初釜が開け1月下旬頃から二月にかけての厳寒の時期、裏千家には大炉という独自のお点前がある。宗家では2月のみ大炉が開けられると聞く。
大炉はその名の通り、通常の炉の1尺4寸(42.4センチ四方)より4寸大きく、1尺8寸(54.5センチ四方)あり、炉縁は丸太木地、炉壇は灰色、赤い雪輪瓦を炉に仕込む。宗家では咄々斎の次の間6畳に大炉が切られているそうだ。
その発生は、裏千家十一代玄々斎が宮中の大事な方を宗家にお招きした際、大変寒い頃だったので、小間で濃茶を差し上げた後、次の間に田舎の囲炉裏を模した大炉を切り、薄茶を差し上げたことに始まる。玄々斎の時代、まだ暖房器具も少なく、日本間は相当寒かったと想像される。玄々斎は客に少しでも暖かいようにと心配りをし、大炉を考案し、もてなしたのだ。大炉は炉も大きいが釜も通常より大きめのもの(広口)をかけるので、部屋全体が暖かくなるのも早い。また、炉縁、炉壇、雪輪瓦からも分かるように、小間や通常の炉とは全く違うしつらえになっているので、初めて見た宮中の方もこの斬新な発想には驚かれ、喜ばれたことだろうと思う。
玄々斎は以下のように規定している。「大炉は一尺八寸四方四畳半左切が本法なり。 但し、六畳の席よろし。」
炉の切り方には本勝手と逆勝手があるが、大炉では逆勝手に炉が切られることになっている。
習っている方にはよくわかると思いますが、そうでない方の為に説明します。
いわゆるベーシックなお茶のお点前というのは本勝手の炉なので、逆勝手というのは名の通り、右左が逆になる。席に入る時は普段は右足からだが、逆勝手では左足から、ふくさは普段は左腰だが逆では右腰につける、と言ったように日々のお稽古とは右左の逆転が起き、道具の置き場所が微妙に違ったりもするので、普段より頭を使うのです。
何故わざわざと思うでしょうが、宗家の作りからして逆にしか炉は切れなかったと先生はおっしゃいます。私は実際見たことがないし、イメージが沸かないのですが。いずれにしても大炉は逆勝手と決まっている。
炭点前も斬新で、初炭では雪輪瓦の向こう(炉中)に炭を組んでおいてつぎ、後炭では灰器に炮烙(ほうらく、もしくは焙烙ほうろくとも)を使用する。食べ物を炒ったり、蒸し焼きにする際に使う平たい素焼きの土器風の器で、素朴な味わいがある。
短い時期にしか使用されない大炉、思えば贅沢な炉である。また、利休七則の“冬は暖に夏は涼しく”を見事に実践したのだなと関心する。裏千家ならでは、といわれるお点前や慣習には、玄々斎という名前が必ず出てくる気がする。いずれも取り合わせやしつらいなど、センスがいい。時代のクリエーターだったのかもしれない。叶わないが、名前を聞く度、お会いしてみたい衝動に駆られる。
先生のお母様は大炉を切ると不幸がおこるといって切りたがらなかったそうだ。私の先生は当時師事していた先生にそれは迷信だし、気になるなら少しお金を出してもらって皆さんで切る形にすればと勧められ、社中で炉縁を購入して出来上がったそうだ。大炉自体需要があまりないので、先生は写真や図面を大工さんに示しながら作ったとか。お話を聞いて大変な作業だったんだなあを実感。短い時期しか使わない為、切られていない先生も多いようだが、私はお蔭様で大炉のお稽古をすることができて感謝している。
大炉はその名の通り、通常の炉の1尺4寸(42.4センチ四方)より4寸大きく、1尺8寸(54.5センチ四方)あり、炉縁は丸太木地、炉壇は灰色、赤い雪輪瓦を炉に仕込む。宗家では咄々斎の次の間6畳に大炉が切られているそうだ。
その発生は、裏千家十一代玄々斎が宮中の大事な方を宗家にお招きした際、大変寒い頃だったので、小間で濃茶を差し上げた後、次の間に田舎の囲炉裏を模した大炉を切り、薄茶を差し上げたことに始まる。玄々斎の時代、まだ暖房器具も少なく、日本間は相当寒かったと想像される。玄々斎は客に少しでも暖かいようにと心配りをし、大炉を考案し、もてなしたのだ。大炉は炉も大きいが釜も通常より大きめのもの(広口)をかけるので、部屋全体が暖かくなるのも早い。また、炉縁、炉壇、雪輪瓦からも分かるように、小間や通常の炉とは全く違うしつらえになっているので、初めて見た宮中の方もこの斬新な発想には驚かれ、喜ばれたことだろうと思う。
玄々斎は以下のように規定している。「大炉は一尺八寸四方四畳半左切が本法なり。 但し、六畳の席よろし。」
炉の切り方には本勝手と逆勝手があるが、大炉では逆勝手に炉が切られることになっている。
習っている方にはよくわかると思いますが、そうでない方の為に説明します。
いわゆるベーシックなお茶のお点前というのは本勝手の炉なので、逆勝手というのは名の通り、右左が逆になる。席に入る時は普段は右足からだが、逆勝手では左足から、ふくさは普段は左腰だが逆では右腰につける、と言ったように日々のお稽古とは右左の逆転が起き、道具の置き場所が微妙に違ったりもするので、普段より頭を使うのです。
何故わざわざと思うでしょうが、宗家の作りからして逆にしか炉は切れなかったと先生はおっしゃいます。私は実際見たことがないし、イメージが沸かないのですが。いずれにしても大炉は逆勝手と決まっている。
炭点前も斬新で、初炭では雪輪瓦の向こう(炉中)に炭を組んでおいてつぎ、後炭では灰器に炮烙(ほうらく、もしくは焙烙ほうろくとも)を使用する。食べ物を炒ったり、蒸し焼きにする際に使う平たい素焼きの土器風の器で、素朴な味わいがある。
短い時期にしか使用されない大炉、思えば贅沢な炉である。また、利休七則の“冬は暖に夏は涼しく”を見事に実践したのだなと関心する。裏千家ならでは、といわれるお点前や慣習には、玄々斎という名前が必ず出てくる気がする。いずれも取り合わせやしつらいなど、センスがいい。時代のクリエーターだったのかもしれない。叶わないが、名前を聞く度、お会いしてみたい衝動に駆られる。
先生のお母様は大炉を切ると不幸がおこるといって切りたがらなかったそうだ。私の先生は当時師事していた先生にそれは迷信だし、気になるなら少しお金を出してもらって皆さんで切る形にすればと勧められ、社中で炉縁を購入して出来上がったそうだ。大炉自体需要があまりないので、先生は写真や図面を大工さんに示しながら作ったとか。お話を聞いて大変な作業だったんだなあを実感。短い時期しか使わない為、切られていない先生も多いようだが、私はお蔭様で大炉のお稽古をすることができて感謝している。
確かに今日庵さんの中では、玄々斎家元のお名前はよく出てきますね。立礼を考案されたのも玄々斎ですし、明治維新茶の湯苦境の時代にリーダーシップをとっておられた、クリエイティブな才能の持ち主であられたことは間違いないでしょう。
裏千家HPでは反古襖 で紹介されているところが大炉 の間ですhttp://www.urasenke.or.jp/textc/chashitu/fusuma.html
青年部の宗家研修の時 水谷さんからのご説明ですがご紹介させていただきます
咄々齋は天上が低いです
6.97尺約2.3m程です
隣の大炉の間との間 太さ2間そのままの杉の有名な格狭間の形をした大小の桐の形をした透かし 上部はそのまま空間が開いています(HPの反古襖の上に付長押まで写っていますが欄間が写ってません ) そのことを頭の中に描いて 改めて 寒い時期 大炉の間に広口の大釜をかけ湯気が上がる 事を想像してください
大炉の間の熱は 欄間を通して咄々齋への 暖房にもナリ得る ここに釜がかかることで 咄々齋が暖まる
http://www.urasenke.or.jp/textm/headq/soke/koyomi/hatuh18k/hatuh18k-05.html この画像を見ると上の方に 欄間が見えます 大宗匠が座っていらっしゃるところが大炉の間ですが このように大勢の人を迎えるときは 敷居が取り外され 左横の鎖の間的な空間も全て一つの部屋になるよう構成されています(廊下まで畳が敷かれ入側までいれると30畳超になる)
この辺りの 空間の使い方もスゴイと思います
官休庵さんのこと、これからshiroさんのブログでお勉強させて頂きます。
これまでご縁がないのですが、いつか官休庵さんの茶席にも一度伺ってみたいです。
時代の狭間で活躍した玄々斎、いつか玄々斎の作られた慣習やお点前について、自分なりにまとめてみたいとも思っています。
私もいつか今日庵を訪ねてその空間のすばらしさを実感したいと思います。
特に、「大炉を切ると不幸がおこる」というくだりと、「逆勝手」という言葉に、とても興味を覚えました。
門外漢としては、いつも分かりやすい説明をしていただいて、とてもありがたく思います。
不幸がおこるとは実際に何かあったのですかと先生に伺ったのですが、具体的にはお話はなかったようです。
思うに、あまりない点前であることと、大炉を切るということは家に手を加えることになりあまり好まれなかったということではないでしょうか。
逆勝手も、あまり数はないのですが、お勉強します。
炉には八炉といって、本勝手と逆勝手の2種に、炉の位置・切り方で4種類あり、全部で8種類あります。
絵で書くと分かりやすいのですが。。。機会あれば、また文字だけで説明できそうでしたらご紹介したいと思います。