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(シュザンヌ) セルジュはこのごろ、私にあなたのことをとてもよく話します。ヴィオレットの処であなたと再会して、それはもう仕合わせなのです。(アリアーヌの動揺。)
(アリアーヌ) 私の兄を紹介させてください。
(セルジュ) はじめまして、ムッシュー…
(フィリップ) ヴィオレットとは誰?
(アリアーヌ) マザルグ嬢のことよ。たいへん才能のあるヴァイオリニストで、私、一緒に伴奏練習をしているの。
(シュザンヌ) 演奏を拝聴できることは仕合わせです、奥さま。ヴィオレットの演奏も素晴らしいと思っております。夫は反対の意見ですが。
(セルジュ) ぼくはただ、彼女はもっと練習すべきだろうと言っているだけだよ。
(シュザンヌ) 彼女は生活がとても大変だということを忘れちゃだめよ…
(セルジュ) 平均的なアーティストたちと同様にね
(シュザンヌ) どうしてそういうことが言えるの? セルジュ。だいいち、彼女は健康がすぐれないのよ。そして姉さんを養っていかなければならないし。娘さんだって…
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(アリアーヌ) 子どもさんはすこし病弱みたいで、おきのどく。
(シュザンヌ) 私たち、もっと活動したいものですね。でも、私たちは、とても難しい時代を通過してもいるのです。(セルジュのいらだちが、どんどんはっきりしてくる。) もちろん、状況はご存じですわよね? 奥さま。
(アリアーヌ、気詰りな様子で。) ええ、知っています…
(セルジュ) シュザンヌ!
(シュザンヌ) どうして隠し立てすることがあるのか、分からないわ。
(アリアーヌ) でも、私の兄が事情通だとは思っておりません。
(シュザンヌ) 私は、この、ほんとうに酷い状況のなかで… 型にはまらない仕方で生きてゆくことを、いつも試みてきました。ご理解なさっておられるように…
(アリアーヌ) ええ。
(シュザンヌ) それにしても、ヴィオレットはすばらしいひとです。私をたいへん助けてくれました。セルジュは理解できていません。それでも私は彼を恨みません。彼は彼なのです。もちろん、娘さんが居るのでなかったら、知り得ないのです… 私たちはそんなに会うことはありません。なぜって、どうしても怖いから… (つづく)
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(つづき)それに、会うのは彼女にとっても気持の良いことではないわ。当然よ… でも彼女は私に一度も何も示したことはないわ… 彼女の立場からすれば、それでそんなに粋だった事は多くないでしょう。(セルジュ、立ち上がってあちらこちら歩く。) あなたは何て神経質なの、あわれなひと!
(アリアーヌ) この状況はそれにしても痛々しいですわね。
(シュザンヌ) でも、誰のせい?
(セルジュ、激昂して。) 分かってるよ、ぼくは自覚の無いやつで、阿呆で、品無しなんだ!
(アリアーヌ) まあ、お願いですから…
(セルジュ) 信じられない… ここまでの失態は!…
(シュザンヌ) どんな失態?
(セルジュ) 知るもんか、ぼくが。驚いたことだ…
(シュザンヌ) それにしても何を私が言ったというの?
(セルジュ) ぼくたちがここに入ってからというもの、きみは、場違いでなく、中傷的でなく、卑しくない言葉を、一言も言わない… ああ! 意識してじゃない。彼女は殊更にしたんじゃないんだ。自然に彼女はそうなるんだ。ひとつの特技なんだ。そして結果はといえば、彼女はぼくらの周りに真空をつくることになるんだ。友人なんて、ぼくは持ったことがない。同僚はといえば、消え去ってしまうだけだ。
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