高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

相手にすべきではない人間二種

2023-01-15 17:14:38 | 日記


 
もし、相手の或る発言にたいして殆ど条件反射的に言い返す者がいたら、その者は取るにたらない無内容な者である。すこしでも内容のある者は、そのように即座の反応は返さず、その場では反省しているものだ。
 
 
相手の発言から、相手の気づいていないことを気づいたと思い込み、それを沈黙のうちに思うだけならまだしも、その場で相手に、相手が意識していない心の深い奥がある、と得々と言葉にして言う者があれば、その者も取るにたらない浅薄な、無反省に等しい者であり、相手にすべきものではない。何のために話しているのか。
 
 
 
大事な仕事を中断してこういうことを書くのは、勿論、どれほど年月が経っても、ぼくがそれほど正面から怒っているからである。これまで言わないできたとしても、これまで我慢してきたからこそ、今ついに噴火したからである。
 
 
 
もっと下等な人種のことは、ぼくはここで言わない。この種のものは駆除することのみが問題であるから。
 
 
 




相手の人格を尊重せよはほんとうか

2023-01-15 13:05:46 | 日記

相手の人格を尊重せよはほんとうか

2023年01月15日(日) 12時47分41秒

 
尊重の前に愛がなければ、人格の尊重は嘘であるか自己否定である。このいみで、ぼくは、他者一般にたいする人格尊重を認めない。一般的他者など、ぼくには、あまりにも多くの場合、やっつけてやろう、とおもう対象でしかない。尊重などしていたらこちらが否定される。そうされないためには、全力で相手を否定するしかない。人格もろとも否定するのだ。抽象的理想論でなく具体的状況論では、ぼくの、他者人格否定が、どれだけ説得力があり、圧倒的事実であるか、論じるまでもないだろう。
 
 
ぼくは上のことを、ひとを選んで言うべきであることを知っている。社会的には、つまり大衆に向っては、人格尊重を言っておくべきである。
 
 
 

人格尊重に基づいた友人関係など、とくに日本では絵空事である。ここから、日本における「友人」とは何であるか、定義は読者にまかせよう。とくに感心しないのは都会であり、地方ではそれなりに地に足のついた人格尊重感情に基づいた友人関係をぼくは経験している。
 
 



 


身内へ言う言葉

2023-01-15 02:17:50 | 日記

身内へ言う言葉

2023年01月15日(日) 01時31分46秒

 
ぼくと会う縁をもちたければ十回位人生を繰り返しておいで。
 
 
ぼくも、身内相手に矜持を忘れない。
 
 
高い精神の者にとって、身内は最も危ない可能的容喙者・無礼者なのだ。距離をとること、疎遠であることは、かれらに罪を犯させないためでもあるのだ。自然な運命こそ、当事者よりもそのことをよく心得ている。
 
 
 
 
封建制・王制は、人間の最も原初的で一般的な感情と想像力を納得させて統治するための方便であり、統治者自身はそのことをよく心得ているはずである。それゆえ、身内の関係こそ厳格な礼儀によって支配されねばならない道理もまた、よく心得ていなければならない。
 
 
 
 
 

ヤスパースの「魔法」経験 

2023-01-14 16:23:55 | 日記

ヤスパースの「魔法」経験 

2023年01月14日(土) 16時09分19秒

きょう訳した処(ヤスパース『哲学』第三巻112頁「昼の法則と夜への情熱」中):
 
《 魔物は、実存の現象が、実存自身の超越者のなかで溶けるに任せる。〔この場合〕実存は自らの運命を求めてはいなのである。既に子供は苦痛に満ちた魔法を知覚することが出来、この魔法を放射することさえ出来る。その場合この魔法は諸々の変化〔の現象〕を起こすにちがいないものであり、これらの変化を子供は自ら成熟した〔精神〕段階になっても、否定も肯定もしないで、理解できないながらも受け入れているのである。運命の成り行きは、魔物に従った実存が、〔運命の〕路の途上で、知っても欲してもいないような無慈悲で非情なものの中に陥るに任せる〔ことがある〕。実存は、容赦のない必然性を経験し、この必然性を実存は、蒙るのと同じ位、〔自ら〕作りもするのである。(つづく)》 
 
 
ヤスパースは、マルセルの魔法的世界を、子供期の不思議経験に遡って知っており、さらに、集合的容喙現象の無慈悲な不可解さまで知っていたように思われる。想像以上に深い人生経験をしていると思わざるをえない。やはり精神病理学者だ。 
 
 
 
 





本読みとピアニスト  昔見ていた夢を再び見つづけるのがぼくの真正な蘇生

2023-01-14 14:27:30 | 日記

本読みとピアニスト  昔見ていた夢を再び見つづけるのがぼくの真正な蘇生

2023年01月14日(土) 03時50分14秒


本読みは、ピアニストが毎日練習するように、本を読まなければならない。読書も、練習しないと、ピアノを流暢に弾けるような境位に至り保つことはできない。すべて訓練の賜だ。
 
 
そのためには、惹かれる本で、読む訓練をすること。惹かれる曲で、弾く訓練をするように。
 
 
 
昔、以前、見ていたかったのに天と人間の悪意で断たれた夢を、再び見るんだ。これが真正のぼくの蘇生だ。
 
森有正と辻邦生とリルケの世界がぼくの情緒世界の基本的な喚起剤だった。断たれたそれを再び続ける。