる萩と見間違うほど。
薬師寺は天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願って藤原京で創建、持統天皇によって本尊開眼が行われ、更に文武天皇の時代に堂宇が完成、710年の平城遷都に伴い現在の西ノ京に移されました。華麗な寺であったが1528年の兵火で東塔以外の堂宇が焼き尽くされた。東院伽藍である東院堂は鎌倉時代に建て直されたが、それ以外の堂宇は昭和42年になって当時の管主高田好胤氏が白鳳伽藍の復興を発願、写経勧進によって平成15年に全堂宇が復興された。
白鳳時代から風雪に耐え今に伝わるモノクロームの東塔と新たに再建された朱・緑・金で彩られた鮮やかな西塔の対比が美しく、歴史の深さを感じさせます。東塔の相輪の頂上には24人の飛天が舞っており、塔の均整の取れた美しさからアメリカ人美術研究家のフェノロサが東塔を“凍れる音楽”と称したことはあまりに有名です。
東院堂には国宝の聖観音菩薩像、囲むように東に持国天、北に多聞天、南に増長天、西に廣目天。四天王はそれぞれの方向の守り神の青龍、玄武、朱雀、白虎を示す青、黒、朱、白の顔色をしているのが印象的でした。
金堂では僧都がお話をしていました。話の途中だったので私たちは静かに薬師三尊像にお参り。どうやら写経や般若心経についてのお話をなさっているようで、ギャーテギャーテハラギャーテーという部分は行こう行こうさあ行こうなんですよ、というところだけ聞こえてきた。なるほど~。
新たに創建された玄奘三蔵院伽藍、大唐西域壁画殿。伽藍中央に法相宗の始祖玄奘三蔵法師の舎利を納め、須弥壇に像。壁画殿には平山郁夫氏が30年の歳月をかけて完成した玄奘三蔵の精神を描いた壁画が納められている。この壁画は全て自然顔料を使い、ガラスで覆われている為色あせることがないそうだ。ラピスラズリで塗られた天井の青さは本当に自然のものなのかと驚くほど鮮やかだった。この創建は、高田管主と平山氏の昔からの約束で実現したもので、平山氏は完成するまで誰にも絵を見せないことを約していた為、高田管主自身もこの絵を見ることなくこの世を去ったという。詳細はNHK特集番組でも取り上げられたようだ。春季・秋季にしか公開されないので貴重なものを拝見できた。
その後平城京跡へ。修学旅行で訪れた時は2月で殺伐とした荒野だった覚えしかない。今は朱雀門が再建され、平成22年の平城京遷都1300年を目指して更に大極殿の復元が進められている。この地が今もいい保存状態で残っていたのは平安遷都の後すぐに田畑となり土の中に遺構がすっぽり取り残されたことだとか。全ての発掘調査を終えるにはまだ百年はかかる。ボランティアの方が朱雀門のところで色々説明して下さった。
奈良の都は平城京跡はもちろん今尚様々なところで発掘が続いており、友人の親戚宅も建て替えの際に調査が入ったのだとか。奈良ではそれが義務で、万が一遺構が見つかった場合、その土地は役所のものとされ、建築ストップとなるので皆何か発掘されないように願うという。青丹よし、奈良の都は今も生き続けていると感じた話だった。
法隆寺では柿と鐘の音。
まだまだ奈良の魅力は地面の下に埋もれているようです。
飛天の上には雲でしょうか。
奈良の魅力は地下にも地上にも。まだまだロマンに溢れていますね。
正倉院展に行きたい衝動にかられています。
読ませて頂いてその昔リックを背負い主人とは二人で薬師寺に旅したことを思い出しています。西塔が完成された3年後だったと思います。
良い投稿を有り難うございます。
本当にいい天気でした。
旦那様との二人旅、いい思い出ですね。
私の今回の二人旅も素敵でしたが、いつかは旦那様と~。
奈良はゆったりとした気分にさせてくれて好きな場所、何度訪れてもいいですね。
父がとても好きなお寺で、よく写真を撮りにいっています。
正倉院展、私もいってみたい、、、奈良で20年以上すごしながら1度もいってないなんて罰当たりですね!(笑)
正倉院展、ああ、行きたい!!
結構近くにいるといつでも行けると思っていかないものですよね~。