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makoto's daily handmades

神奈川県松田町・寒田神社やニノキン先生像を見て回る

前回の続きです。

南足柄市の大雄山駅から県道を歩いて小田急線新松田駅に向かいました。
今回も長文、写真多めなのでお暇な時にご覧ください。

大雄山駅。
この駅に到るまですでに5キロ歩いています。
新松田駅までも5キロくらいで行けるだろうと予想しました。
当地にはイマイチ土地勘がないことと、途中の開成町(かいせいまち)の碁盤の目のような道(見分けがつかない)がとても不安です。
でも県道をどこかで曲がれば、酒匂川(さかわがわ)の十文字橋に行けばいいはず。
そこからなら新松田駅までは分かるので、十文字橋を目指しました。
 
途中、とうとう足が痛くなりはじめまして、写真を撮りませんでした。
目印になるのは、松田山ハーブガーデンの白い円筒形の建物です。
それさえ見えれば、新松田駅方面になります。

あ、まちがえた!
新十文字橋でした。
新十文字橋の表示の少し下、山の中腹にある白い建物が松田山ハーブガーデンの建物。
方向は合っていたのだけれど…。

下流側をみると、本来渡りたかった十文字橋が見えます。
ここから戻るのも面倒なので、新十文字橋を渡りました。
 
途中立ち寄りたかった寒田神社に行きました。
この神社は新十文字橋と十文字橋の間にあります。









ここの狛犬ちゃんは、一対の中に親犬2匹、子犬5匹でしかも台座が岩を寄せ集めたモノ。
しかも子犬の狛犬ちゃんが親犬との一体型ではなく、独立型。
これはとても珍しくて、なかなか見かけることができません。

どこへ行っても、忠魂碑。
「希典書」の記名があるので、乃木希典さんの揮毫。
乃木希典さん、いったいいくつの忠魂碑の揮毫をしているのでしょうか。
ご自身も長男、次男のお二人を亡くされ乃木家の後継がいなくなり、日露戦争で失ったモノの大きさを感じます。
なおこの忠魂碑は、関東大震災で倒壊したモノを再建したそうです(石碑裏に書かれていました)。

これは日清戦争の戦没者碑。
日清戦争関連では大きい石碑です。

歯の供養碑。
足柄歯科医師会によるもの。
全国でも珍しい供養碑との説明書きがありました。



かながわ名木100選の「寒田神社のカシ」。
イチイガシだそうで、県内では珍しい木だそうです。

足柄平野あたりも関東大震災では、大変な被害があったので、鳥居、灯籠、狛犬、水舎、石碑は倒壊したんだな、と思いを馳せました。
この看板は神奈川県神社庁が作成していますが、私は初めてこの看板を見ました。
神社によって掲示していないのかな?

寒田神社を出てすぐのところにあった石碑。
「割烹翠松園巌根跡」と書いてありますが、説明板がなく、帰宅してからネットで調べても何のことか分かりませんでした。
ここから本来通りたかった十文字橋に行きました。


酒匂川にかかる十文字橋は、平成19年の台風で橋が落ちてしまいました。
看板の隣に古い橋脚が残されていました。
酒匂川は暴れ川でして、二宮尊徳先生(二宮金次郎の成人後の名前、ニノキン先生)はこの川の氾濫によって一家離散の憂き目に遭い、そこから家計の立て直し、報徳思想に繋がりました。

十文字橋のたもとから箱根外輪山をのぞみました。
今日はあの山の中腹にある大雄山最乗寺から約9キロ歩いてきました。
足の痛みもあり、待ち合わせ時間まで少し早かったので、ここに座って小田急線(写真にはありませんが、写真の左側に鉄橋があります)を眺めていました。
 
小田急線は通常の普通車両もあれば、特急電車のロマンスカーが何種類も通過するので見ているだけでも楽しいです。
しばらく休んでから、二宮金次郎像を探しに行きました。

松田町立松田小学校の二宮金次郎像。
日曜と言えども今どき小学校に入ったら、不審者です。
でも金網越しに撮影すると、盗撮みたいでこれもなぁ…と自問自答したくなります。

「堅牢地神」と書かれた石碑は初めて見ました。

近くの祠。

祠の脇にも石碑がたくさん。
これはお墓では?と思うのですが、よく分かりません。

JR御殿場線の線路です。
1時間1本くらいの路線なので、電車は見かけませんでした。

逆光で分かりづらいのですが、JR御殿場線松田駅。
小田急線新松田駅は歩いて5分くらいの場所にあります。
小田急線のロマンスカーのうち、JR御殿場線に乗り入れている車両は、この駅に停車します。
なお、御殿場線はJR東日本ではなく、JR東海。
駅構内のパンフレットは、JR東海関係でした。
神奈川県内でJR東海のパンフレットが置いてあるのは、新横浜駅(新幹線)、小田原駅(新幹線)、在来線では御殿場線だけなので、ちょっと珍しい光景です。





JR

松田駅は明治22年開業で、昭和初期に丹那トンネル開通までは、東海道線は現在の御殿場線ルートを使っていました。
まだ小田急線は開通していませんでしたから、ニノキン先生の生まれ故郷、小田原市栢山(かやま)の最寄り駅はこの松田駅でした。
 
「栢山道」の石碑は、真珠養殖の御木本幸吉さんが松田駅の敷地に私費で作ったモノ。
御木本幸吉さんが「海の二宮尊徳になる」との目標にしていた方だったからです。
この辺りは、2016年9月に私が尊徳記念館辺りをウロウロした記事に書いたので割愛します。
 
それと先ほど書いた松田山ハーブガーデンは、1ヶ月も経てば河津桜がとてもキレイに咲きます。
二宮金次郎像の近くにも河津桜がありまして、花芽がずいぶん膨らんで来ていました。
 
さて新松田駅に向かおうか、と思っていたら、MIFさんから電話がありました。
松田駅前にいることを伝えたら、車で迎えに来てくれました。
私の足もだいぶ限界だったので助かりました。
 
今日は全行程10キロほど歩きましたから、帰りの車中では爆睡でした。
MIFさんから「歩いたの?よく歩いたねぇ」と少々呆れられましたが、今回もサポートしてもらってありがとうございました。
とても楽しい散歩になりました。
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