16.棗には蓋半月に手をかけて 茶杓を円く置くとこそしれ
15首は中継(なかつぎ)、16首は棗の扱いを記している。
その形や扱いの違いについては15首でご紹介したので省略して、井口先生の書より、ご紹介する。
以下引用*******************
棗は足利義政時代に、京都妙覚寺法界門の傍に住んでいた羽田五郎が始めたといわれる。形は果実の棗から生まれた。棗は胴のおよそ三分の二の位置で蓋と身がわかれるもの、すなわち上方に合口のあるものをいう。(省略)
蓋を半月に持つというのは、棗の蓋を上から掴むように持つと、棗の蓋の表面と、指との間に、三日月形の空間ができる。それを半月といったのである。このように持つと、見た目が美しい。初心の人はよく鷲掴みにするが、武骨に見えて美しさがない。(以下省略)
************************
15首で私は”棗は上から鷲掴みにする”と、上から掴むことを鷲掴みと表現したが、辞書によれば、”鷲掴み=上からワシが獲物をつかむように、手のひらを大きく開いて荒々しくつかむこと。”とあるから、適当ではなかったと思う。お詫びすると共に訂正させて頂きます。井口先生も書いておられるように、三日月の空間ができるように上から掴むのが正しい持ち方となります。
羽田五郎の名は初めて耳にしたので、簡単ながらネットで検索しました。ご参考まで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E7%94%B0%E4%BA%94%E9%83%8E
棗の由来となった植物のナツメの名は、夏に入って芽が出る(夏芽)ことに由来するという。 (学名:Ziziphus jujuba)クロウメモドキ科の落葉高木。
実は乾燥させ干しなつめとしたり、菓子材料として食用にされ、また生薬としても用いら、原産地は中国~西アジアにかけて、日本への渡来は奈良時代以前とされています。棗の花と実については、以下HPをご参照ください。実はみたことがありますが、こんなに可憐な花を咲かせるんですね。
http://www.e-yakusou.com/sou/sou289.htm
茶道具の棗、その姿、佇まいはなんとも魅力的です。柄のある棗も季節や風情を感じられていいものですが、ただの黒、ただの飴色の姿には、余計なものをそぎ落とされた独特な美しさを感じます。また、蓋を開けた時、施された細工や目に入る抹茶の美しさにも感動することが多々あります。抹茶の入れ物でありながら、それを引き立たせる美しい仕掛けを考えた日本人の感性には感動します。
最近、慌ただしさの中で、棗に抹茶を入れることなく、抹茶を頂いていた私ですが、久しぶりに、棗に入れ、蓋を開け、抹茶を掬い、茶を点てて一人静かに頂きました。なんともいえないほっとした気分になりました。やはり、茶の湯には、ただ茶を飲むというだけではない、ひとつひとつの動作に意味と精神性があると感じたひとときでした。
15首は中継(なかつぎ)、16首は棗の扱いを記している。
その形や扱いの違いについては15首でご紹介したので省略して、井口先生の書より、ご紹介する。
以下引用*******************
棗は足利義政時代に、京都妙覚寺法界門の傍に住んでいた羽田五郎が始めたといわれる。形は果実の棗から生まれた。棗は胴のおよそ三分の二の位置で蓋と身がわかれるもの、すなわち上方に合口のあるものをいう。(省略)
蓋を半月に持つというのは、棗の蓋を上から掴むように持つと、棗の蓋の表面と、指との間に、三日月形の空間ができる。それを半月といったのである。このように持つと、見た目が美しい。初心の人はよく鷲掴みにするが、武骨に見えて美しさがない。(以下省略)
************************
15首で私は”棗は上から鷲掴みにする”と、上から掴むことを鷲掴みと表現したが、辞書によれば、”鷲掴み=上からワシが獲物をつかむように、手のひらを大きく開いて荒々しくつかむこと。”とあるから、適当ではなかったと思う。お詫びすると共に訂正させて頂きます。井口先生も書いておられるように、三日月の空間ができるように上から掴むのが正しい持ち方となります。
羽田五郎の名は初めて耳にしたので、簡単ながらネットで検索しました。ご参考まで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E7%94%B0%E4%BA%94%E9%83%8E
棗の由来となった植物のナツメの名は、夏に入って芽が出る(夏芽)ことに由来するという。 (学名:Ziziphus jujuba)クロウメモドキ科の落葉高木。
実は乾燥させ干しなつめとしたり、菓子材料として食用にされ、また生薬としても用いら、原産地は中国~西アジアにかけて、日本への渡来は奈良時代以前とされています。棗の花と実については、以下HPをご参照ください。実はみたことがありますが、こんなに可憐な花を咲かせるんですね。
http://www.e-yakusou.com/sou/sou289.htm
茶道具の棗、その姿、佇まいはなんとも魅力的です。柄のある棗も季節や風情を感じられていいものですが、ただの黒、ただの飴色の姿には、余計なものをそぎ落とされた独特な美しさを感じます。また、蓋を開けた時、施された細工や目に入る抹茶の美しさにも感動することが多々あります。抹茶の入れ物でありながら、それを引き立たせる美しい仕掛けを考えた日本人の感性には感動します。
最近、慌ただしさの中で、棗に抹茶を入れることなく、抹茶を頂いていた私ですが、久しぶりに、棗に入れ、蓋を開け、抹茶を掬い、茶を点てて一人静かに頂きました。なんともいえないほっとした気分になりました。やはり、茶の湯には、ただ茶を飲むというだけではない、ひとつひとつの動作に意味と精神性があると感じたひとときでした。
コメントをありがとうございました。お返事が遅くなり、申し訳ありません。
いい先生に出会ってお稽古を楽しんでおられるようですね。私は現在お稽古休止中、なかなかブログも更新できずにおりますが、おかげさまで葉蓋と洗い茶巾の題名に久しぶりに夏のすずやかなお点前を思い出しました。
これからも気軽にコメント下さい。
お稽古に通って7年。
休み休みでも大らかに対応して下さる先生に出会って幸せです。
また拝読させて頂けたら嬉しく思います。
コメントありがとうございます。
味わってみてください。
台所でチャッチャと簡単に点てて飲むお茶ももちろん美味しいのですが、型に添って頂くと、一味違うような、、、、気が致しますよ。
利休百首が愛読書ですか。すばらしい~。でも、本当に簡潔に的確に書かれていて勉強になりますよね。基本に立ち返れる書ですね。
点前も流れを覚えると、細かいところがおろそかになったり変な自分なりの癖がついたりしているものですよね。
私も先生に、そこの指はこうとか、茶杓や柄杓の持ち方など、細かくご指導頂きました。
きれいなお点前を目指し、心も一緒に育てる、おっしゃる通りと思います。
普段の生活ではタッパーの抹茶もありですよね。お茶は飲んでこそと思います!
一度、味わってみたいです。
この15・16の通り指導しています
丸きものは丸く置き、平きものは真っ直ぐに置く・・・ってですね(本当はピタッと置くと言っていますが)!
利休百首は本当に指導に役にたちます
・・・と利休百首に書いてある・・・という具合です
指をそろえる、爪先を上げない・・・どちらかというと細かい先生でしょうね・・・わたしは?
「りこうになく、ぬるくなく、ただとりまわしはきれいなるよう」
常にきれいなお点前を目指し、心も一緒に育てる
口では言うもののなかなかむつかしい~!
でもいつも口にしている言葉です
わたしも冷蔵庫の中から、タッパ~に入れた抹茶を点てて飲んでいます
意味と精神性ですね・・・
ちょっと反省しながら・・・一服いただいて就寝といきますかね~!