続きお薄という言葉は、大学茶道部時代から耳にしていた。表千家の先生が卒業生茶会などで濃茶席に入られると続きお薄になって、長々と席が続き、終わらなかったことが時々あったのだ。先生にしてみれば、学生達とのひとときを少しでも長くと思われてのことだったのだろう。一方で席を運営する幹事は、時間が押してヒヤヒヤしていたのだが。今や懐かしい思い出。
私が続きお薄を点前としてするようになったのは茶事を意識するようになってからで、まだつい最近のことである。
続きお薄とは、茶事の中で行われる応用点前。通常の茶事は炉の場合、初炭→懐石→濃茶→後炭→薄茶、風炉の場合は、懐石→初炭→濃茶→後炭→薄茶と進みますが、夜咄の茶事や朝茶事といった時間を短く行う茶事では、濃茶点前の途中で亭主が挨拶をして後炭を省略して続けて薄茶を差し上げることがあり、これを続き薄茶と呼びます。
亭主の挨拶は場合によってになりますが、例えば
「時が移りましてはご迷惑になりますので、このまま続けてお薄をさしあげたく存じます。」という感じでしょうか。夏に行われる朝茶事であれば、日が高くなると暑くなってきますし、冬に行われる夜咄茶事であれば、遅くなると夜更けて足元も帰りも危なくなってきます。亭主はそれに配慮するのです。
夜咄の茶事や朝茶事以外でも、客から続き薄茶を所望することもあります。これは、亭主に手間をかけさせないようにとの客の配慮からで、炭の具合がいいのを見て後炭を省略して続きお薄ではいかがでしょうかと挨拶をするものです。
この場合、もちろん亭主は省略しては折角いらして頂いた客に失礼にあたるとの思いから一端辞退しますが、客がそれでもと勧めればお言葉に甘えてお薄を続けて差し上げますというようになります。
茶事に限らず茶道の所作には一定の決まりがあり、私達は日々それを切々と学びます。しかし、それは基本として学ぶものであり、実際は席の様子を見て臨機応変にやり取りが行われるもの、その場に応じて動けるようになる為に学ぶのだといつも先生はおっしゃいます。何事も基本知識がなければ、いつか来るべき正式な場所で、スムーズな動きや心くばりができるようにはならない、更に、何度も正式な場所を経験することで、より臨機応変な対応ができるようになるということです。
続きお薄も夜咄茶事や朝茶事で行われるという基本的な決まりがありますが、それは絶対ではなく、席の様子で客が所望してもおかしくないのです。この見極めや対応が亭主や客の精神性、人間性を表すということになりますでしょうか。
このことは茶道に限らず、仕事や人間関係など、全てのことにも通じると思います。仕事にも基本ややり方というものがあり、新人の頃は言葉で教えてもらうだけでなく、先輩の動きややりとりを見てひたすら学ぶことから始まります。やがて自分なりの動きができるようになり、ひいては客とうまくコミュニケーションがとれるようになり、信頼を得、仕事をスムーズに回すことができるようになります。基本の動きができるようになると、突発的な問題が発生した際も冷静に対応することができるようになります。
やはり何事も経験すること、基本的な知識や所作を身に付けることが大切だということを茶事という流れを知るに至って実感しました。
社中にて行われる夜咄の茶事で、僭越ながら私は続きお薄をさせていただくことになりました。大先輩の中での続きお薄、緊張ですが、貴重な機会を与えて頂いたことに感謝して、その日まで精進したいと思います。
私が続きお薄を点前としてするようになったのは茶事を意識するようになってからで、まだつい最近のことである。
続きお薄とは、茶事の中で行われる応用点前。通常の茶事は炉の場合、初炭→懐石→濃茶→後炭→薄茶、風炉の場合は、懐石→初炭→濃茶→後炭→薄茶と進みますが、夜咄の茶事や朝茶事といった時間を短く行う茶事では、濃茶点前の途中で亭主が挨拶をして後炭を省略して続けて薄茶を差し上げることがあり、これを続き薄茶と呼びます。
亭主の挨拶は場合によってになりますが、例えば
「時が移りましてはご迷惑になりますので、このまま続けてお薄をさしあげたく存じます。」という感じでしょうか。夏に行われる朝茶事であれば、日が高くなると暑くなってきますし、冬に行われる夜咄茶事であれば、遅くなると夜更けて足元も帰りも危なくなってきます。亭主はそれに配慮するのです。
夜咄の茶事や朝茶事以外でも、客から続き薄茶を所望することもあります。これは、亭主に手間をかけさせないようにとの客の配慮からで、炭の具合がいいのを見て後炭を省略して続きお薄ではいかがでしょうかと挨拶をするものです。
この場合、もちろん亭主は省略しては折角いらして頂いた客に失礼にあたるとの思いから一端辞退しますが、客がそれでもと勧めればお言葉に甘えてお薄を続けて差し上げますというようになります。
茶事に限らず茶道の所作には一定の決まりがあり、私達は日々それを切々と学びます。しかし、それは基本として学ぶものであり、実際は席の様子を見て臨機応変にやり取りが行われるもの、その場に応じて動けるようになる為に学ぶのだといつも先生はおっしゃいます。何事も基本知識がなければ、いつか来るべき正式な場所で、スムーズな動きや心くばりができるようにはならない、更に、何度も正式な場所を経験することで、より臨機応変な対応ができるようになるということです。
続きお薄も夜咄茶事や朝茶事で行われるという基本的な決まりがありますが、それは絶対ではなく、席の様子で客が所望してもおかしくないのです。この見極めや対応が亭主や客の精神性、人間性を表すということになりますでしょうか。
このことは茶道に限らず、仕事や人間関係など、全てのことにも通じると思います。仕事にも基本ややり方というものがあり、新人の頃は言葉で教えてもらうだけでなく、先輩の動きややりとりを見てひたすら学ぶことから始まります。やがて自分なりの動きができるようになり、ひいては客とうまくコミュニケーションがとれるようになり、信頼を得、仕事をスムーズに回すことができるようになります。基本の動きができるようになると、突発的な問題が発生した際も冷静に対応することができるようになります。
やはり何事も経験すること、基本的な知識や所作を身に付けることが大切だということを茶事という流れを知るに至って実感しました。
社中にて行われる夜咄の茶事で、僭越ながら私は続きお薄をさせていただくことになりました。大先輩の中での続きお薄、緊張ですが、貴重な機会を与えて頂いたことに感謝して、その日まで精進したいと思います。
>続きお薄の点前自体、嫌いではありません。
私も濃茶も薄茶も点てられて結構好きです。
が、突然やると茶器の入れ替えにあたふたしたりします。。。ああ。
臨機応変な判断ができるようになるには、まだまだたくさんの勉強と茶事参加、そして茶事主催をしなければならなそうです。
長い道のりです~。
>茶事の形として季節と一体になったもてなしの仕方
まさにそうですね。朝茶には朝茶の、夜咄には夜咄の味わいがあっていいですよね。
>いつの日かUPしたいと思っています.
楽しみにお待ちしています。
私も亭主役頑張ってきます。
>次回の稽古茶事が続き薄茶なんだそうです。
それは楽しみですね。
続きお薄も形のひとつとして習いますが、それを使うかどうかは臨機応変に、となるといつでも使えるように身に付けておかなくてはいけないってことですよね~。
>道具の扱いの違いだけでなく、ケースバイケースの対応の仕方で増えた部分も多いのでしょうね。
そうなんでしょうね。
>正客は拝見のご挨拶があるから、次客が先にお茶をいただきますよね。拝見も、まとめてでしたね。
そうです!私も今一生懸命おさらいしているところです。
私も後炭は未知の世界に近いです。焚け具合でつぐのでしょうが、、、、これから勉強したいと思います。
>ゆっくりするという点では、後段付きって、どうするのかしらね?やはり、お酒なのかしら?
一般的なのは薄茶をもう一服進めたり、白湯を進めたりでしょうか。
今の茶事形式では後段というのはどうなんでしょう?
本当に臨機応変に対応できる心構え、とても大事なことですね。
私もそういう心構えで余裕を持って心豊かなお茶会ができるようになりたいです。遠い道のりですがー。
>先日、藪内流の家元での初釜に行ってきました。
お家元の初釜とは貴重な経験ですね。羨ましい。
私は家元の初釜に伺うような日がくるのかどうか。。。。
確かにお客から続きお薄でと言い出すのはあまりないかもしれません。
茶事にお招きする、招かれる際は万難を排していますから、互いに省略するということはめったにはないでしょう。
ただ、朝茶事と夜咄の遅くなるといけないのでという亭主の配慮は理に叶ったものがあり、風情を楽しむという意味でもいいなあと思います。
いつ、どのような場面で行われる茶事も、亭主と客の心の通い合いによって、形は如何様にも変化できるということなのだと思います。
おっしゃる通り、お茶をやっていると「想像力」がつきますね。色々なことに目が行くようになるというか。
夜咄、最近はうちの社中は手分けしてそれぞれお勉強する形式なので、私は続きお薄の部分をさせて頂くのです。炭などは他の方がなさいます。夜咄は極寒期に行われるので、何月という決まりはないのでしょうが、二月が多いようではあります。
夕刻から始まる茶事とは初めて、暖かくもてなす為の工夫もたくさんあるらしく、楽しみです。
ありがとうございます。
確かに暗くて手元がおぼつかなそうですね。抹茶をこぼしたりしないように気をつけなければ。。。。
楽しむ余裕があるか微妙ですが、楽しんできます。
続きお薄の点前自体、嫌いではありません。
ただ、茶器の入れ替えがしっかり身についていないので、好きと言えない辛さ^^;
苦手な後炭の点前をしなくていいという点では、未熟な私も救われますが、
予定に無い突然の事態が生じた時、時間を繰り上げて早く茶事を終わらせた方がいい時の判断ばかりは、未熟者ではさらりとできないでしょうね^^
茶事の形として季節と一体になったもてなしの仕方と
捉えれば非常に合理的だと思いますが?
表では夏の「朝茶」冬の暮れの「夜咄」に続き薄でお持て成しの習いになっています。いつの日かUPしたいと思っています.tamagoさん亭主役頑張って下さい
次回の稽古茶事が続き薄茶なんだそうです。
流れは知っていたのですが、なるほど、続き薄茶にはこういう意味があったのですね。
時間短縮、という認識が強かったのですが、決まりごとにとらわれ過ぎてはせっかくの楽しい茶事に水を差してしまう場合も確かにあると思います。
もし無理して体調崩したりなんかしても大変ですしね。
気持ちよく過ごすためにも臨機応変に対応することは必要だと思います。
そのためには、まずいろんなお手前をしっかり学ばないといけないのですが^^;
茶道にはたくさんのお手前がありますが、それは道具の扱いの違いだけでなく、ケースバイケースの対応の仕方で増えた部分も多いのでしょうね。
こういったやり方もあるというのを知ることも、面白いです。 だって、私後炭 苦手なのです。
ゆっくりするという点では、後段付きって、どうするのかしらね?やはり、お酒なのかしら?
続き薄茶は、未熟な私にとって、ありがたいお点前です。
立派な先生は、そういう心構えができているので、本番でも余裕を持って心豊かなお茶会ができるのでしょう。
先日、藪内流の家元での初釜に行ってきました。
始めにお濃茶をいただいて、その後に引き続いてお薄点前でした。
時間が長くなるので、足がしびれました・・・。
まだまだ修行が足りません。
シンジラレナ~~イ!
これって ありそうですが お茶(お茶会)をする者の心持ちから考えるとしてあり得ない 手続きです。
夜咄 朝茶事 約束事 であれば可能でしょうが
ふつうにお茶事に伺ってはあり得ない!
お茶事に およばれ して ご亭主に
時間がないので 続いてお薄 頂戴!
そりゃぁ ないっしょ!
お茶事 お客さん招いて 続いてお薄 差し上げます ありえない!
ついつい 楽しくって 話し込み 長くなる
それはあるでしょう
利休さんと藪内剣中 剣中さんの夜咄 に伺って
話し込み そのまま 朝茶事になった 逸話がありますが
となると 続き薄茶はない!
現代人忙しいから 時間を詰めて 続いてする
皆さんがお客さんとして招かれたら 万全を配して行くはずです 後炭の風情もなく お薄ですか?
ご亭主 お客招くため ばっちり 腹くくって準備している それに対して 続いては ないでしょう
また 逆も然り
現代人 何か 履き違えてはてはいないでしょうか?
お茶をやっていると「想像力」がつきますよね。あれがああなってるから、こう動こうとか、、これは日常でも非常に役に立つことと、感謝しています。
夜咄のご亭主をされるのですね。やはり12月なのでしょうか? たまごさんなら普段からお勉強なさっているのですし、しっかり勤め上げられると思います。がんばってくださいね♪
良いお時間を。