法蔵菩薩の四十八願の内の第22願で言う
菩薩衆とは、浄土に往生してはいるが、まだ仏になっていない十方の衆生で、阿弥陀仏の極楽国(浄土)に生まれた衆生(天人・人間)だけでなく、阿弥陀仏の極楽国(浄土)に、修行に来た、他の無数の仏の作った国土(浄土)を拠点とする、衆生(天人・人間)も加えた膨大な数の衆生を言うので、上記を踏まえた上で、分かりやすく言い換えると、菩薩衆とは菩薩の行を行う衆生であるともいえる。なぜ、回りくどいことを、言うかというと、つぎに出す、衆生とは、別のタイプの衆生であるということを、知って頂きたいからである。衆生とはAタイプとBタイプがあり、Bタイプが、上記の仏国土・浄土で修行する衆生だとすると、Aタイプは、それ以外の天上界、人間界の世界にいる天人・人間等の全ての衆生である。そして、そのAタイプの衆生を救済しようという本願のあるBタイプの修行中の衆生(菩薩)もいるだろう。第22願では、「恒沙の無量の衆生を開化する」と表現する。そして、第22願に誓われた還相廻向のはたらきたる普賢の徳とは、無数の膨大な数の仏の国土(浄土)に往生した衆生Bタイプが、修する菩薩行であろう。
菩薩の行
礼拝 仏をおがむ A・B
讃歎 仏をたたえる A・B
作願 往生の願をおこす (諸仏の浄土に往生する前の行) A
観察 浄土を思いうかべる (諸仏の浄土に往生する前の行) A
廻向 名号の功徳を人々に信ぜしめる (諸仏の浄土に往生した後の行) B
普賢の徳
普賢菩薩の修する慈悲行の実践をいい、かれの立てる十大願を普賢の行願となづけ、華厳経では普賢を言語・思慮を絶したほとけのさとりを人格的にあらわした菩薩と考える。浄土教は利他教化の徳行を普賢の徳と呼び、親鸞は普賢の徳と還相廻向のはたらきとを同じとした。
かくして、浄土から、人間界に廻向(還相廻向)して、衆生救済を行う衆生(菩薩)がいる。