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SAMMY HAGAR サミー・ヘイガー②  モントローズ脱退、キャピタルからゲフィンへ

2007年04月08日 | 洋楽のルーツ
1973年にリリースされたモントローズの1枚目は期待に反して売れませんでした。
モントローズは路線を変更せざるを得なくなり、セカンド・アルバム「ペイパー・マネー」を製作するも結局サミーは脱退。
しかし2枚目の「ペイパー・マネー」は日本でヒット!その理由が輸入版で1枚目を聴いたファンが買ったためだったとはなんとも皮肉な話です。

モントローズ脱退後のサミーは、キャピタルレコードからソロ・アーティストとしてアルバムを発表しますが、日本ではほとんど話題になりませんでした。
サミーはキャピタル時代の1976年から1980年までの5年間でライヴアルバムを入れて6枚のアルバムを発表します。特にライヴ・パフォーマンスは人気でキャピタル・レコードの中堅アーティストになっていましたが今ひとつブレイクはしていませんでした。
私が、このキャピタル時代のレコードを聴くのは1983年になってからです。

その前に、久々にサミーを聴くきっかけになったのが1981年のゲフィン・レコード移籍第1弾「スタンディング・ハンプトン」です。

サミー・ヘイガーを一気にトップアーティストにするため、当時キャピタルのドル箱的アーティストだったサミーをゲフィンが引き抜いたのです。
「スタンディング・ハンプトン」はプロデューサーにフリートウッド・マック、フォリナー、サンタナ、リック・スプリングフィールドなどで知られるキース・オールセンを起用。その洗練されたサウンドとサミーのハードなカッコイイヴォーカルがマッチした名盤となりました。時の産業ロックの流れに乗った作品でジャケットもそれまでの赤を基調にしたサミーの顔のアップからモシャ・ブラッカーのシュールでお洒落なものに代わりました。
私もこのレコードで久々にサミーの活躍を知り非常に嬉しかった。
この路線は続く1982年発表の「スリー・ロック・ボックス」(写真)へと引き継がれますが、あまり洗練されすぎたサウンドは本来のサミーのものではなかったと思います。
しかし、この2枚のアルバムは売れ(28位と17位)、さらに1984年の「HSAS」「VOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)」へとゲフィンのサミーの売り出しプロジェクトはピークを迎えます。