シェムリアップ死後の書🌴

憧れのパワースポット、シェムリアップで死後のことを考える日記。

極楽庵村 予定地 

2015年04月07日 20時06分16秒 | 日記

 

上写真  10年近く寝かしていた極楽庵村予定地   アンコールワットの見渡す限りの私有浄土

乾いた風が心地よく吹き抜けて、カンボジアとしては、北方にあるため、比較的過ごし易い

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 PS. シアヌークビル(コンポンソム)の私有地もまだ残ってますが、緯度の関係と、海が近いから、湿度が高くむちゃくちゃ暑すぎなので、綺麗ですが、浄土としてはお勧めできません。↓

 PS2. ↓ まだ生きている伝説の、ハーレム玉本敏雄が、親戚として唯一出席した私のシェムリアップでの結婚式のリハーサルのバックヤードでの写真(2001年)

 20世紀伝説の3大性豪のひとり、玉本(左)も、タイとフィリピンを捨て、ついのすみかとして、シェムリアップを選んだ。いまだに、いる。そこここに 二人の子供は、玉本の世話人のボッさんの子供

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カンボジアのわが浄土に、方丈の庵を結ぶこと

2015年04月02日 19時41分26秒 | 日記

釈迦の時代から極楽はあたたかい所と決まっている。

鴨の長明は大自然の中に、ついのすみかとして方丈の庵を結び、自作の琵琶や琴を奏で西に阿弥陀仏を祈って暮らした。

長明は、いろいろ思い通りにならないことが多くて、出家するに至ったと語っているが、長明の時代、平安から鎌倉にかけては、出家と言っても、寺に入るのではなく、自分ひとりで庵を結んでこもることが流行っていたらしい。長明もひとり大原の里や日野の里山に組み立て式の草庵を作り、風流三昧と、浄土を念じながら、方丈記とか、発心集などの著作にはげんだ。


カンボジアのシェムリアップ空港から国道6号線をアンコールワット方面と逆に右折、西バライの角をトンレサップ湖方面に左折してしばらく行くと、青い空と蓮池に快い風が吹きぬけ洗濯物もすぐ乾く自称「聖なる土地」がある。空港から30分ほどである。


この聖地にたたずむ「草庵」はまさしく800年前、長明がひとり出家し、自由と開放感を味わった大自然の中の小さな庵。長明が夢に祈った西方にある清らかな極楽浄土の風景にかさなる。

 

 

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下輩のものでも、深法を聞くと疑惑を生ぜず!

2015年04月01日 20時37分40秒 | 日記

仏、阿難に告げたもう、「その下輩の者というは、十方世界の、もろもろの天・人民にして、それ至心にかの国に生まれんと欲(おも)うものあらんに、たとい、もろもろの功徳を作ることあたわずとも、まさに無上菩提の心を発して、一向に意を専らにして、ないし十念にても、無量寿仏を念じて、その国に生まれんと願うべし。もし、(この人)深法を聞き、歓喜信楽して、疑惑を生ぜず、ないし一念に、かの仏を念じて、至誠心をもって、その国に生れんと願わば、この人、(いのち)終わるときに臨んで、夢のごとくにかの仏を見たてまつりて、また往生をう。(その)功徳・智慧、中輩の者に次ぐなり。」

大無量寿経下巻に、そのものずばり、自分の境遇、心境が書かれていることにたいへん驚きました。

下輩のものでも、深法を聞くと疑惑を生ぜず(深法を聞いて救われたものは信じるということ)

「この下輩の機は劣っているから、臨終に心も恍惚としておぼろになり、夢のごとく来迎仏を見奉る」(真宗大系)とか。

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極楽浄土に往生した人の、その後の人生は!?

2015年04月01日 19時07分40秒 | 日記

大無量寿経上巻 法蔵菩薩の48願で

「11願  たとい、われ仏となるをえんとき、国中の人・天、(正)定聚に住し、必ず滅度に至らずんば、正覚を取らじ。」

 ~阿弥陀仏の国土に往生(生まれた)した人は、正定聚の位になって、次生には必ず仏となって、滅度に至る。

「2願  たとい、われ仏となるをえんとき、国中の人・天、寿(いのち)終りてのち、また三悪道に更(かえ)らば、正覚を取らじ。」 

~阿弥陀仏の国土に往生(生まれた)した人は、死ぬことがある。

「15願 たとい、われ仏となるをえんとき、国中の人・天、寿命よく限量なからん。(以後略)

 ~阿弥陀仏の国土に往生(生まれた)した人の寿命は、限りない。

上の願をそのまま読むと、阿弥陀仏の国土に往生(生まれた)した人は、死ぬか、仏となるか、ずっとそのまま生きているか、だが、死んだ場合また、天上界か人間界か修羅界に戻るのか、はたまた阿弥陀仏の国土で新しく生まれ変わるのか?謎が残る。

 大無量寿経下巻にいう下輩の者には、分からないことがおおい。

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