MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

フリージア

2005年12月05日 | 花随想の記
学生時代、渋谷駅前にある大手不動産会社の印刷室でアルバイトをしていたことがある。

印刷室の仕事はアルバイト先の会社が請負っていて、
その派遣社員として配属されていたのである。
仲介物件の間取り図や物件案内図などのチラシを主に印刷していたが、
仕事そのものは楽なほうで、前日徹夜しても何とかこなすことが出来た。

当時は文芸創作が趣味で、
バイトが空けると一目散におんぼろアパートに帰り原稿用紙に向かっていた。
疲れた日などもあったが、眠ろうとして横になっても、
物語の主人公がまだ書けていないストリーを語りだすので、
再び机に向かうようなこともあった。ときにはインスピレーションの世界に入り込んでいて、
気づいたら出勤時間間際なんていうこともあった。

下請け会社は不動産会社と駅を挟んだ反対側の渋谷警察署のすぐ近くにあった。
そこで作業着に着替えてから印刷室に出勤し、
昼食時は再び戻り社員食堂で食事をしていた。

社員食堂は昼飯だけが用意されていたが、
おかず以外はお代わり自由でしかも無料だった。
アルバイト学生にとって一日一食とはいえバランスの取れた無料の食事は有難かった。
結局卒業までの三年間という長い間お世話になる結果となり、社員旅行などにも参加していた。

食堂は、もと担ぎ屋だった茨城の「おばあちゃん」が担当し、
肉や魚介類と調味料以外は全て自家生産されたものを持ってくるので、
野菜は新鮮だったしご飯も自家製の漬物も美味しかった。

毎週金曜日はカレーライスだったが、
大きなジャガイモの入った田舎カレーは抜群で、
職場で最も人気のある昼飯だった。
この日ばかりはお替りする人も多く「おばあちゃん」の昼飯がなくなることもあった。
それでも「おばあちゃん」は菓子パンなどをかじりながらニコニコとしていて、
食べてもらえたことに満足しているような人だった。

その日がカレーだったかどうかは覚えてないが、
食事を終えのんびりと渋谷駅前を仕事場に向っていた。

卒業式があったのだろうか、正面から袴姿の女性が三、四人歩いてきた。
美しくはでやかな格好はみんなの目をひくものであったし私も何気なく見ていた。

彼女たちとすれ違う直前だった。

「あっ」

「おっ」

とお互いに驚きともつかぬ声をあげ、間髪を入れず女性から

「Aさんでしょう、暫くぶりね」

「あっ、Tさんかぁ、ほんと久しぶり、この辺の大学だったんですか?」

「そうS女子大」

短い会話だったが、四年ぶりのあまりにも偶然の再会であった。

彼女とは高校時代の同級生で、
在学中の三年間混声合唱を中心に活動してきた音楽クラブの仲間だった。
進学校だったため部員は十五名程度で、
ある合唱祭では人が足りず他の部から何人か借り出したこともあった。
定期的に合唱大会やレクリェーション、
さらには女子高との交換会などをしていたので楽しかった思い出として残っている。

別れ際に彼女から黄色い花を戴いた。卒業式に戴いたものだろう。
初めて見る花だった。

「ありがとう、なんていう花 ?」

「フリージア! 伊豆の大島から来たようよ、いい香りがするでしょう。
東京はまだ寒いけど大島はもう春なのよね」

花に顔を近づけたら甘い香りに包まれた。

「ほんといい香りだ、ありがとう」

私は昼休時間が終わりに近づいていたし、
彼女は友人を待たせていたので話もそこそこに別れた。

その後彼女のことは忘れていたが、
数年後に母校から贈られてきた卒業生名簿で、
高校の教師をしていることを知った。
さらに数年後、
姪っ子が英語の先生としての彼女から授業を受けていることを知り、
結婚されていたことも知った。

貧しいが夢に燃え口角泡を飛ばし議論をしていた学生時代、
そんな時代に、渋谷の雑踏の中で始めてフリージアを知ったのである。
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