令和エンカウンター日記

日々の出会い、気付きを気まぐれに・・・

「巨大地震注意」!

2024年08月15日 | 日記
 「巨大地震注意」!

 初めて出た注意報!

 驚きましたねえ・・何これ・・

 説明を聞いても要領を得ませんでしたが・・

 この一週間の間に巨大地震が起きる確率がこれまでよりも、何百倍も高くなったと聞きましたねえ・・

 対策は、これまでの地震と津波対策をしっかり再確認して下さいということでした・・なんだ・・それでいいのね ・・

 「巨大地震警戒」や「巨大地震厳重警戒」「巨大地震避難」「巨大地震避難指示」などという告知報を出す前の予告演習なのかなと思いました。

 そのような告知報があるのかどうかは知りませんが、「巨大地震避難指示」が出たらどうすればよいのでしょうか思い浮かびません・・

 アメリカや中国、オーストラリアや韓国などに100万人単位の避難民を受け入れてもらえる内諾でもあるのでしょうかねえ・・
 
 これは「巨大地震発生」の後の対策ですが・ 

 まるで「日本沈没」のような・・

 天変地異は考えていても どうにもなりませんね・・

 すぐに忘れて日常を謳歌するのが人間です・・人間万歳!

 これからは、パリ五輪の後のお祭り・・大谷選手のホームラン数・・

 岸田首相の辞意表明!これからの政治、政策の行方・・

 国民の良識と叡智がどのように反映されるのか・・楽しみです・・












「御救い小屋」と「こども食堂」

2024年04月23日 | 日記
江戸時代、火災や洪水や飢饉などの時、建てられた小屋が御救い小屋で、公営と地域の人たちでの臨時的なものです。

現代でも、地震、火災、洪水などでの避難所や食事の提供などは、公営と地域の人たちとボランティアの人たちで、やはり臨時的なものです。

現代の「こども食堂」は殆どがボランティア的な地域の人たちの活動です。

「子ども食堂」は臨時的なものではなく、継続的活動が必要ですが・・

毎日、毎食ではなく、週一とか隔週、月一とか隔月などが多いようです・・

最近では、食材提供者が少なくなったので、継続的、定期的開催が困難になって閉鎖に追い込まれている所もあるようです。

「子どものの貧困」が問題になって久しいのですが、国や自治体は何か対策を検討しているのでしょうか・・

 子育て支援対策は検討中のようですが的外れが多いようです・・

 児童手当の増額や大学の授業料無料化などは見当違いもいいとこです。

 子どもの貧困といいますが、子どもの家庭が貧困であり、児童手当の増額程度で親の食事代にもなりませんし、大学無償化などは無関係ですね・・

 江戸時代よりも、お粗末な子ども食堂、子どもの貧困・・

 これが現在の治政です。自分たちの治政がどんなものかもご存じないような・・これが善政だと思っているのかなあ・・

 とりあえずは、公営の子ども食堂が継続的に設置出来るよう・・

 その後で親の貧困対策(生活保護の基準の緩和など)を・・

 与党も野党も治政を考えず、党務しかしていないように見えますが・・幕末のような・・

 そのうち大塩平八郎の乱が起きるのではないか危惧しますね・・

                         (あくまでも個人の感想です)








社会へ出るとは、多様性社会?

2024年04月20日 | 日記
「社会」の語源
  
 社会の「社」という字は「やしろ」と読み、神社のことですね・・

 社会の「会」とは神社の会ですから、神社の行事です・・

 「社会に出る」とは神社の行事に参加することですね・・

 神社の行事というのは神社の祭りや式典です・・

 特に祭りは老若男女を問わず参加していました。

 昔は、独身者にとっては、集団見合いのようなものですね・・

 式典は、年齢毎の厄払い、結婚式や葬儀など・・・

 現代は、学校を卒業して職業に就くことを「社会に出る」といっています。

 職業につかない人は浪人と言われています。

 在校生も浪人も家庭に入った人も本当は社会人なのに・・

 昭和の頃、障碍などを理由に児童を施設に入所させると、社会から隔離していると騒がれました・・

 この場合の「社会」とは何でしょうか・・神社の行事の意味ではなくて、人間社会、動物社会など生物の生活している世界全てを指しています。

 一般社会、特殊な社会というのもありますが・・

 一般社会の中には、病院も学校も児童福祉施設も含まれているはずです。

 当時の児童福祉施設の職員は全て、自分たちが働いている施設は一般社会の中の福祉施設であると思って頑張っていましたね・・

 ところが、児童を社会から隔離し差別していると非難されましたねえ・・

 その頃は「弱者の立場に立って」というのがスローガンでした。

 まさに、強者の理論ですね・・社会は強者と弱者、お金持ちと貧乏に二分化の時代でした・・

 令和になると、多様性社会がもてはやされていますが、多様性社会とは、どのような社会なのか、いまいちわかりません・・

 人種差別や男女差別、民族差別、宗教差別、障碍差別、職業差別、貧困差別、士農工商差別、学歴差別、学力差別などがない社会のことでしょうか・・

 ありえませんねえ・・・益々、差別社会が広がっているのに・・

 エッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちは低賃金で疲労困憊、農業は低収入で後継者が殆ど居ない情況・・

 オリンピック選手でも、金銀銅で社会的差別は明確です。評価社会では差別は普通ですね・・

 テレビでは高学歴を売りにした番組がもてはやされています・・

 それは差別ではなく区別だと反論する人がいます・・

 病名や障害名は区別であり、差別ではないといいますが、それにより心情的差別感が生じます・・

 癌の宣告を受けると、周りから死人を見るような目で見られます・・

 心情が多様性を受け入れるまでには時間がかりますね・・

 多様性社会という言葉の陰で、強者と弱者、お金持ちと貧乏の差が益々進んでいます・・・
                        
                             ( あくまでも個人の感想です )


 


 
 
 


 












「高齢者の集団自決論」論

2024年03月16日 | 日記
 高齢者の集団自決論は政治家と若い人たちの本音かもしれませんね・・

 高齢者が減少すれば、高齢者の年金を少子化対策と防衛費にまわせる・・・

 高齢者が減少すれば、介護保険料が安くなる・・・

 高齢者は生産性がないので、生きていても社会のごくつぶしだ・・・

                             などなど・・

 なぜ少子化になっているのかも考えずに、場当たり的にお金をばらまいているから、少子化は止まらない・・

 30年以上も前から今日の少子化は明白だったのに、有効な手立てを考えなかった結果、手っ取り早い「自決論」がでてきたような・・

 「罪と罰」のラスコーリニコフのように、金貸しの老婆を殺し、自分のような優秀な人間が生きるべきだという、傲慢な考え方がはびこり出したということか・・

 自決論者がビール会社のコマーシャルに出て、高齢者がビールをがぶ飲みして健康を害すれば、ゆっくりとした集団自決になるのだろう・・

 主張に合う行動であり、現行一致している・・良い悪いは別にして・・

 人間を生産性のあるなしだけで存在価値の有無を決めるのは偏狭の極みだろうに・・社会で持てはやされているのだろうか・・

 少子化の原因は「日本の未来に希望を見いだせない」というお先真っ暗感からであろう。

  子供を産んでも将来が見えなくてかわいそうだから・・だから結婚をしない・・

  教育費が高くて大学へ通わす経済的余裕がない・・・ 

  そもそも自分の現在の経済力では結婚も子育ても無理・・
                         
  加えて、戦争、核兵器、異常気象、地震、津波、原発
                           などなど 

  ノストラダムスの「恐怖の大王が降ってくる」という大予言以来、少子化が続いているような・・

  「希望の未来」を探そう・・

  今のところ、大谷選手に希望を託しているような日本・・・
  
  高齢者の皆さん!こうなったら恐怖の大王が降るまで長生きし、終末を体験しましょう。立派な集団自決です。

                                   (後期高齢者個人の感想です)

 



 

 

スポーツで感動する場面は何ですか

2024年03月10日 | 日記
 スポーツをテレビで観戦していると、「そんなもののどこが面白いの」と聞かれることがある。

 相撲を見ていても、野球を見ていても、マラソンを見ていても、サッカーを見ていても聞かれる。

「面白いか」といわれると答えようがない。一方的な試合はつまらないから途中でやめることこともある。

 野球は7対8が一番面白いといわれているが・・・

 目当てのチームが勝てばの話だが・・面白いのか嬉しいのか・・
 
 目当てのチームが負けた時は、あの時にエラーさえなければ・・などと選手をなじる・・これは面白くない。

 勝てば嬉しいのであって面白いのではないかな・・・

 スポーツやドラマを見るのは面白いからではなく感動したいから見る。

 感動の涙を流したいのである。

 スポーツなら、勝ち負けではなく、ファインプレイ、美技、スポーツマンシップが発揮去れたときが一番感動する。

 これを面白いというのか・・

 マラソン走行中に水を取り損ねたライバルに自分の水を手渡す!感動するが、面白いとは思わない。
 
 外国のスタジアムで日本人の観客が観客席のゴミを持ち帰っても感動しない。

 自分のゴミを持ち帰るのは当たり前の行動であるのに、マスコミがいいことをしたように報道する。感動はしない。報道された人たちも戸惑っているのでは?

 そのの点、国内ではそこいら中にゴミをポイ捨てしている。我が家の道路沿いの田は、いつも、ビールやジュースの空き缶、ドリンクの空き瓶、紙おむつ、時には着古した革ジャンなど、ゴミ捨て場となっている。

 ハロインという外国のお盆日に、渋谷の交差点で大騒ぎし、次の日はゴミの山である。
 
 例え強制的にその場から持ち帰らせても、途中で車の窓から捨てる人もいる。これらも持ち帰るのは当たり前なのでですが、当たり前のことすら出来ない人もいる。

 公園の砂場にある空き缶や危険な物を、黙って拾い、持ち帰る行為なら感動するが面白いとはいわない。

 ドラマなら本当に気持ちが理解しあい、通じ合った場面が感動する。

 西部劇ではよくあるシーン。

 拳銃を外して素手で殴りあう。決着がつかず最後におたがいに最後まで武器を手にしない戦いを通し、お互いの人間性を知り、信頼関係が生まれる・・・

 感動するシーンである。これが面白いのかなあ・・

 スポーツもドラマもハッピーエンドがが面白い。

 はて、面白いとハッピーエンドのことなのかなあ・・・