ルイ・ヴィトン、持っていますか?いわゆる”ブランド品”についてどんな印象をお持ちですか?
ブランド(brand)は日本語で銘柄、高級品と訳されるが、本来は“焼き印”のことだった。アメリカ西部開拓時代に貴重品であった牛の盗難を防ぐ為に所有者が焼印を押したのがそもそものブランドなのだとか。
フランスでは銘柄のことをグリフ(griffe)というそうで、ほとんどの庶民はヴィトンを始めとするグリフと呼ばれる高級ブランドを知っていても、実際身につけることはない。フランスでは一握りの上流階級に支えられるのが高級ブランド、いや、上流階級によってグリフは生まれるもので、庶民とは無縁だった。高級品は客の特別注文を店が受ける形で新しい発想や商品が生まれ、作られてきたからだ。ヴィトンに限らず、エルメスのケリーバッグも、グレース・ケリーが自分の大きなおなかを隠す為の大きなハンドバッグが必要になったことから作らせたもの。贅沢な特注品がグリフにとって後々の宝となっていく。だからグリフにとっては経済的に余裕のある顧客をどの位もっているかが財産だった。
とびきりの贅沢をする人がいるからこそ贅沢品を作る技と職人が生まれていく。日本も例外ではなく、例えば室町時代の金閣寺など、足利義満という将軍と膨大な資金力がなければ生まれなかっただろう。今に伝わる美しい芸術品は、天皇や王族、将軍、貴族により作られ、保護され、発展してきた。世界中何処でも王族や貴族達が最高級品のパトロン(後援者)だったといえる。
現代は貴族階級が事実上消滅し、最高の贅沢品が生まれる可能性は低い。今は、かつて貴族や上流階級が愛し、洗練されたもの、歴史があることによって、庶民を満足させ、新しい顧客を生んでいる状態、ブランド会社は歴史と伝統という過去の遺産を切り売りしているとも言える。本当の高級ブランドとは資金だけでは作り出せない。
ブランドはステータスシンボルだといわれるが、最高級品でありつつ目印になるものが必要になる。その意味でヴィトンは誰がみても一目瞭然、ここに誰もが認める高級ブランドたる由縁がある。
以前パリで日本人がヴィトンを買い漁る映像が紹介されていた。フランス人からすれば身分不相応な庶民や若者が高級品を買うのは陳腐で、呆れ顔だったそうだ。自分にふさわしいものを持てばよいというフランス人の気質にはある種品格を感じる。
日本でもヴィトンの店舗は何処も人が耐えない。お金さえあればどんな人でも購入できる雰囲気だ。けれど、ヴィトン自体はその格を守る為に、いわゆる富裕層に対してはVIPルームに通すなどして価値を高める努力をしているそうだ。
いかにもヴィトンとわかるところがいやらしくて嫌い、さりげなく高級品をもつ方が品があるという人もいる。かくいう私も買えない負け惜しみと言われればそれまでだが以前はそう思っていた。30代になってモノグラムのバッグとエピの財布を購入し、使用した。何故ヴィトンにしたかといえば、いいバッグが欲しいと思い色々見たが最終的にモノグラムはシンプルなデザインでどんな洋服にも似合いそうで、更にビニール製で丈夫、ずっと使えそうだったから、エピの財布は丈夫そうでオレンジ色が気に入ったからだった。一目瞭然でわかるという優越感ではなく、私の必要性とマッチして購入したのだが、使ってみてデザイン、実用性ともに優れていると感じ、愛用している。そして、次も好きな商品が見つかれば購入したいとも思っている。今回ヴィトンの歴史を知ることでブランドへの信頼性は更に深まった。
我々はいわゆる”ブランド品”をステータスシンボルといった理由だけで見るのではなく、その商品に篭められた思いを振り返ってみてもいい。初代ヴィトンの初心、仕事へのひたむきな思いを知って、そう感じた。私は仕事にどれだけのひたむきさ、客への配慮を持って取り組んでいるかと考えさせられた。
最高級品は上流階級の特注品という形ではあるが、儲けようという気持ちではなく、相手にとって使いやすくする為にはどうしたらいいかという真心から生まれてきた。本当にいいものはこれからもきっとそうして生まれて、愛され続けていくのだろう。
ブランド(brand)は日本語で銘柄、高級品と訳されるが、本来は“焼き印”のことだった。アメリカ西部開拓時代に貴重品であった牛の盗難を防ぐ為に所有者が焼印を押したのがそもそものブランドなのだとか。
フランスでは銘柄のことをグリフ(griffe)というそうで、ほとんどの庶民はヴィトンを始めとするグリフと呼ばれる高級ブランドを知っていても、実際身につけることはない。フランスでは一握りの上流階級に支えられるのが高級ブランド、いや、上流階級によってグリフは生まれるもので、庶民とは無縁だった。高級品は客の特別注文を店が受ける形で新しい発想や商品が生まれ、作られてきたからだ。ヴィトンに限らず、エルメスのケリーバッグも、グレース・ケリーが自分の大きなおなかを隠す為の大きなハンドバッグが必要になったことから作らせたもの。贅沢な特注品がグリフにとって後々の宝となっていく。だからグリフにとっては経済的に余裕のある顧客をどの位もっているかが財産だった。
とびきりの贅沢をする人がいるからこそ贅沢品を作る技と職人が生まれていく。日本も例外ではなく、例えば室町時代の金閣寺など、足利義満という将軍と膨大な資金力がなければ生まれなかっただろう。今に伝わる美しい芸術品は、天皇や王族、将軍、貴族により作られ、保護され、発展してきた。世界中何処でも王族や貴族達が最高級品のパトロン(後援者)だったといえる。
現代は貴族階級が事実上消滅し、最高の贅沢品が生まれる可能性は低い。今は、かつて貴族や上流階級が愛し、洗練されたもの、歴史があることによって、庶民を満足させ、新しい顧客を生んでいる状態、ブランド会社は歴史と伝統という過去の遺産を切り売りしているとも言える。本当の高級ブランドとは資金だけでは作り出せない。
ブランドはステータスシンボルだといわれるが、最高級品でありつつ目印になるものが必要になる。その意味でヴィトンは誰がみても一目瞭然、ここに誰もが認める高級ブランドたる由縁がある。
以前パリで日本人がヴィトンを買い漁る映像が紹介されていた。フランス人からすれば身分不相応な庶民や若者が高級品を買うのは陳腐で、呆れ顔だったそうだ。自分にふさわしいものを持てばよいというフランス人の気質にはある種品格を感じる。
日本でもヴィトンの店舗は何処も人が耐えない。お金さえあればどんな人でも購入できる雰囲気だ。けれど、ヴィトン自体はその格を守る為に、いわゆる富裕層に対してはVIPルームに通すなどして価値を高める努力をしているそうだ。
いかにもヴィトンとわかるところがいやらしくて嫌い、さりげなく高級品をもつ方が品があるという人もいる。かくいう私も買えない負け惜しみと言われればそれまでだが以前はそう思っていた。30代になってモノグラムのバッグとエピの財布を購入し、使用した。何故ヴィトンにしたかといえば、いいバッグが欲しいと思い色々見たが最終的にモノグラムはシンプルなデザインでどんな洋服にも似合いそうで、更にビニール製で丈夫、ずっと使えそうだったから、エピの財布は丈夫そうでオレンジ色が気に入ったからだった。一目瞭然でわかるという優越感ではなく、私の必要性とマッチして購入したのだが、使ってみてデザイン、実用性ともに優れていると感じ、愛用している。そして、次も好きな商品が見つかれば購入したいとも思っている。今回ヴィトンの歴史を知ることでブランドへの信頼性は更に深まった。
我々はいわゆる”ブランド品”をステータスシンボルといった理由だけで見るのではなく、その商品に篭められた思いを振り返ってみてもいい。初代ヴィトンの初心、仕事へのひたむきな思いを知って、そう感じた。私は仕事にどれだけのひたむきさ、客への配慮を持って取り組んでいるかと考えさせられた。
最高級品は上流階級の特注品という形ではあるが、儲けようという気持ちではなく、相手にとって使いやすくする為にはどうしたらいいかという真心から生まれてきた。本当にいいものはこれからもきっとそうして生まれて、愛され続けていくのだろう。
ちょうど私はその時、五木寛之の「愛について」を読んでいてP22“ブランド信仰のマイナスとプラス”の文章に思わず納得してしまいました。
旅行では買い物も楽しみのひとつですが、それだけっていうのもなんだか寂しいですよね。折角他の国に行くのだからそこの文化や歴史も少しは吸収しないと。
五木寛之さんの本の中にブランド信仰のマイナスとプラスっていう文章があるのですね。ブランドはどうあれ、自分に似合うものを持ちたいですね。