何かの本の絶筆は読者にとっては残念でなりません。
私が初めて絶筆作品に出会ってしまったのは手塚治虫さんの「ネオ・ファウスト」でした。
学生運動を知らない世代である私にとって、初めて読む学生運動を扱った作品でもありました。
司馬遼太郎さんの「街道をゆく」と「この国のかたち」も作者死亡による実質的な絶筆でした。
晩年は随筆や紀行文が多かったのでもう長編はお書きにならないのだろうな、と思いつつ歴史は巡検がなによりも大切と思った作品が多かったです。
もう10年も経ちますが藤原ここあさんの絶筆もビックリしました。私よりもお若いのに病死されるだなんてなんと無念だったろうか、と。
今も残るXには、印象的な夕焼けの写真が載っています。
そして今回、原作の印象とちょっと違うなー、と思った漫画の作者さんがお亡くなりになりました。
以前ヤマザキマリさんが「自著を原作とした作品はもうやらない」とおっしゃっていました。
ヤマザキさんの作品に限らず、漫画や小説原作の映像作品は原作とかなり変わっているモノが多いです。
原作とは違う作品なんだ、と割り切れば何れも面白いです。
でも多くは「原作の方が面白かったなー」と比較して、そしてやっぱり原作の素晴らしさに気付かされます。
またヤマザキさんによると原作者は、番宣やキャンペーンに引っ張り出されるのにその報酬はほぼないそうです。
絶筆作品は読者にはツラいンです。
どんな結末になるのか、読者は二度と知ることができません。
近い将来、AIが続きを書いて(描いて)完結までの補完をしてくれるかもしれません。
でもそれは作者の作品と言えるのでしょうか?
芦原妃名子さんの作品がこんな形で絶筆になるのは残念でなりません。