MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

時雨雲と彩雲とトワイライト東京

2014年03月21日 | あらかると

朝から良く晴れて視界も良く、
東京スカイツリーを含む都心のビル群が、
すっきりと見えていた(巻頭の写真)。

晴れたら基本的にフィールドに出て、
春の息吹を感じつつ逍遥し、撮っても見たいので、
早速、近隣公園へママチャリで出掛けてみた。

寒桜や河津桜、実桜はすでに散り始めていたが、
遠景としてはまだ満開状態に見えている。
地元の寒桜の並木も遠景としてみるとなかなか面白く、
並木の左には東京スカイツリーが見え、
右には冠雪富士(右端の瓦屋根の上)が見えている。


先日からの暖かさで固かった辛夷の蕾が急に膨らみ、
今日、明日には開花しそうであった。


が・・・・正午過ぎには雪雲が流れてきて時雨始めた。

下の写真は12時30分に撮ったのだが、
前記一枚前の冠雪富士の写った写真は同じ場所で、
10時40分に広角で撮ったもので、わずか2時間で天候は崩れたのである。


降られては困るので、急遽帰宅。
都心方面も時雨雲が流れていた。


15時頃には再び日が射してきて、
太陽周辺の絹雲は虹色を帯びてきた。
「彩雲」の出現である。


約30分ほど彩雲を撮っていた。
なかなか見たままの彩雲が撮れず、写真光学の限界を感じたが、
細かな気流の乱れによる絹雲の変化は見ていて飽きないものだった。


そして日没後の都心は「トワイライト東京」となった。


今日は様々な事象が発生し、
朝焼けから夜景まで170枚以上も撮っていた。
枚数が多いと言うことは、何を主題にすべきかが難しく、
主題のないブログとなってしまった。
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増尾花道迷い道(2)「梅花・増尾城址・妙見信仰」

2014年03月20日 | あらかると

枝垂紅梅、枝垂白梅の見事さに感動しつつ道を下っていくと、
昔は小川であったに違いない側溝に差し掛かった。
しかし、
側溝沿いの車道は、官庁のの悪しき習慣である、
「年度末・予算使いきり工事」のために通れず、
迂回を余儀なくされてしまった。

道に迷ったら、川沿いに下っていくといずれ本流にたどり着き、
迷い道から脱出できる可能性が大きいのである。

迂回することにより、川を見失い再び迷い道を進むと、
国道51号線(後日調べで判明)に出るとともに、
川を再発見し、この川沿いの紅白梅の花も満開だった(巻頭の写真)。

川沿いには道路はなく、集落に面して走る道路を進む。
時折視界が開けて、金網の防護柵で囲われた川が見え、
川を挟んだ向こう側には、集落が見え庭木であろう梅の花が見えていた。


再び県道らしき大通りに出ると川向こうに梅林が見え、
さらに梅林の先には川の下流方向である右側へと続くT字路があった。
梅の花の香りとその道路に誘われて、T字路右へと進む。


しかし、舗装道路は「増尾城址公園」前で終わっていた。


大津川に出るまでは道に迷っているわけで、
城址公園を見学するよりも、先に進みたく、
近くにあった自販機の缶コーヒーで数分の珈琲タイム。
目の前は・・・・
芝浦工業大学柏中学高等学校だった。


と言うことで来た道を逆戻りし村落の旧道に戻った。
まるで民家への進入路のようなところを走っていくと、
「河津桜」を発見。
河津桜の近くには「妙見堂跡」の石碑が立っていた。

「妙見」とは妙見菩薩のことであり、
かってはこの地区が妙見菩薩を一族の守り神とした、
「南相馬氏(下総相馬氏・流山相馬氏)」の支配地であったという名残かもしれない。

また、
相馬氏初代の相馬師常は桓武平氏の流れを汲み、
平将門のの子孫である篠田師国の養子といわれている。
さらに、
平将門が伯父の平国香、良兼、良正らと戦ったおり、
妙見菩薩が将門と平良文の危機を救ったとされ、将門の守護神となっている。


そんな秘められた歴史の残る道を進むと、
山間を開いたような場所に梅林があった。


さらに進むと平地になり、白樺の植栽されている畑に出た。
で、畑の向側は芝浦工業大学柏中学高等学校のグラウンドのようで、
生徒らの溌剌とした掛け声が響いていた。


白樺と一緒に数本の「河津桜」が植栽されていて開花を始めていた。


まだ1分咲きにもなっていなかったが、今頃は満開になっているかもしれない。


明日は彼岸の中日だが、北風が強く荒れるようである。
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「春の野の恵み」をいただく

2014年03月19日 | たべもの・料理

とある川土手を散歩中に、
目の前に飛んできた「キタテハ」を撮るために追っていると、
蝶が飛んでいる範囲内で野生化した小松菜を数株発見した。


花を咲かせるために蕾をつけて伸びてきた茎は柔らかく、
しかも美味しいので早速、茎数本を折って収穫してきた。


野生化した小松菜は年毎に根が太くなり、多年草化するので、
一株から10本程度の花芽を出すこともまれではなく、
また、今の時季ならすべての茎を折って収穫しても、
さらにその茎の根元から新たな花芽を出して成長し、
盛春には川岸を菜の花畑のごとくにしてしまう。


収穫してきたのは5本だった。
水道水ですすぎ洗いをして1分ほど茹でた。


大き目の2本は天ぷらにして「天ぷら饂飩」として美味しくいただき、


3本は3~4cmほどに刻んで、ベーコン、バジルソースと合わせ、
スパゲッティの具として楽しんだ。
一度茹でたためか、菜の花特有の苦味は消えていて美味しかった。


早春から収穫を目論んでいた別の場所にあった小松菜の大株は、
無残にも鎌のようなものでばっさりと刈られていた。
最近はこのような状況の株を見ることが多くなったが、
「自然の恵みをいただく」事についてはもう少し敬虔な態度になれないかと思う。

このぐらいの大株になると根は大根のように太いので、
新たな花芽を出して花を咲かせるものと思われるが・・・・
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春一番吹き荒れる、21世紀の森と広場

2014年03月18日 | あらかると

南からの低気圧の通過で、
関東地方は「春一番」が吹いたと発表された。

9時ごろにはまだ風は吹いておらず、
自転車で21世紀の森と広場へと向かう。

上空は風が強かったようで、
羽田に着陸する旅客機がやや速度を落として飛んでいた。
が・・・
21世紀の森について散歩を始めた9時30分頃には風が吹き始め、
徐々に風力を増してきていた。

向かい風に向かって歩くのも困難なほどの突風も吹いた。
千駄堀池は水面が強風で煽られていた。


まずは蕾の頃から観察していたサンシュユの開花を確認。


風が強くなってくると公園から去っていく人も多くなり、
徐々に閑散としてきた。


2~3時間の散策を予定していたが、
「21世紀の森と広場」は名前のように樹木が多く、
枯れ枝などが飛ばされてくる危険があり、
私も早々に退却してきた。

「野草園」の小川沿いの柳が咲いていた。
花粉袋が弾ける前の赤い雄しべと、
花粉を付けた黄色の雄しべと黒の雌蕊の色模様は、
春しか見られない自然の息吹である。(巻頭の写真)。


バーベキュー広場にある2本の河津桜も満開を迎えていた。


公園直ぐ隣にある特別養護老人ホーム前庭の河津桜も満開だった。


20時現在風は止み、上空を通過する羽田に着陸する航空機の音も消えた。
風が変わったことにより、着陸コースも変更となったようである。

明日は彼岸の墓参で田舎に帰郷予定。天気も良さそうだ。
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米軍「C-5輸送機」上空通過・羽田へ緊急着陸??

2014年03月18日 | あらかると

パソコンで写真を整理していたところ、
上空を通過する航空機の大きなエンジン音が響いていたため、
(南風のときは団地上空が羽田空港への進入路となっている)
パソコンをOFFしてベランダ側の窓から見ると、
見たことのない航空機が上空をしかも低空で飛んでいた。

ジェットエンジンが4発で、
水平尾翼の上部に尾翼のある大型機が南(羽田)に向けて飛んでいた。

珍しい機種なので写真を撮ろうとカメラを取り出したが、
標準レンズが装着されていて、望遠レンズに交換する時間がなかった。

と言うことで写真は撮れなかったのだが、
気になったので羽田の到着便などを調べた。
が・・それらしき便は16時前後には到着しておらず、
さらに機種を特定すべくネット検索を続けていると、

TBS NEWS Iで「米軍機が羽田空港に緊急着陸、燃料切れか」と言う記事を見つけた。

と言うことで、私が目撃した航空機は米軍のC-5輸送機だったと判明。

「Lockheed C-5B Galaxy」・・・ウィキペディアより

上記の写真はウィキペディアから得ています

残念ながらニュース性のある写真は撮れなかったので、
Google画像検索で得た、目撃した同型に近い米軍のC-5ギャラクシーを引用しておきました。
巻頭の写真はこちらから引用。
http://media.defenceindustrydaily.com/images/AIR_C-5M_No5_Departure_LMCO_lg.jpg
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