昨日昼、母から電話。
入院中の父の面会について、次回私が会える日に母の知人が訪れるとのこと。
人数制限があるから、私には遠回しに遠慮しろ、ということらしいです。
それなら予定している翌日ならいいか?と思ったら父の友人が来るとのこと。
だから言ったろ?父に会いたい、父が会いたいという人は全員会わせてあげないと、後々後悔するよ、と。
私がそう言ったのは9月に今の病院に転院してからすぐ。
先月も何度も何度も言って、私は頻繁に会わなくてもいいからって。
今月になって、父はかなり弱ってきているのだから、ただいま面会渋滞中。
もっと会話ができるうちになんで面会したいという人々に会わせてあげなかったのよ…溜息しかでません。
その後兄から連絡がありました。
この日からベッドサイドモニターとネプライザーが設置されたとのこと。
父は呼吸もちょっと荒くなってきているし、発熱も続いているし、手足のむくみも日に日に酷くなっているのにな、と私は不思議に思っていたところです。
兄はこの措置にショックが隠せないようでした。
人手も機械も不足気味な病院なんだから仕方ないと私は諦めていました。
こういう機材、この病院でもあるにはあったのか、という感覚です。
それくらいこの病院の医療技術や機材、人手に私は期待をしていません。
さて私が次回父に会えるのはいつなのかよくわからなくなりました。
これまでの面会では、毎回が今生の別れ、と思って会ってきました。
だからいつ危篤と言われても、臨終に間に合わなかったとしても、私には後悔はないのです。
覚悟が決められない兄が後悔なく過ごせればいい、たったそれだけなんですよねぇ。
母はどう転んでも嘆きの女王にしかならないので、好きにさせればいいと割り切っています。
ただ、遺骨にはカビが生えることがあること、長年墓石の下に納骨されると骨壺は水浸しになったり、雨水で骨が溶けて無くなることがある、という事例は教えておかないと。
夢見がちな母が突拍子もないことをしでかさないように忠告はしておきます。