「神の怒り」があるなら「魂の怒り」があるのは当然だということに何故想到しない
2023年03月08日(水) 03時50分33秒
人間は、怒りも度が過ぎると、もうどんな理性でも制御できなくなり、むしろ理性と称するものが怒りの表現手段でしかなくなる。そういうものが魂の怒りであり、神聖なもの、絶対的なものである。「神の怒り」というものが承認されるのなら、どうして「魂の怒り」が承認されないということがあろうか。神においても理性は絶対なものでも究極のものでもないのだ。こういうことをよくかんがえないと人間はけっして理解されない。
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